第51話・私の変わらぬ決意と覚悟の夜




 羽ペンをインク瓶に戻すと、カチッと云う音が静かな部屋に響いた。

 計画を見直して不備が無いか確かめていたんだけど、何となく引っかかる事があって、集中できなかった。


 目の前には相変わらず様々な言語が入り交じった私以外には解読出来ない、計画の変更点やらが書き込まれた紙。

 ちょっと右に視線をずらせばリアが入れてくれた紅茶のカップ。

 今はもう夜だから無いけど、昼間ならお菓子とかも一緒に添えられているはずだ。

 そんな細やかな気づかいをしてくれる私付きのメイドであるリアは今はこの部屋に居ない。

 けれど呼べば直ぐに来てくれる。

 部屋の中を見回せば品の良い調度品が騒がしくない程度に配置されているのが見える。

 私の年頃にしては広すぎると言える部屋。

 けど貴族令嬢としては決して広いとは言えない部屋。


 貴族、それも高位の公爵令嬢であるキースダーリエにとっては当たり前にある日常と様々なモノの数々。

 私が「キースダーリエ=ディック=ラーズシュタイン」として生まれたからある現実。

 

 当たり前にあるモノだけど、当たり前では無かった可能性もあったモノ。

 

 今更貴族である事もキースダーリエである事も忌避する気も無いし、私は私でしかないのだけれど。


 それでも彼に出会った事で思うところがない訳じゃない。


 私の思考と似通った面を持ちながら根底にある何かが決定的に違う唯一の同胞にして、今最大の障害であるフェルシュルグという男。 

 彼との違いは本当に生まれ落ちた場所の違いだけなんだろうか?

 

 私は貴族という枠組みしか知らない。

 しかもまだ半人前である私の知る貴族の世界も貴族社会の欠片程度の知識でしかない。


 一人前として社交界に出た時私は何を思うんだろうか?

 思ったよりも陰惨だと思うのか、それとも思ったよりも華やかだと思うのか。

 もしかしたら想像よりも華やかで想像よりも闇深く陰惨なのかもしれない。

 

 今は想像しか出来ない貴族という生き方。

 それでも分かる事はある。

 何を思ったとしても、何を悔いたとしても私は私として生きていくという事だけは生涯譲る事の出来ない願いにも似た覚悟だった。

 

 この世界で大切な人がいる私にはこの世界を疎ましく思う事もこの世界を憎む事も無い。

 だから私にはフェルシュルグが言う「この世界に安らぎを感じた事は無い」という言葉を理解する事は出来ない。

 それはきっと私が貴族だからとか、彼が平民だからとかそういう事じゃないんだと思う。


 例え私にとって日本が唯一の故郷だと思っていたとしても、死ぬ事で唯一の場所に戻る事が出来るのはではないかと考えたとしても、私は絶対に自ら死を望んだりはしない。

 ただ息をしているだけなんて事も絶対にしない。

 私は最期の時まで私らしくこの世界で生きていく。

 “死”を自ら選ぶなんて私には出来ないのだから。

 

 ……けど、それは私だけの思いだし『私』が培ってきた価値観だという事も分かっている。

 それをフェルシュルグに押し付ける気は更々無かった。

 だからこそ価値観の共有を無意識に望むフェルシュルグの態度は白けるし嫌悪を感じるのはないかと思う。


 私が理解できる安らかな死は足掻いて足掻いて、最期まで足掻いた上での死だけだから。

 自ら命を諦めて、逃避のように死を望む態度は私には理解出来なくて、言ってしまえば気持ち悪かった。


 フェルシュルグはこの先二度と会う事は無いであろう無二の同胞である事は分かっている。

 それに『私』ですら終ぞ持つ事の無かった甘さと優しさを今も引き継いだ人間でもある事にも気づいてしまった。

 

 敵対してなお、私に隙を見せてしまう愚か者であった彼。

 付け入る隙はあるのだから私にとっては幸運である事には違いない。

 ないのだけれど……。


 彼は私が同胞であるが故に私に隙を見せた。

 彼は忘れているのだろうか? ――自分の策で私を殺そうとした事を。

 

 命の危機とは「同胞」だからという事だけで帳消しになる程軽いモノだったんだろうか?

