第101話・漆黒の諦観(3)




「<なぁ、オマエ見られてね?>」

「<ん?>」


 何処か警戒心を含んだ黒いのの言葉に私は周囲を警戒しつつ気配を探る。

 すると少し遠い気がするけど、私達の方に対して殺気のような、敵意を向けている存在がいる事に気づく事が出来た。

 周囲を警戒はしていたんだけど、どうやら普段の警戒範囲では探れない程の遠さはあるらしい。

 この場合気づいた黒いのの方がスゴイような気がしなくもない。

 殿下達に気取られないように気を付けながら物騒な気配の主を探る。

 

 気配の主は城の中から此方を見ていた……違う、此方を睨んでいた。

 視線の主は女性だった。

 金髪緑眼の女性。

 服装からすると――多分王妃様だと思う。

 顔立ちは派手だけど整っていて、服装も又華美であるが、華やかで美しい佇まいである。

 磨き上げられた貴族らしい貴族女性と言った印象を受けるはずだ。

 けど、眼がそれら全ての印象を塗り替えていた。


 只管暗い瞳だと思った。

 柔らかな森林を思わせる緑色が何処までも硬質で冷たい宝石のようであり、それ以上に視線に含まれた憎悪にも等しい壮絶な悪意の感情は華やかさも柔らかさも払拭して何処までも暗く重い雰囲気を此方に伝えてくる。

 それなりの距離があるというのに視線だけで人を殺せるのではないかと思わせる程強い視線に体が自衛手段を取ろうと警告してくる。

 魔法ならば射程距離内なのだと、視線に晒される事よりも回避行動を取ろうとするのを必死に理性でとどめ置く。

 相手が王妃である可能性が高い以上此処で敵対行動ともとれる言動をとる訳にはいかない。

 ただでさえ憎しみがこれでもかって程籠った視線を貰っているのだ、些細な言動でもどんな行動に出るか分かったもんじゃない。

 事を荒立てたくは無いのだ、私としては。

 相手も同じはずなのに、全くそうは感じられない視線の強さが一層私の警戒心を煽っていた。


「<おっかねーな、おい>」

「<結構離れているのに此処まで分かる程の憎悪って……え? 私そんなに恨まれている訳?>」

「<オマエの親を恨んでるっていったって、オマエは直接関係ねーのに、これって>」

「<会った事もないのにこれってどうよ? え? やっぱり令嬢サマの事を可愛がっていたとか?>」


 だから私の行動に怒りを感じた?

 ……えーけど、ちょっと解せない。

 仮に令嬢サマを実の娘として熱望していて可愛がっていたとしたら、直接此処に来て助ければ良いのだ。

 少なくとも私やお兄様は口を挟む事は出来なくなるし、両殿下だって王妃様の言葉を無碍にはしないだろうし。

 失点は失点だけど、王妃の取り成しで今後頑張りましょう、って所まで持ち直す事は出来るかもしれない。

 あんな所で元凶と思っている存在を睨んでいては助けられるモノも助けられない。

 

 これじゃあ自分が可愛がっている娘を助ける事よりも睨む事の方が大事と言われても否定できない。

 だから王妃様は令嬢サマを心から可愛がっていた訳じゃないんだと言う事が分かった。


「<違うとなると此処まで憎まれるような事を私がしたって事? え? 私会った事もないですけど!?>」


 王都に来たのも今回が初めてでパーティーで出たのも一回だけ。

 これでどうやって此処までの恨みを買えっていうのさ!


「<噂は別として、目を付けられる事と言えば――あーあれはどうだ? 【プラネタリウム】>」

「<はぃ?>」


 魔道具のあれ?

 確かに【プラネタリウム】の発案は私となっているけど、あれ噂では親馬鹿のお父様が我が儘娘のオネダリにまけて名前を連ねただけって事になってるみたいだけど?

 そこらへんあのパーティーに出た面々がそれはもう嬉々として私の悪評として広めたらしいんだよね。

 本当は私が発案処か、構造を考えたのも含めてどうしても技量が足りていない所以外は私達子供が作ったモノなんだけど、一切信じてなかったらしい。

 【検査】をしたばっかりの子供が考えられるはずがないんだってさ。

 いやまぁ私は中身年齢詐欺ですが、子供の発想は侮れないと思うんだけどね。

 あとさり気なくお父様を馬鹿親扱いしている所が気にいらないんですが。

 子供の教育も失敗しているどころか自身達が不敬の嵐のくせに、保身と人の悪評を広める事には余念のない輩である。

 あの時の一連の出来事である程度整理できたらしいけど、彼等の最後の悪足掻きと言う奴である。

 何とも鬱陶しい事である。


 今後関わる事の無い方々はともかくとして仮に王妃様に【プラネタリウム】の考案者が私だと知る程の情報網を持っているとしても、どうしてその事でそこまで憎悪を向けられなければいけないのか、という話になる。

