第100話・漆黒の諦観(2)




 会話が聞こえない程度離れているせいか令嬢サマとお兄様達が何を言っているかは聞こえないけど、すんなりとはいっていないようである。

 と言うよりもこの場で出来る事なんて謝罪が辛うじてだし、それをしないならさっさと立ち去るべきである。

 取り巻きの多少ましな人は令嬢サマを宥めながらこの場を去る事を促しているけどどう見ても上手くいっているようには思えない。

 むしろ悪化している節もあるような?


 やっぱりお兄様を止めなかったのはダメだったかもしれない。

 あんな話が通じない輩とお兄様を会話させたくは無かったんだけど。


「(いや、話を聞かない御貴族サマとの予行練習だと思えば無駄ではないか)」


 どうせ今後道が交わる処か会う事すら無い相手だし、存分に練習になってくれれば良いよ令嬢サマ。


 そんな風にぼんやりと見ていた私だけど、兄殿下が近づいてくる気配を感じて意識をそっちに向けた。


「君達はお互いが大切なんだね」

「殿下?」


 話の目的が分からない事と殿下の声音が思ったよりも寂しそうだったのが引っかかって、私は真意を聞き返す事しか出来なかった。

 私の中での兄殿下は曲者のイメージで固まっている。

 何方かと言えば真っすぐで行動派の弟殿下とは違って冷静にその場を把握し策を練る存在。

 それが私の中での兄殿下だった。


 王族らしいと言えば王族らしい方だと思っていただけに私に感情を悟らせることは無いのだろう、と思ってたのだ。

 私は……と言うよりもラーズシュタインが国に逆らう事は無い。

 建国時から連綿と続く家の一つとして王家に従う事はもはや「当たり前」の事だった。

 現王家が国のためにならないという訳でもない以上私達が王家の敵になる事は無い。

 だから王族である殿下達の敵に回る事もまた無い訳なんだけど、それでも人となりを見極めないまま「家」への信頼だけで心の内を晒すのは抵抗があるのだろう。

 弟殿下はそこらへん微妙に直感に頼っているような気がするけど、そんな事誰もが出来る訳がない。

 普通は時間の積み重ねにより信用を信頼を得るのである。

 だから、少なくとも今の時点で殿下の私達への認識は「敵にはならないかもしれない相手」程度の扱いなんだと思っていた。

 

 そんな相手に弱点とまでは言わなくても弱い部分を晒した事に驚いたのだ。

 これすらも何かしらの策の一環かと思った訳だけど、どうだろうか?