 確かに埋まる事の無い飢餓感は辛いし、癒える事の無い絶望感に目の前が暗くなる事もある。

 その気持ちは分かるし、それをどうにか出来る唯一の存在を手放したくはない気持ちも理解出来なくもない。――共感できるかどうかは別の話だというだけで。


 私は彼の言葉には共感できなかった。

 だから私は私の思いを吐き出したに過ぎない。

 あの時私が彼に言った言葉はほぼ心から思った本音だった。

 その結果、フェルシュルグが何を思うかまで考える必要性を感じなかったから考慮しなかった。


 私が言った「同胞は必要ない」と言葉は私が考えるよりもフェルシュルグの心を抉ったようだと分かったのは、彼の表情が歪んだからだった。

 私と彼の生きてきた環境が違うのだろうと漠然とだけど分かったのもこの時だった。

 

 彼にはきっと心を癒す存在が出来なかったんだろう。

 それは彼が悪いのか周囲が悪いのか分からないけど。

 ただ思うのは、彼にとって「同胞」とはこの世界に置いて最後の砦だったのかもしれないという事だった。

 最後に手を伸ばして縋る事の出来る存在。

 それが彼にとっての「同胞」である私であった。


 だとしたらその手をあっさりと振り払い、切り捨てた私という存在は……――


「――……憎くて憎くて仕方ない人間となる」


 ……はずだよね?


 その割には私を酷い奴だと言った癖に、その目に宿っていた憎悪はむしろ薄れていた気がするけど。

 

 嫌いだというフィルターがかかっているせいか、私はフェルシュルグという男を図りかねていた。

 情報を集めれば集める程彼という人間の輪郭がぼやける気がしてならない。


 彼を心から理解し共感したい訳ではないというのもこの場合痛かった。

 表面を浚い彼の思考をそれなりに理解する事は今の時点でも出来るかもしれない。

 けど、そこ止まりだ。

 彼の心の奥に潜む感情を掬い上げる事は出来ない。


 ……そもそもそんな必要があるとは思えない自分の心が一番の問題かもしれないけど。

 

「私はフェルシュルグを理解したい?」


 自分に問いかけても答えは「No」だ。

 私にとってフェルシュルグは既に敵という位置づけの人間でしかない。

 幾ら向こうが私に対して何かしらの正の感情を抱いたとしても、私の琴線には欠片も触れる事は無い。

 排除すべき敵であるという位置づけから一歩も動く事は無い。

 曖昧な感情に「嫌い」という名を付けてしまったのだから、最後までそこから動く事は無いだろう。

 ……それがひっくり返る程の何かが起こるとは考えにくい。

 

「なら私は一体「何を」思うところがあるの?」


 相手を理解する気も無いし、共感する必要性もない。

 フェルシュルグの出方をはかるためにある程度の性格や思考を把握しておく必要はあると思うけど、深い所まで知る必要は無い。

 私が警戒すべきは彼自身では無く、彼の持つ能力であるはずだ。


 なら私は何故、こうして彼に対してモヤモヤとした感情を抱いているのだろうか?

 

 私は自分の性格が物語で云う「悪役」向きである事と彼の性格がやっぱり物語で云う「ヒーロー」向きだったであろう事を気にしているのだろうか。

 この世界が『ゲーム』に酷似した世界である事を私は知っている。

 多分時間の流れは『ゲーム』と同じなんだろうという事も分かっている。

 もしかしたら大きな事件も同じかもしれない。

 未来予知よりも精密である一方博打とも言える私が知っている「起こるかもしれない未来」

 この世界はそれこそ唯一無二の現実である事をしっかり認識しながら、どうしても頭の片隅から離れない『ゲーム――作り物の世界――』なのではないかという意識。

 この世界に生きる全てに喧嘩を売っていると知りながらも振り払う事は決してできない考え。

 此処が「神の創りし箱庭」なのではないかという有り得ない思考。

 

 私は自分と彼をそれぞれ配置し、現在対峙している現状は神々が意味を求め行った、業とだとでも思っているのだろうか?

 幾ら私が【闇の愛し子】だとしても、それはあまりに傲慢で危険な考えだった。

 そんな大それた事を私は考えているんだろうか?


「……違う。それじゃあフェルシュルグにモヤモヤしているのではなくて、彼を通して背後の何かに対して抱いている事になるし」


 私が思う所があるのはフェルシュルグ自身に対してだ。

 だからそんな壮大な話じゃない。


 ……じゃあ何で?

 思考が振り出しに戻ってしまい小さくため息をつく。


「初めて彼と対峙した時はただ只管彼の「死」に対する思いの違いにイライラしただけだった。最後には私も冷静さを欠いていたし、結果的には痛み分けかもしれないけど、情報を互いに得た事を考えれば、私の負けと言えるかもしれない」


 タンゲツェッテが貴族主義で単純だったからこそ今も計画は破綻していない。

 運に助けられたのだから私の負けでもあると言える初対峙。


「二回目は冷静さを欠いたつもりはない。けどフェルシュルグも冷静だったし、同郷であると分かったからか、彼は、多分素に近い態度だった」


 私の言葉を疑う事も無く、私に本音であろう言葉を質問を投げかけてきていた。

 私を嫌いながら、私に対して何かしらの情を抱き始めていた。

 敵対しているのに、フェルシュルグは私の大切に手を出したのに、今更何が変わるというのか。

 何も変わらないという事すらも分からなくなってしまったんだろうか?


