第185話・海中神殿へと続く道(2)




 二度目の訪れとなった祈りの間は、相変わらず静謐な空気に包まれていた。

 『礼拝堂』みたいと感じたのはあながち間違いでは無いのかもしれない。

 入って来た人間を見据えるように立っている神像は後ろにある壁に開けられたステンドグラスの窓から差し込まれた月の明かりに照らされている。

 水が光を弾き、煌いた神像は静かに佇む光景は幻想的であり、何処か此処が現実離れした場所のように感じさせた。


「(昼間に入った時は此処まで非現実的な空間には思わなかったんだけど?)」


 夜という本来なら有り得ない時間と、月明りのせいだろうか?

 祈りの間の清廉な空気だけはそのままに荘厳さが加味されたような、まるで別の場所に案内されたような錯覚まで受ける空間となっていた。

 

「(あ、それだけじゃないかも?)」


 よくよく周囲を見ていると要因の一つに思い当たる。

 どうやら神像から感じる【何か】かが前回よりも強いのだ。

 その証拠に前回は私しか分からなかった【何か】にクロイツやお兄様も気づき、驚いた気配と共に視線が神像へと向かっている。

 特にクロイツから感じる気配は中々物騒だった。


「<アンタねぇ。これから聖獣様に会いに行くんだよ? その物騒な気配はしまいなよ>」

「<気づくのはオマエだけだから問題ねーよ>」

「<私が殺気だってるみたいだからやめてよね>」


 聖獣様が気づいたらどうするのさ。

 ……まぁ気づいたらその時はその時か。

 クロイツもそこまで馬鹿じゃないし、海中神殿に入ったら気配を抑えるか影の中に引っ込むだろう。


「(というよりも今の時点で引っ込めた方がいいんだろうか?)」


 帝国に滞在した当初は影の中にずっと引っ込んでいたクロイツだけど、今は私の使い魔として普通に姿を現している。

 王宮内は流石にどうかと思ったけど、どうやらそこまで気にはされないらしい。

 これが王国だったら? ――そういえば問題なかったか。

 