 見上げた殿下の表情からは策を弄する雰囲気は見えず、話題の一つとして出した程度の気楽さしか見て取る事は出来なかった。


「キースダーリエ嬢とアールホルン殿を見ていると本当にお互いが大切で大好きなんだろう、と思ったんだ」


 その声には僅かに羨望が滲んでいる、そんな気がした。

 少しだけ殿下の言葉が不思議だった。

 私は殿下達もまたお互いが好きで大事なのだろうと、そう思っていたから。


「ワタクシは殿下方もお互いが大切なのだろうとお見受けしましたが」

「勿論私はロアが大切だし、ロアもきっと私を大切だと思ってくれているだろうと、そう思っているよ」

「それはワタクシ達も感じる事ができましたわ」

「ああ。だけど、そうだね。――周囲の声も決して小さくはないだろうに、君達はあれだけお互いを思いあっている。それが少々うらやましいと思っただけなんだ」


 変な事を言ってすまない、と微笑む殿下からは策の匂いはしない。

 ただ本当に私とお兄様を羨ましいと思っているように感じた。


 周囲の声が小さくない、というのは多分口うるさく囀る存在の事だと思う。


 お兄様は才能溢れる方だ。

 容姿だってお父様に似ていて将来は美形と言われるだろうし次期当主として弱音を吐く事無く勉学に励んでいらっしゃる。

 それでもお兄様を蔑む輩は存在するのだ。……お兄様に【錬金術】の才がないという事だけで。


 私は錬金術の才には恵まれた。

 後は『前』から持ち込んだ知識やらである種の反則技を使っているから何とも言えないけど、全部ひっくるめてお兄様と同じように周囲から優秀であると思われている。

 現時点ではお兄様を凌駕する事柄も少なくない。

 けれどそれらはあくまで「現時点では」なのだ。

 今後歳を重ねていけば重ねていく程私は勝てなくなるだろう。

 次期当主に相応しいのはどう考えてもお兄様だと言うのに、目先の欲に眩んで、私を御しやすい駒と思い込み私を次期当主に祭り上げようとする輩は少なからず存在するのだ。

 その際に理由として挙げているのがお兄様には錬金術の才能が低いという事だった。

 見当違い甚だしいとしか言いようがない。

 ラーズシュタインは確かに錬金術師を祖としてはいるが、決して当主を継ぐのに錬金術師である事は必須ではないというのに。

 何代か前など高位の錬金術師が生まれず魔術師が当主である時代が続いたと、しっかり家系図にも載っている。


 本家の事など知らないと言い切るならそれでも良いけど、ならば一切の干渉をしてくれなと言いたくなる。

 中途半端に口を挟んで自分が甘い蜜を吸うために私を祭り上げようと躍起な姿は憐れみすら誘う程である。

 万が一私が当主なったとしても、そういった輩は真っ先に切ってしまうというのに。

 見かけに騙され過ぎである。


 お兄様に嫌われるかもしれない、嫌われたかもしれないと思った時の胸を引き裂かれそうな痛みを私は忘れる事なんて出来ない。

 仮にお兄様が私を嫌ったとしても私のお兄様への親愛は揺るがないけど、悲しみは常に付きまとう事になっていた。

 だから今お兄様が私を愛して下さっている事はとても嬉しくて、これが当たり前ではないのだと胸に刻むばかりである。

 すれ違いは悲しみを生み出す。

 それを私とお兄様は体験して身に染みているのだ。


「ワタクシ達はお互いの思いを言葉にいたしました。恐れや悲しみ、それに幾ばくかの嫉妬を。そしてそれ以上の喜びを。思いの全てを語りつくす事は出来ませんが、それでもお兄様の心を知る事が出来、ワタクシの心を知って頂いたあの時間はワタクシの中で得難い時間だと思っております」


 お兄様を失わずに済んだ事への安堵もまた忘れる事は出来ない。

 あの時間があったからこそ私達はこうしてお互いを思いあう事が出来るのだと思っている。

 時には言葉を尽くす事も必要なのだと、私はあの時強く認識したのだ。


「もしワタクシ達がお互いを思いあっているとお見えになるのでしたら多分、その御蔭でもあるのかと」

「言葉にする、か」

「少なくともワタクシ達は想いを言葉にしお互い伝え合う事でお互いの思いを知る事が出来ました。話し合うだけで全てが解決するなんて絵空事だとは思いますが、思いを言葉にせねばならない時も又あるのではないかと。今私はそう思っております」


 全てが話し合いで解決する……血の流れない解決は全ての理想だろうと思う。

 けど、そんな事所詮絵空事でしかない。

 人は争いを無くせない生き物だ。

 人が二人居れば意見の相違が起こり、衝突が起こる。

 規模に大小あれど衝突を完全になくす事なんて出来ないだろう。

 

 争いを完全になくす事は出来ないのだから、私達が出来る事など、争いで少しでも悲しむ人が少なくなるように尽力する事だけだろう。

 懐に入った存在以外は基本どうでも良い私だって万人の不幸を願っている訳じゃない。

 争いで悲しむ人が少ない方が良いに決まっている。……その方が私の大切な皆も憂いなく笑ってくれるのだろうから。


「思いを言葉に。それは……とても簡単で、それでいてとても難しい事だね」


 兄殿下の視線はお兄様と自身の弟殿下に向いていた。

 ただその視線は殿下を通り越して別の誰かを見ている、漠然とそんな気がした。

 弟殿下だけではなく、殿下を通して違う誰かも見ている、のだろう、きっと。

 その誰かは分からないが、殿下にとって複雑な相手なのだろうと言う事は分かった。

 

「あくまでワタクシ達はそうだった、というだけですわ。人と人の繋がり方に答えなどないのですから」


 マニュアルだって存在しない。

 一人として同じ人は存在しないのだから、人の考えは千差万別。

 ならば人と人の繋がりも一つとして同じモノはないのだろう。

 私とお兄様が積み重ねて来た過去と兄殿下が弟殿下や誰かと積み重ねて来た過去が違うように。

 それに少し思うのだ。

 兄弟の在り方など、それこそ人それぞれなのではないかと。


「ワタクシは殿下方はお互いに親愛の情を抱いているように見えます。少なくともお互いが大切なのだ、と」


 弟殿下の認識を歪めた相手に憤りを感じていた兄殿下は勿論の事、話の中で兄殿下の事を目標としていると言っていた弟殿下だってお互いの事が大切なのだと一目で分かるモノだった。

