第113話・嵐の後の静けさは何時まで続く?(5)




 弟殿下の言葉に苦笑していると兄殿下が苦笑して弟を見ているのに気づいた。

 あーうん、今は兄殿下が私と同じ事を考えていると何となく分かる。

 ただまぁ、この方も随分隠さなくなったなぁとも思う。

 まさかあんな事があった後も素を垣間見せるとは思わなかったから驚きの方が強いけど。  

 

 私はあの場に居た誰よりも兄殿下に疎まれ、憎まれるだろうと思っていた。

 だって言ってしまえば私は「彼自身」を否定したのだから。


 その事に気づかないはずがない方である以上、殿下が私を嫌うのはもはや必然、だと思っていた。

 まさかこうやって再び素を垣間見せるとは思いもしなかった。

 お兄様がいようと弟殿下がいようと、一線を引いた相手と対すると決めてしまえばどれだけでも繕い素をみせる事は無い。

 王族の男子として殿下はそういう意味では完璧な方だと思っていた。

 今までの短いまでも交流を持った中での事だから間違いではないと思う。


 だからこそ私も居る場で素のようなものを垣間見せる殿下の考えが分からなかった。


 そんな思考に入り込んでいたからだろうか。

 私は淑女にあるまじきレベルで殿下をマジマジと見ていたらしく、殿下の視線が弟殿下から私へと視線を移る。

 濃紺の双眸からは特に悪意ある感情は伺えない。

 今回色々あったからか憂いを帯びた、深い色合いをしてはいるけれど、嫌悪に冷たく翳る色も憎悪に燃える暗い色も見えない。

 諦観が混じっているのは、殿下にとってそれが当たり前なのかもしれないけど、今回の事件の裏を少しでも感じ取っているからかもしれない。

 多分今回の事件の全容を私達が知る事は無いだろう。

 事件そのものの大きさもさることながら、関わっているであろう人物が大物過ぎる、と推測できるから。

 黒幕を突き止めて一掃、はい終わり、とはいかないはずだ。

 下手をすれば実行犯を処分して真実は闇の中、となる可能性も否定できない。

 それは貴族社会としては当たり前なのかもしれないけど、やるせないと思わざるを得なかった。


「(全てを詳らかに、と考えるのは私が中途半端でモヤモヤしているからだけど、貴族として耐えろと言われる事かもしれない)」


 だとしても全容全てを明かせとまではいかなくとも、私達を襲撃し下手すれば全員の命を奪おうとした黒幕の思惑は知りたいと思う。

 それって普通の事だと思うんだけどね。

 自分を襲った理由を知りたいと思うのは。

 本来なら大っぴらに調査なりをするべきだと思うけど、それが出来ないのは貴族サマの事情が絡んでいるからだろうし。

 誰もが何となく真実を知っていたとしても口を開くことは出来ない……それだけの大物が今回の件に絡んでいる可能性が高いから。

 そんな大事案件に関して子供が口出すする事は決して許されないだろう。

 

「(仮令それを訴える場所があったとしても子供である私なんかの言葉じゃ他の大人の言葉の方が重たいから聞き入れてくれるわけないし)」


 国のこれからに関わる事と言われれば口を噤むほかない。

 

「(せめて今後は襲われないと言う確信が欲しいんだけど……無理だろうなぁ)」


 まぁ全てを詳らかにした結果、私は修道院に、て事になる可能性もあるんだけどね。

 内心ため息をつくと体が動いたのか髪が肩から落ちる。

 大分短くなった髪は整えられていて、私が気絶している間に誰かが切りそろえてくれたらしい。

 別に髪を切る事自体咎められるという訳じゃないけど、みっともないと取られる可能性はある。

 今回私を快く思わない人間ならばそこを突くだろう。

 極限、命のやり取りをしている時に髪なんて気にしていられるか! と私は思うけど、貴族令嬢としては規格外の事をしまくっている事の決定打としてこの規格外の行動をやり玉に挙げるだろう。