「あぁ、そうか。――私は今更なのに『同胞』である事だけで全てを覆そうとしたフェルシュルグに苛立っていたのか」


 そして『同胞』というモノが其処まで思考を狂わせる事に恐怖も抱いたのだ。


 唐突に理解できたモヤモヤの理由に私は苦い思いも抱かざるを得なかった。

 

 今、私は彼を切り捨てる計画を実行する気でいる。

 けど未来は?

 私は私の選択を後悔するかもしれないと思ってしまったのだ。

 対峙している時は勢いもあるから絶対に後悔しないと思っているけど、こうして一息ついて冷静になれば、本当に大丈夫なのか? という弱気な心が顔を出す。

 計画を実行した時、私が『同胞』を失う事に一瞬でも躊躇したら?

 それこそ私は自分自身も一生許せなくなる。

 今、こうして考えている事を一生涯貫けるのかどうか。

 私は一瞬でもそう考えた自分に恐れを抱いたんだ。


 今更それを思い出させたフェルシュルグの曖昧な対応と眸に宿る情にも怒りを覚えた。

 敵対したのだから最後まで私達の立ち位置は変わらないのに。

 今更そこに別の「何か」を介在させようとしているから私は苛立ちを感じたのだ。


 フェルシュルグの言動は全て無自覚だろうと思う。

 意識的に出来る事じゃないのだから無意識なんだという事は分かる。

 けど、だから何だというんだ。

 

 私は彼を理解する気も今後彼の考えに共感する気もない。

 

 それが私の出した結論であり、計画上それでいいのに。

 今更与えられた要らない情報に苛立つ心を宥める事が出来ない。

 思考は無駄に回り、考えなくても良い事まで考えてしまった。

 

「御蔭で生まれ落ちた場所なんてどうしようもない事まで悩んでたら世話ないよねぇ」


 時間の無駄と言えば時間の無駄だったけど、意味も分からずモヤモヤしているよりはずっと良い。

 計画実行中に思い立った方が余程悲惨だし。

 ……そうとでも考えないとやっていられない。


「私とフェルシュルグは敵対関係でしかない」


 口に出して自身に再認識させる。


「フェルシュルグは私の大事なモノを害そうとした。これからも害する可能性は高い」


 私の命も脅かされた。

 私は忘れない……あの時必死に見上げた先で見てしまった彼の憎悪を宿した冷たい双眸を。


「数多くある道から私達は敵対する道を選んだ。彼が何者だろうと私達の道が交わる事は無い」


 彼の心境にどんな変化あろうとも私には関係の話だ。

 私が彼に情をかける事は無い。


「私には『同胞』なんて必要ないのだから」


 砂漠の中の一粒の砂金だから、全てが許される訳じゃない。

 私が私として生きるため……私の大切なモノを蔑ろにしないとこの飢餓感を埋められないというのならば、私は喜んでこの飢餓感と一生付き合おう。

 切り捨てた事を後悔する暇もない程大切な人達と駆け抜けよう。

 

 私は目を閉じると大きく深呼吸をした。

 ゆっくりゆっくり一回、二回と呼吸をする。

 

 脳裏には複雑な表情をしているフェルシュルグが浮かぶけど、心は静かだった。

 切り捨てる事が出来た、と思っている。

 元々が敵対している相手なのだから、そこにどんな要素がプラスされようとも最初の立ち位置から動かない。

 

「私は後悔なんてしない」


 未だ目は閉じたままだ。

 今は視覚からの情報は必要ない。

 必要なのは私の中にある不安や恐怖をどう解消するか、その方法だけであり、それを考える頭だけだ。


「耐え難い飢餓感だろうと、身を蝕む絶望感だろうと、大切な人達を傷つけられた怒りに比べれば大したモノじゃない」


 心の奥底にあるコレの特効薬なんて私には必要ない。

 だって、そうでしょう? ――その特効薬は私の大切な人達の涙と引き換えなんだから。


「フェルシュルグ。私には貴方は必要無い。――道を違えた『同胞』が存在を奪い合うなんて当たり前に起こる事でしょう?」


 私は変わらない。

 貴方の心が幾ら変わろうとも。

 だから貴方もその甘さは捨てて欲しいと思うかな?

 その方が私も欠片の気兼ねもすることなく全力で潰せるのだから。

 

「(これ以上嫌いだと思う所を増やす事はない、と、貴方もそう思うでしょう? どうせ最後は譲れない思いのために相手を排除するしかないのだから、ね)」

 

 私は脳裏に残っている、困惑している同胞-フェルシュルグ-にそう語り掛けると微笑みを浮かべるのであった。 



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