「(別に王城でクロイツがいても誰も突っ込まなかったし使い魔が傍にいる事自体は問題ないのかな?)」


 今更だけど、まぁ何も言われてないから問題ないのだろう。

 今回に関しても、もしクロイツの存在が問題ならそれと無く注意されるだろう……マクシノーエさんあたりに。

 少しばかり思考が逸れた事に苦笑しつつも改めて周囲を不躾にならない程度に見回す。

 昼間の時は気づかなかったが此処「祈りの間」は複数の窓、しかもその全てがステンドグラス仕様らしい。

 複数の窓から月明りが差し込み、その全てが神像に集まる造りなのかと思ったが、よく見ると少し違う。

 確かに殆どの月明りは神像を照らしている。

 だが、一部だけは違う箇所に光を集めているのだ。

 その場所は神像と置かれた椅子との丁度真ん中。

 まるで神像の前に跪き祈りを捧げるために造られた舞台として誂えられているような位置付けだった。

 多分満月の日のみそうなるように計算された造りなのだろう。

 常にこうなる程の技術はこの世界はないはずだ……魔法が使われていなければの話だけど。


 神像とその前に照らされた祈りを捧げるための舞台。


 その二か所を照らす月光がこの祈りの間を更なる幻想的な雰囲気へと仕立て上げていた。


 少しばかり気後れする程、風変りした祈りの間の椅子に私達は案内され静かに腰を下ろした。

 横を見るとお兄様も少し緊張しているようだったし、殿下達でさえ雰囲気に少々呑まれているようだった。


「(仕方無い。私だって気圧されているのだから)」


 年齢詐欺の私でさえ、こうなのだ。

 年齢分しか生きていないお兄様達が緊張しないはずがない。

 こればかりは本能的なモノだし、今まで学んだ全てが通用する事は無い。

 表に出さないように出来るかは単に年齢による見栄に過ぎないと思う。


「(まぁ、そうなると私は心底子供らしくない見栄を張っている事になるんだけどね)」


 強ち間違ってないか、と一人ごちると、私は内心溜息をついて深く座り直した。


 しばらく待っていると私達の横をアーリュルリス様が静々と足音を立てる事無く歩いて行った。

 その後ろ姿を見て私は、今更ながらにアーリュルリス様の服装が何時もと少し違う事に気づく。

 何時もは皇女である事を示すように軽装だろうとレースがちりばめられ、カラフルな布が使われた、どちらかと言えば派手な格好をしている。

 皇族は皆、同じなので、帝国の最先端のファッションという事なのだろう。

 だが今のアーリュルリス様からはそういった派手さが消えていた。

 白色と青色を基調とした体にフィットした服装に、同じく白色と青色の布が揺れるように縫い付けられている。

 静かに歩いているというのに歩くたびに布がヒラヒラと浮き上がり、まるで流れる波を見ているようだ。

 頭にもヴェールを被っている。

 そのヴェールもまた白色と青色を基調したモノで、それを止めているのは青色のガラスか何かで作ったのか月明りを反射して煌ていた。

 今のアーリュルリス様は皇族の姫君というよりも踊り子のように見えた。


「(いや、この場の事を考えれば踊り子じゃなくて巫女というべきかな?)」


 この世界では多分神官と言うのだろ。

 考えてみれば私はこの世界の神殿や宗教に関しては詳しくはない。

 これは王国に帰ってから調べるべきだろう。


「(そうじゃないと思わぬ所で足元を掬われそうだし)」


 そんな私の事情はともかく、今のアーリュルリス様は今、清廉な雰囲気を纏い神のために存在する巫女なのだろう。

 心なしか神像の纏っている【何か】をアーリュルリス様も纏っているような、そんな気がした。


 アーリュルリス様は先程の月明りの舞台の上に立つと膝をつき神像に向かって祈りを捧げるポーズをとった。


「我が祈りを捧げます」


 アーリュルリス様が厳かに宣誓すると、それに反応するかのように神像から発せられる【何か】の気配が強くなった……そんな気がした。

 

 タンッ


 無音の中アーリュルリス様が足音を一つ鳴らし、舞い始める。

 

 タン・タン・タン・タタン


 無音の中アーリュルリス様の飛ぶような足音と人の息の音だけが祈りの間に聞こえる。

 クルリと手を伸ばしながら回転するのに合わせて青色と白色の布がふわりと流れる。

 此方を向いた時見えたアーリュルリス様は口元に笑みを梳いていた。

 舞う事が嬉しいのだと言うかの様に。

 

 タタン・タッ・タタ


 月明りに照らされた舞台の上でアーリュルリス様が舞い踊る。

 光に照らされた青色の髪はまるで海のように煌ていた。

 

 神聖にして荘厳、清廉にして優美。


 樂も無いのに、何処からか音が聞こえてくる、そんな気すらする。

 巫女の舞に私達はただただ圧倒され見惚れていた。


 タタンという音を調べにヴェールが波のように舞う。

 月明りの舞台に一人の神子が厳かにただ敬愛を込めて舞っている。


「――……―……――」


 静穏の場に突如小さな声が奏でられる。

 その声の主は今なお舞を捧げているアーリュルリス様からだった。

 唄の内容は分からない。

 もしかしたら古語なのかもしれない。

 だけど分かる。

 これは神へと向けた讃美歌なのだと。


 舞と唄を神へと奉納する。

 やはり、これは讃美歌と奉納舞なのだ。

 アーリュルリス様は今、巫女となり敬愛する神を喜ばせるために樂を奉納している。

 

「(此処までの敬愛を、親愛を私は神に捧げる事は出来ない)」


 ふと、そんな事が頭をよぎる。

 つくづく私は帝国の人間にはなれないのだな、と思った。

 その事に関して特に思う所はない。

 ないのだが、此処までこの世界に馴染んでいる様を見せられると思う所が無いとも言い切れない。

 なんとも言えない気分を抱きながらもアーリュルリス様の奉納舞に見惚れていると、彼女の足元が光った気がした。

 

「(ん?)」


 不思議に思い視線をアーリュルリス様から下の月明りの舞台へと向ける。

 するとアーリュルリス様の通った後に光が残り、まるで線を引いているかのようだった。


「(あれ? あれって【魔法陣】に見えるけど、見間違いかな?)」


 流石に上から見る事は出来ない確証はないのだけれど、アーリュルリス様の舞はまるでステップで魔法陣を描いているような気がしたのだ。

 