 私とお兄様の関係がどう見えているかは分からないけど、殿下達も上流階級の中でも仲の良い方だと思う。

 跡継ぎ問題で殺伐としている貴族も大勢いるのだから。


「私はロアが大切だよ。そしてロアも私を慕ってくれている。そこが間違っているとは流石の私も思っていないよ。ただ……それでも私がロアに嫉妬を感じなかった、なんて言えないんだ。うらやましいのだと思わない訳がないんだ。私も王族の男子なのだからね」


 殿下が弟を見る目に宿っているのは羨望、なんだと思う。

 寂しそうな表情はつくられたモノには見えなくて……思いたくないのかもしれない。

 殿下の眼差しは私は馴染みがないけれど「わたくし」には少し覚えのあるモノだったから。


 「私」となる前「わたくし」は魔術の才能に溢れるお兄様が羨ましかった。

 思いの発端はわたくし達を取り巻く環境、口さがないモノ達の囀りのせいだ。

 あんなに優しく素晴らしいお兄様を認めようとしない悪意が籠った言葉の数々。

 わたくしを傀儡にするために心の無いお世辞を散りばめた中身の無い虚しい言葉の数々。


 子供だから分からないわけもないのに、わたくしとお兄様に耳障りな囀りを置いては去っていった。

 わたくしはそんなお兄様を悪意から守るために即効性のある「力」を欲しがった。

 だから錬金術の才能を欲しがる反面魔法の力をも求めていた。


 魔法至上主義では決してなかったと「私」は言えるけど、そちらに転がりかねない危うさをわたくしは孕んでいたのだ。


 それでお兄様の魔法の才能に羨望を抱くのだから本末転倒なのだけど、お兄様を大好きだという気持ちはそのままに目的はそのままに魔法の才能に溢れたお兄様を羨ましいと思っていたわたくし。

 私としては自分の事ながら器用だなぁと笑うしかなかったんだけどね。


 そんなお兄様へ向けていた羨望の気持ちは殿下が抱いている気持ちに似ているのではないかと思ったのだ。

 大好きだけど愛しているけど、羨ましいと思う心を止める事は出来ない。

 

 もし殿下が「わたくし」と同じ気持ちを抱いているのだとしたら、それは相手を愛しているからこその感情だから悪いモノとは一概に言えないと思うんだけど。


「王になりたいと思った事は無い。けど人を率いる才覚を持つロアの才能に嫉妬を抱いた事はある。……同時にロアこそが次代の王に相応しいのだと心から納得もしているんだ。ロアが王となる姿を脳裏に描き出す事が容易にできるくらいね」


 やっぱり殿下の抱いている気持ちは「わたくし」に近い。

 私だってお兄様は素晴らしい方であり次代の公爵家当主に相応しいのはお兄様だと確信している。

 けどお兄様の魔法の才に羨望を抱いた事は無い。

 錬金術という心の中で一番占める部分の多い才能を私は有していたから。

 高い低いと言う意味ではなく、錬金術を使う事が出来る。

 それを許された時私は他の才能の有無をあまり気にしなくなった。


 だから「私」はお兄様の才能を凄いと思いながらも嫉妬する事無く、眩しいと思いながらも薄暗い感情を抱く事は無かった。

 

 そんな私は心から殿下の言い分に共感する事は出来ない。

 けれど「わたくし」の記憶があるために理解する事は出来る。……理解出来るだけで共に悩む事も慰める事も出来る訳じゃないけど。

 

「(そもそも慰めを求めているようには見えないし)」


 此処まで心の内を晒すとは思ってもいなかったけど、殿下は私達の姿や在り方が琴線に触れたらしい。

 敵にならないと思ってくれた、というのもあるかもしれないけど。


「私は自身の意志でこの立場に居る。ロアを支える事は自身の意志で決めた事だ。……ロアの頭上に王冠が見えたあの時から、ずっと私にとって次代の王はロアなんだ。誰に気が早いと笑われようとも、考え直せと言われようともね」

「……ワタクシもお兄様こそ次代の当主になるのだと思っておりますから、殿下が煩わしい思いをなさっている事、少しですが分かる気も致します」

「子供だから、と御しやすいと思ってもらっては困るんだけどね。……私は年上だけど、それだけで継げる程王位は軽くないとどうして分かろうとしないのか」


 自分が旨味を得るためには何でもやる存在はどこにでも沸くからね、と笑う殿下。


 そんな相手を逆手にとって情報とか色々搾り取りそうな顔していますけど、殿下?