 必要だったからだけど、私は自分の手で髪を切ってるしね。

 ……多分、自分で髪を切る行為は自ら貴族という地位を降りると言う宣言だったはず。

 状況を考えれば有り得ない事なんだけど、そんな馬鹿な事を言いだす輩が居ないとも限らないのが悲しい所だ。

 少なくとも品の無い行為を囀る存在には思い当たる節がある、あり過ぎる。

 今更噂が一つ増えようが今更なんだけどねぇ。

 今後の事に関して起こるであろう若干の煩わしさに内心ため息をつくしかないのである。


「私も貴女に謝らなければいけない事があるんだ」


 無意識に髪に意識が向いていたのか、何時の間にか弟殿下とお兄様、そしてリアが少し離れた場所に居た。

 目の前には兄殿下が困った顔で私を見下ろしている。

 色々思う所はあるけど、真剣な殿下の様子に私も佇まいをただすと殿下を見上げる。


「私が敵の言葉に動揺したせいで君が攻撃される隙を作ってしまった事をあやまりたい。……本当にすまなかった」


 私の短い髪を見て悔やんだように言う殿下。

 殿下は多分手傷を負った事や捕まった自分のせいで私も囚われてしまい、抜け出すためにとんでもない行動に出たと思っているらしい。

 捕まったのは、まぁ自分のせいなんだけど、まさか其処を謝罪されるとは思わなかった。

 てっきり表面上だけでも自暴自棄になっていた部分を謝るとばかり。

 そんな私の内心が若干外に漏れ出ていたのか、殿下は私の引っかかる所に予想がついたらしい。

 苦笑してその謝罪に行き当たった道筋を説明しだした。


「私は自分が色々諦めてしまっている自覚がある。その事を謝ったとしても心から変えられるとは思っていない事も把握している。それに君はそんな表面上の謝罪なんて見抜いてしまうからね。ならばせいいを示すなら、心から謝りたいと思っている事だけを謝るべきだろう?」

「……そこまで心の内を晒している事も誠意の一つと思ってよいのですか?」

「そうなるね。後、君と私は似ている部分が多くあると思っているから、話しても良いと思っている部分もあるのだけれどね」

「それが殿下の誠意とおっしゃるならワタクシも一つ心に抱いていた思いを打ち明けましょう――殿下の事を根底から認めないと言ったワタクシを殿下は決して許さないだろうと思っていましたわ」


 今後どういう付き合いになるかは分からないけど、殿下の誠意として語られた内容を聞いて私はココで自分の疑問は解消しておくべきだと判断した。

 これで殿下と没交渉になったとしても、今聞くべきなんだと思ったのだ。

 それに今この場において心を打ち明ける事はどんな結果を伴うとしても一つの誠意だと思うし。

 殿下は私の打ち明けた心に驚いていたけれど、直ぐに本心からの言葉だと思ったのだろう。

 苦笑しながらも心の内を語ってくれた。


「キースダーリエ嬢の有り様は私には衝撃だったのは事実だ。似ている部分が多いからこそどうしてそうあれるのか疑問にも思っている。あの時、あの場において誰よりも「生きて」いたのは君だった。“スペア”でしかない私の望みと真っすぐ向き合い否定してきたのもね」


 静かに語りだす殿下から怒りは感じない。

 感情を押し殺した様子も見えず、諦観だけが伺える感情だった。


「ロアが次代の王である事に何ら疑問は無い。むしろそこで私を担ぎ出そうとしているやからこそ厄介だと思っている。けれどこの先私が“スペア”として生き続ける事は違えようがない事実なんだ。だからあの時ロアの代わりに死ぬ事は自身の役割をはたして死する事が出来る数少ない……下手をすれば最後のきかいだと思っていた」


 殿下の中で自分の生死を自分で決定する事すら出来ないもどかしさとその中で自身の意志で死を選べた事への安堵、それでも死すら選ぶ権利はない事への諦観、そんなモノがごちゃまぜになっているのかもしれない。