「(まぁ奉納舞みたいだし、そういうものなのかな?)」


 と、納得した途端、胸の奥から何かが引きずり出されるような感覚に襲われた。


「(何?!)」

「ダーリエ?」


 耐え切れず胸元を抑えて蹲ると、心配そうなお兄様の声が聞こえる。

 少し離れた所から「兄上?!」という声も聞こえて来た。

 違和感を抱えながらも顔を上げるとヴァイディーウス様もまた私と同じように胸元を抑えていた。

 しかも光に包まれているのだ。


「(一体、どういう事?)」

「ダーリエ、大丈夫かい? どこか痛みは? というよりも光っているようだけど……」


 どうやらヴァイディーウス様だけではなく私も光っているらしい。

 私は無理矢理だが笑みを作るとお兄様への方を向く。

 

「お兄様、痛みはありませんわ。ですが何かが体の奥から引きずり出されるような感覚が」

「なにか? もしかして魔力かい?」

「ああ。そう言われれば、そうかもしれません」


 確かにこの感覚は魔力を無理矢理引きずり出されていると考えれば納得がいく。


「(【コレ】はこのまま引きずり出されるままにしていてもいいモノなのだろうか?)」


 無造作に外に放出された魔力は暴走すると聞いた事がある気がするのだけれど。


「(それとも私達にも魔力を奉納しろとでも言っているのでしょうかねぇ)」


 無理矢理顔を上げて前を見れば、この騒ぎに気づいていないのか、トランス状態のアーリュルリス様が未だに奉納舞を舞っていた。

 そしてそんな彼女もまた薄く光を帯びている。

 同時に青色の光が彼女から放出され神像へと向かっている。


「(魔力の奉納)」


 やはり、この現象は私達にも「魔力を奉納せよ」という聖獣の意志らしい。

 自分勝手な聖獣に対する文句を心の奥に抑え込み、私は抑えていた手を外すと真っすぐ神像を見据える。

 ゆっくりと深呼吸をすると外に出ようと暴れる魔力をゆっくりと外へと流していく。

 銀色と紺色の光がゆっくりと私から放出されていく。

 二種の魔力の光は暴走する事無く、神像へと注ぎ込まれていった。

 そんな私を見ていたのか、ヴァイディーウス様も同じく出ていくままに身を任せる事にしたらしい。

 ヴァイディーウス様の周囲にも光が舞い、そして神像へと流れ込んでいった。


「(このような事になるならば事前に教えてほしかったものです)」


 とはいえ、どうやら帝国側もこの事に関しては想定外だったらしい。

 トランス状態にあるアーリュルリス様はともかく、他の方々が驚き慌てているのが見えた。


「(まぁ私はともかく殿下まで、ですからね。焦りもしますよね)」


 奉納させられた魔力だが、どうも大した量ではない。

 この程度なら直ぐに回復するだろう。

 

「(ただ無理矢理奉納させられたみたいで多少気分は良くないけど)」


 これも私が神々が近いこの世界に馴染んでいないからだろうか?

 いや、ただ敬いの心が足りないんだろうな、きっと。


「(これはクロイツの事、いえないかも)」


 どうやら私も神々に対してそれなりに思う所があったらしい。

 とはいえ、私の場合この世界の神々ではなく『日本』にいた頃の話になるんだけど。

 ここまで自分勝手にされると私もこの世界の神々に思う所が出来そうだ。

 私はこれからの予定を考えて小さくため息をつくのだった。






 此方の騒動とは打って変わって奉納舞を終えたアーリュルリス様は再び神像に祈りを捧げるポーズに戻ると「神々へ。我が敬愛を信奉の心を奉納致します」と言って深々と頭を下げた。

 途端、神像が光輝き、閃光が部屋を白く染める。

 思わず目を隠した腕を降ろすと、其処に神像の姿は無く、代わりというべきか。

 何処かに続く光り輝く道が出来ていた。


「ここから聖獣様のおわします神殿へと行く事が出来ます。さぁ行きましょう」


 意気揚々と振り向いたアーリュルリス様が私達の惨状ともいえる光景に驚き固まったのは言うまでもない。



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