 隠して下さい殿下。

 滲み出る処か積極的に出してますよね、お腹が黒い所を。

 いよいよ同類認定された気がします……気のせいって事にしておきたいです。

 殿下自体がどうこうというつもりは更々ないけど、私はどうしても殿下が同類とは思えない。

 似ている部分や理解できる部分は多いし、もしかしたら人の性質を大まかに分類する事が可能ならば、同じ分類に入るかもしれない、とは思う。

 けどそれ以上に似ていない部分が大きすぎる気がするのだ。


「(だって、この方は何処か危い気がする)」


 兄殿下は自分の身を軽く見ている気がするのだ。

 大事なモノと自分を天秤にかけて大事なモノに傾くような、自暴自棄じゃない、死にたがりという訳でもない、けど自分の身で補えるなら真っ先に自分を差し出す、一種の潔さのようなモノを感じる。

 私も大切なモノのために命を懸ける事を良しとする部分を持ち合わせている。

 けど殿下程自分の身を蔑ろにはしていない。

 自分の身が損なわれる事で大切な人達が嘆く事を知っているから、私は自分の身も最大限守るのだ。

 どうしても……どうしても大切なモノと自分の身が並び立たないと分かった、その時は迷わず自分の身を差し出すけれど、そこに至るまで最後まで足掻く事は諦めないと言い切れる。

 殿下からはそういった諦めの悪さを感じない。

 大事なモノと引き換えだと言われた時あっさり命を投げ出し、そうした事で涙する大事な存在を見て、その時初めて自分の価値を実感する。

 そんな最悪の状況になりかねない、と思ったのだ。


 勿論私の想像でしかないけど、何となく策を弄して人を翻弄する事を得手としているのに感じる危うさは、私の想像が強ち間違っていないのではないか。

 そんな気にさせるのだ。


 生命力溢れる弟と自身の命の価値に迷う兄。


 真逆とまではいかないが、二人が違って見えるのはそういった内面から滲み出ている覚悟の種類によるんじゃないかと、そんな事を思った。


「(ただ、同じように王族としての教育を受けながら此処まで違いが出るモノなんだろうか?)」 


 次期国王では無いとはいえ王位継承権を持つれっきとした王族である兄殿下に対して此処まで危い根幹を植え付ける事が可能な存在がいるんだろうか?

 生来のモノとして持ちえるにはあまりに周囲が悲しむし生物としての自己防衛本能に反している気がする。

 

 それを植え付ける事が可能な人など、血縁上の父である国王や、乳母など幼い頃から共にいる人間。

 それに……――


「(――……家系図上親子となる王妃様)」


 弟殿下の母君でありこの国の正室である王妃様。

 この国において女性第一にいらっしゃる方なのだ。

 

 王族ともなれば子をお産みになっても子育ての殆どを乳母がする。

 貴族の場合も家格が高くなればなるほどその傾向にある。

 ラーズシュタインのようにお母様が率先して子育てをする家など稀である。

 子供を真っ当に愛そうとしてくれるお母様もそれを許してくれるお父様も大好きだけど。

 とまぁ我が家のような例外はともかくとして、王族ならば子を産んだ後乳母によって育てられる。

 ただ兄殿下の御母上が何時亡くなったかによっては王妃様を母として育った可能性もある。

 真実を何時知ったかはともかくとして、もし王妃様が兄殿下に冷たい態度だったら?

 弟のみを溺愛していたのなら状況は最悪だ。

 場合によっては弟を排除する程の憎しみを抱いた可能性が高い。

 少々の嫉妬を抱きながらも弟が王位を継ぐ事を望んでいる「今」は奇跡ともいえるだろう。


 王妃様の人間性が真っ当である事を願いたい所なんだけど、先生方の話を聞いたら限りあまり期待できなかった。

 後、兄殿下の人となりを考えるに、余計期待は出来ないと思った。  


 それを問う事は流石に不躾だし私が介入できる範囲を超えているからしないけど、これから相対する可能性のある存在の人間性に内心ため息をつくしかなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る