 諦観は「代わり」である事を自身に徹底した事からも生み出されたのかもしれない。

 自分の立ち位置を冷静に見極める事が出来るからこそ、周囲の考える「スペア」を演ずる事が可能だった。

 殿下もまた神童であるが故に見え過ぎているのかもしれない。

 もう少し愚かであればもう少し生きやすかったのかもしれない、殿下もお兄様も。


「自身の立ち位置を正確に知りながらも「生きたい」と叫ぶ事が出来る君を私は心から不思議に思うよ」


 確かに私も立場的には「スペア」と言えなくもない。

 今後弟や妹が生まれたとしても次子である時点で私はお兄様に何かあった際にラーズシュタインを継ぐ立場として生きなければいけない。

 少なくともお兄様が次期公爵家当主として確定しない限り私が継ぐ可能性は無くならないし、確定してしまえば役割は終えたと他家に嫁ぐ事になる。

 貴族社会において次子の役割なんてそんなモノだ。

 この世界では才覚さえあれば本家を継ぐ事も出来るし分家当主で枝分かれでもして当主となる事も出来る分、マシであると言える。

 スペアとして一生を縛られる可能性だって充分にあった。

 三男、三女以降がごく潰しと言われる世界だってあるかもしれない。

 そういう意味では分家とは言え当主になる事が出来るこの世界は甘いと言える、かもしれない。

 