 王妃様も私や黒いのと同じく転生者なら理由にもなりそうだけど、その可能性は低いと思う。

 だって転生者が王妃になる程の地位を得ているのに『異世界』の知識を何も使ってないし、お父様達も何も言ってないから。

 そりゃ転生していたって『異世界』の知識を活用する事は出来ないかもしれない。

 生活様式が変わっているだろうし、権力があっても全てが実現できるわけじゃない。

 ただ国王との夢のような生活を送るためだけに知識を活用していたのなら現状もあり得るかもしれない。

 だからそれだけだと根拠としては弱い。

 けどさ、転生した存在特有のこの世界に完全に馴染む事の出来ない「何か」を王妃様からは感じなかった。

 同族は見れば分かる! とまでは言わないとはいえ、王妃様の噂を探った時、それらの情報は一切出てこなかった。

 『違う世界の知識』ってさ、どうしてもこの世界には完全に馴染まないんだよね。

 世界を社会を構築している理から違うのだ。

 だから『知識』を持つ存在はどうしても世界に完全に馴染む事は出来ない。

 私のように混ざり合っても、欠片の差異は残る。

 私なんかはそれでも「私」はこの世界の人間だ、と思っている。

 黒いの……フェルシュルグは自分がこの世界の人間だと思えなかった、何処までも馴染まない事を選んだ人間だ。

 

 けど王妃からはその何方の違和感も感じられない。

 単に遠いから分からないんじゃなくて、本能に近い所での直感だから外れていないと思う。――王妃様は私達と『同類』じゃない、と。


 あと、もしも王妃様が同じならばお父様が知らない気づかないはずは無いし、教えてくれると思う。


 とまぁそんな感じで王妃様は『同類』じゃないと思うんだけど、じゃあ何で此処まで憎まれてるの? って話なる。

 所謂振り出しに戻る、である。


「<じゃあそもそも相手がオマエじゃないって所か?>」

「<私じゃないなら誰よ?>」

「<そこにいる第一オージとかか?>」


 黒いのの推測に私は内心ため息をつく。

 殿下と王妃は血のつながらない義理の親子だ。

 だからまぁ有り得ない話ではない、とは思うんだけど。……ただ殺伐としているなぁとげんなりするだけだ。

 それを確かめる方法も無い訳じゃないんだけど、少しだけ面倒なだけだ。

 とは言えっても確かめない訳にもいかない訳だけど。


 私は覚悟を決めると視線の主と真っ向対峙するために見上げた。

 真っすぐ此方を見下ろす冷たい緑の双眸に身体が自衛手段を取りたくなる。

 此処まで隠さない強い憎悪は私でも恐ろしさを感じる。

 会話が出来る距離じゃない。

 魔法なら辛うじて届くであろう距離。

 だと言うのに私は見えない刃を突き付けられている、そんな威圧感を感じていた。


 王妃は憎悪を瞳に宿らせながらも、無表情で私を見下ろしている。

 私が視線に気づき見返している事にも気づかない訳はないのに次の行動を取る事も無い。


 行動と抱く憎悪のあまりの違いに此方も迂闊に動く事が出来なかった。


 睨み合いは然程長い時間じゃなかったと思う。


 私を見下ろしていた王妃がすっと視線をずらしたのだ。

 王妃はずらした先に居た「何か」を見て先程の無表情とは一転、眉をしかめて意志を持って睨みつけてきたのだ。

 手に持っている扇のようなモノを変形する程強く握りしめ唇をかみしめている。

 先程の人形染みた憎悪とは違い何処までも人間らしい憎しみの感情の発露に私も内心眉を顰めた。


 というよりも一体何を見て?

 そう思った時、肩に温もりを感じ私は其方を見ると殿下が私の肩に手を添え、同じように王妃様を見上げていた。

 その横顔に私はさっきの「話し合い」の時の殿下を思い出した。

 

「(そう、なのかな?)」


 そうかもしれない、違うかもしれない。

 けれどそれを私が問う事は無い。

 これは完全に私から立ち入ってはいけない事だ。


 殿下と王妃の対峙は王妃が立ち去る事で終わったけど、私は殿下に声をかける事も出来ず、途方にくれてしまう。

 沈黙が私と殿下の間に横たわっている。

 お兄様と弟殿下達の会話がやけに遠くでなされているように聞こえた。


 殿下は王妃の去った後をずっと見ている。

 その横顔は何処か寂し気で、それでいて諦めのようなモノを宿しているようだった。


「……此処で取り入ろうとせずにいてくれるから君達を私達は受け入れたいと思うんだろうね」

「殿下?」

「いや、何でもない。……すまない、どうやら私の事に貴女を巻き込んでしまったようだ」


 仮面ではなく心からすまないと思っているんだろう。

 悲しみを孕んだ笑顔は繕っているようには思えなかった。


「……ラーズシュタイン家の者である以上仕方の無い事であると、そう思っております」


 実際王妃様の因縁はお母様とお父様の方が深いと思う。

 場合によっては殿下の方が巻き込まれたかもしれない。

 あそこまで「私」を憎む理由は私には思い当たらないけどね。


「王妃にとって私はつくろう事もする必要は無い相手なんだ。貴族としてのプライドを捨て去る程の憎しみの理由を私が知る事はできないんだけどね」


 笑みを浮かべようとして失敗してしまった、不格好な笑みを私が指摘する事は出来なかった。

 殿下が素の感情を出している事に関しての忌避感もあまりなかった。

 殿下はこの年の子供としては自制しているし自分の立ち位置をしっかりと把握している賢い方だと思う。

 年齢不相応なその様に恐ろしさすら感じていたのだが、今の殿下からは悲しみと賢すぎるからこそ泣けない痛々しい賢さを感じた。


「知る事でもっと傷つくかもしれませんわよ?」


 慰めを殿下が欲してるかは分からない。

 けど周囲の言葉の裏を探り、善意の裏に何かがある事の多い殿下が言葉を素直に受け入れられるのか、私には判断がつかなかった。

 なにより私はあそこまで身内に強く憎まれた事は無い。

 「キースダーリエ」は親や家族に恵まれた子供だ。

 『わたし』はあそこまで憎まれた事は無い。

 むしろ『わたしの親』は……。


 殿下の心に沿う事の出来ない私は殿下が今慰めを必要としているかすら分からない。

 だから私は殿下が自分を立て直すまで見ない振りをする事にした。

 代わりに此処で殿下が何を言おうと私は口外しない。

 この一時の幻としてするつもりだ。


 そんな私に殿下はどう思ったか分からない。

 けど殿下の答えた声は悲しみも震えも感じなかった。


「そうだとしても……優しい嘘よりも痛い真実が欲しい。そう私は思っている」


 守るための嘘は時に守りたい存在こそを傷つけてしまうのかもしれない。

 殿下を見て私はふとそんな事を思った。


 嘘の全てが悪いとは思っていないし、むしろ私も嘘をついてでも大切な存在を守りたいと思う人間だ。

 『前』だって嘘で大切な人を守ろうとした。……まぁ『悪友』も『親友達』も私の嘘なんて簡単に見破った上で思い切り怒られたけど。

 だとしても『今』優しい嘘が必要ならば私は一欠けらも悟られる事無く嘘をつくだろう。

 そこは変わらない。


 だけど、逆に私が優しい嘘に守られたら?


「(怒るんだろうなぁ、きっと)」


 自分を棚に上げてるのは重々承知だけど「私を守るため」ならばともかく「自分が傷つく事を覆い隠す」ために嘘をつくならば怒らないはずがない。

 「まだ早い」や「知る事で傷つく」ならば嘘で隠す事も理解できなくも無いけど、それでもやっぱり水臭いとか私はそこまで弱くはない、と理不尽に怒りを感じるはずだ。

 自分はそうやって大切な存在を守りたいと思う癖に自分がされれば怒りを感じる。

 何処までも矛盾しているけど、本心なんだよね。

 だからこそ厄介な訳だけど。


 殿下は怒りではなく悲しみを感じるようだ。

 それでも根底に自己嫌悪にも似た不甲斐なさを感じているのではないかと思う所殿下は「わたくし」と根底の所で似通っているのかもしれない。

 

 こんな場合「わたくし」ならば慰めを必要とするだろうか?

 肯定と否定、何方を望むだろうか?


「言い切れる殿下は御強い方なのだと思います。そして……わたくしも少しだけ分かる気がいたします」


 慰めも肯定も否定も必要ない。

 なら私は同意の言葉を紡ごう。

 ただし全てを肯定するのではなく、部分的に共感できた程度だけど。

 それでも充分なんじゃないかと思った。


「――ありがとう、キースダーリエ」


 私をはっきりと見て殿下が微笑んだのだから。



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