 ただ王族は貴族よりもそれらの縛りはキツイ気はするけど。


 だからまぁ立ち位置的に私が殿下と同じだと思われるのは分かる。

 実際『キースダーリエ』は周囲からそう言われていて、歪んでしまう所だった訳だし、殿下が今の性格を形成した要因の一つでもあるだろう。

 殿下は私がそこまでも把握している事も織り込み済みだ。

 だからこそ私の言動が不可解に映ったらしい。


「(まぁ私だって『わたし』が居なかったらどうなっていたか分からないけど)」


 完全に同類となって、顔を合わせただけで同族嫌悪を感じる程嫌いあう関係になっていたかもしれない。

 少なくともこうやって一部とは言え心を打ち明け本音を話す関係にはなっていなかったに違いない。


 私は生きる事を決して諦めない。

 どれだけ無様と罵られようとも、愚かと嘲笑われようとも自ら生を否定したりはしない。――『同じ思い』を自分の大切な人に味合わせるなんて絶対に嫌だ。

 だから私は死に価値観を見出す殿下に共感できないし、愚かな事をと思ってしまう。

 その一点が重ならない限り私と殿下は一生平行線なのだと改めて思った。

 今の殿下の疑問だって私にしてみれば「どうして生きる事を諦めなければいけないの?」としか思えない。

 立ち位置的には私もまた「スペア」なんだろう。

 お兄様が何かしらの理由で継げない、継がない場合私が継ぐ事になる。

 お兄様が万全の状態で継ぐとなった時、私はその能力により将来が変わるけど、大体の場合他家に嫁ぐ。

 殿下と違い一生飼い殺しのように生きる事はないだろうけど……国王の地位を欲していない殿下ならば、私なんかよりも選べる道は多いというのに、と思わなくもないけれど。

 培われた根底の違いは何処までもその後の認識や思考にすれ違いを起こしてしまうのだなと思った。

 言っても通じないだろうけど、云わずには居られない。

 同類だと言う幻想は此処で終わらせてもらう。

 だって何時の日かもっと取り返しのつかない場所で道を違えてる可能性も否定できないのだから。

 私は感情を込めずに殿下を見返すと口を開いた。


「自らのエゴを貫こうとする事はそんなに愚かな事ですか?」

「え?」

「周囲からスペアと嘲笑われようとも、周囲がお利口なお人形さんを望もうともワタクシがワタクシらしく生きる事には何ら関係はありませんわ」


 私達はこの世界に生きている。

 一個人として生きる事を許されている。

 少なくとも私も殿下も自意識の全てを否定されている訳でも、情緒が育たないような教育を受けていた訳でも、其処に在るだけの識別記号として認識されている訳でもない。

 周囲の望むお利口さんで居る必然は無く、自分の意志で歩む事が許されている。

 多少の煩わしい柵は仕方ない。

 人として生きていれば絶対にあるモノなのだから。

 その柵が普通の人よりも多いのも仕方ない。

 産まれる所を私達が選ぶ事は出来ないのだから。


「周囲の囀りなんて私の心に一欠けらとて何かを残す事はありませんし、聞く価値も見出せませんもの。スペアと蔑み、不要と断ずるならばワタクシだって好きに生きたって良いではありませんか」


 軽い神輿だから、利用できる所は利用し、最後は形代のように全てをかぶせて切り捨てるつもりだったのかもしれない。

 嫌がらせ程度にしか思っていなかったのかもしれない。

 「キースダーリエ」という少女個人で認識すらされていなかった。

 私をスペア程度の価値しか認めていなかったのは事実だろう。

 けれどスペアが「生きてはいけない」理由なんて無いのだから。


「もしもスペアと何時までも五月蠅いのならば、ワタクシは笑って言って差し上げるでしょうね。……――」


 あの戦場の時のように意識が高揚する。

 私は何処までも傲慢に微笑む。

 あぁ感情を抑える事が難しくなっている、とまるで他人事のように思った。


「――……スペアと蔑む貴方方を何処までも魅せてあげましょう? と」


 私がこれから歩む道で、貴方方がスペアと蔑む道でもって目を離す事が出来ない程に魅せて差し上げましょう。

 スペアと蔑む貴方方が言った事を忘れる程に、ね。


 傲慢にエゴを貫いて、それが仮令仇花だろうと咲かせて魅せましょう。


 もう覚悟しているのだ、私は。

 傲慢と謗られようとも愚かと罵られようとも、自らの価値は自らの生きる道に見出す事を。

 あの宣言した時、私はもう自分が引き返せない事を知った。

 引き返す気がない自分の心にも気づいた。

 だから周囲の言葉なんて関係無く私は私らしく生きる事を決めたのだ。


 子供らしさなんてもはやこの場では関係ないはずだ。

 あの時素でいるしかなかった私を見ている殿下達は既に「私」が子供とは言えない存在である事を知っているのだから。

 だから私もそこは隠さない。

 私は私らしく、何処までも悠然と微笑むのだ。


 そんな私の傲慢な言葉に殿下が唖然としているのが分かった。

 

「そのためならば何でも跳ねのけてしまう、と?」

「ええ」

「そう言って歩み続ける姿を見てあざわらうやからがいたとしても?」

「そんな言葉、何の障害になり得ましょう?」

「……貴女のその姿に悲しむ人がいたとしても、かい?」


 問いかけてきている殿下の方が泣きそうな顔だ。

 最後の問いかけに私は瞑目し脳裏にお兄様やリアと言った人々を思い浮かべる。

 そりゃ皆が笑っている方が良いに決まっている。

 涙を流す原因が私ならば私が変わるべきなのかもしれない。

 けど……だとしても譲れない何かは存在していて、それを変えてしまえばもはや「私」じゃない。

 だから多分、私は……――


「――……最後には自分のエゴを貫き続けると思います。大切な人達の思いは聞こえますし、時には悩み考えると思いますが、それでもワタクシはワタクシの思いを言葉の限り告げ、そして自らの道を進みます」


 私が私らしく生きていく。

 理由は分からないけど、この世界に『地球』での記憶を持ち込み、それでもこの世界で生きると決めた時にそう決めた。

 この残酷で、だけど優しい世界に「キースダーリエ」として在ると実感した時に私は私でしかないという事も分かってしまった。

 だから全部私にとって今更の問いかけだった。


「スペアだの我が儘令嬢だの他者の評価などワタクシには関係ありません。ワタクシはキースダーリエ=ディック=ラーズシュタイン。ただそれだけで自分らしく生き続けるに充分の理由足る。ワタクシはそう思っていますわ」


 あの令嬢サマよりも性質が悪いと自覚している。

 私は私の傲慢を貫くと決めてしまっているのだから。

 だとしても俯いたりはしない恥じたりもしない。

 これが私――キースダーリエ=ディック=ラーズシュタインなのだから。


 沈黙が私と殿下の間に横たわる。

 何処か呆然とした表情で私を見つめる殿下。

 私みたいな人間にはまだ会った事がなかったのだろう。

 しばし呆然としていた殿下は段々俯いていき最終的には片手で顔を覆ってしまう。

 どうやら相当気分を害したらしい。

 それも致し方ない。

 危険人物と判断されても仕方の無い事を言ってるしねぇ。


 と少しばかり覚悟をしていたんだけど、そんな私のささやかな覚悟は殿下の笑い声という何とも珍しいモノで吹き飛ばされてしまうのであった。


「っふ。あ、ははははは!」


 顔を上げた殿下はそれはもう思い切り笑っていた。

 冷静を常とし策士として顔をのぞかせる殿下の偽りのない満面の笑みに私だけではなく、同じ部屋に居るお兄様達も驚き固まっているのが横目に見えた。

 

「(何というか、笑顔は似ているんですね?)」


 現実逃避? 知ってますけど?

 嘲笑やらじゃなく満面の笑みがかえってくるとは思わず私も反応が出来ない。

 というか次の言葉がまるっきり思いつかず、ただ笑っている殿下を呆然と見ているしか出来なかった。……後で考えたけど、これって先程の立場が逆転してるよね? この時は全く気が付かなかったわけだけどね!


「ふ、ふふ。――――君は今言った生き方が誰でも出来ないと分かっていて、それでも言い切るんだね?」

「え、ええ。そうですわね。他者が皆同じ生き方を出来るとは思ってませんわ」


 私みたいな自己中の傲慢な輩だけでは人類は滅亡すると思うし。


「私には絶対出来ない生き方だと分かって、それでも私にためらいもなく言い切るんだね、君は」


 そりゃ殿下には絶対出来ない生き方だとは思いますけど、私は殿下のように優しくは在れないので。

 今後の事とかお兄様やお父様への悪影響とか色々考えたけど、ここでなぁなぁで済ましたとしても、何時か私とは意見の相違ですれ違いが起こる。

 それを隠し続けて当たり障りのない関係を続けていたとしても、ならば襲撃時の姿は一体? という話になり結局私の中身が人でなしである事なんて露見するだろう。

 なら今の内に全てを明らかにしてしまった方が楽だと思ってしまったのだ。

 今の時点なら子供の戯言として大人が介入出来ないし、将来的な事は今考えても簡単な事で情勢は変わり心境なんて変動する。

 考え無しのアホには絶対なりたくはない、とは言え、考えすぎで自分で自分を追い込むのもある意味バカバカしいと思ってしまったのだ。

 いやまぁ、色々言い過ぎた後に色々こじ付けただけなんだけどね。

 実際は一つの事を話したらそのまんまある程度話をせざるを得なかっただけ、なんだよねぇ。

 うん、私もまだまだ幼いなぁと改めて思いました。

 

 私の暴言とも言える言葉に殿下は笑顔のままだ。

 とても柔らかい笑顔に私の方が身の置き場がない気分にさせられている。

 うん、自室が居心地悪いってどういう事だろうね?

 何とも言えない顔を隠さないまま殿下を見ていると、殿下はそんな柔らかい笑みのまま私に言葉を投げかけて来た。


「君は酷い人だね」


 言葉は辛辣なのに、笑みを浮かべて声音は柔らかい殿下に私はどう返して良いか迷ってしまう。

 そんな私に殿下は苦笑に笑みの形を変えた。


「そしてとても眩しい人だ」


 噛み締めるように、眼を眇める殿下の何処までも柔らかい言葉に私は本当に身の置き場が無い気分だった。

 心の内を晒すような感情が込められた言葉。

 多分私は今、殿下の心、それもとても柔らかい部分を垣間見ている。

 私なんて殿下からすれば決して心を晒すに値する人間じゃないはずなのに。

 一体何が殿下の琴線に触れたんだろうか?


 思わぬ展開に私は言葉を失い、そして次に言う言葉を言いあぐねている。


「噂なんて信用するに値しない。けれど、君も噂に負けず劣らず「わがまま令嬢」なんじゃないかな?」

「……あら令嬢に向かって「我が儘」などと。他の方に言っては気を悪くされますよ?」


 困った私に対する助け船か、それともただ思った事を言ったのか、殿下の言葉にようやく私は言葉を返す事が出来た。

 ……未だに表情は柔らかいから何とも言えないんだけどね。

 居心地の悪さは続行してしまうらしい。


「君は私とは違う。けれど、それで良いと言う事が分かったよ。……私はロアをあなどり君にあわれみを感じてたんだろう。けれどそんな事を思う方がおろかだったようだ」

「それは思い直して頂いて本当にようございました。……いえ、けどもう少しか弱い令嬢として見て頂いた方が良かったかしら?」

「君をあわれんでいる人間は君にとって良きエモノでしかないという訳か。むしろそちらに同情すべきかな?」

「あら、酷い」

「本当にひどいと思っているならばそれ相応の顔をすべきだよ?」


 言葉の応酬は内容のえげつなさとは裏腹に和やかな笑みを浮かべてなされていて、軽口に過ぎないと示している。

 まさか殿下とこんなやり取りをする事になるとは思わなかった。

 完全なる訣別すら考えていたのに……本当に何が殿下の琴線に触れたんだろうか?

 

「ロアが本心から心配してくれていたというのに見ない振りをし、あなどっていたと思い知らされ、同じだと思っていた君が実際は私よりも強く眩しい人だと知った。どうやら私もまた視界が狭まり、色々な事を見落としていたようだ」 


 瞑目し深く息を吐いた後瞼を開けた殿下はラーズシュタインに来てからずっと纏っていた諦観にも似た暗い翳が薄れていた。

 黒にも近しい濃紺の眸の中にあった翳りが薄れるだけで大分印象が変わって見える。

 全てを飲み込む漆黒の闇ではなく、安寧の夜に変わりつつある、そんなイメージがふと思い浮かんだ。

 

「(憂いを帯びた眸を美しいと言う人もいるだろけど、私は安らぎを感じる夜の眸の方が美しいと思うなぁ)」


 弟殿下はまさに太陽の輝きを纏う人なのだから、兄殿下は夜の安らぎを纏う人になれれば良いのに。

 まぁそうなるためには乗り越えないといけない壁が幾つもありそうだけど。


「(けどまぁ弟殿下がいるから大丈夫なんじゃないかな?)」


 この人、弟大好きみたいだし、ね。

 私は自分の余計なお世話的な思考に内心苦笑する。


「やはり私は優しい嘘や偽りよりも痛くとも真実がほしい、と思う。優しさだけでは救えないモノもあるんだと改めて思ったよ」

「――ワタクシもそう思いますわ」






 その後は我慢しきれなくなった弟殿下が私達の下へ戻ってきて――いえ、あれはむしろ乱入と言える気がするけど――お兄様も近づいてきた事で再び私達は四人で話す形になった。

 とは言え、その後、直ぐにお母様が部屋にやってきて「これ以上はダーリエちゃんの負担になるので今回はこれくらいで」と言ったので両殿下達は早々に帰っていたけど。

 帰り際「元気なったらまた会おう」と言った弟殿下はともかく「もう一波乱あるだろうから気を付けて」と言った兄殿下の言葉が意味深過ぎて怖いのですが?


 襲撃に関しては後は大人の領分だと高を括っていた私は兄殿下の言葉通りもう一波乱に巻き込まれる事になるのである。


 うーん、嵐はまだ完全には去っていないらしい。

 何ともヤレヤレ、である。



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