第19話 進展

 サヤちゃんを落ち着かせようと、僕はしばらくの間彼女をそっと抱き寄せていた。

 けれども今は僕達は密着を解いて、向かい合わせで教室の床に座っている。

 自分としてはかなり大胆な事をしてしまった自覚はあるけど、泣き出したいのに痩せ我慢をして笑っていたサヤちゃんの顔を見たら……身体が自然と動いていたんだ。


「……ええと、ありがとうね! わたしったら、変に強がっちゃってたよね。だけど須藤くんの……か、カズキくんのお陰で、かなり落ち着いたよ」

「う、ううん! 僕は自分に出来る事をしただけだし……そうやって立ち直れたのは、サヤちゃんの芯が強いからだと思うよ」


 結果としてサヤちゃんは気分が落ち着いたようだから、多少の気恥ずかしさはグッと抑えて……。


「……あ、そういえばなんだけど」


 僕は少しぎこちなさの漂う雰囲気の中で、ポケットに入れておいたお札を取り出した。

 サヤちゃんは僕の手にあるそれを見て、軽く首を傾げながら言う。


「……? カズキくん、この紙って……お札、かな?」

「うん、一応はね。僕らの手作りのお札ではあるんだけど、花子様に作り方を教えてもらったんだ」

「は、花子様……?」






「──という訳で、新校舎のトイレに居る七不思議の花子さん……花子様が、僕達に力を貸してくれたんだ」


 サヤちゃんにはまだ花子様について話していなかったから、僕達が彼女に出会ってから旧校舎に来るまでを説明した。


「で、その……何かあった時の為にお札を作った方が良いって言われて、部室で見付けたサヤちゃんのメモ帳を使わせてもらったんだけど……」

「あ……言われてみれば、最後のページのところに切り取った後があるね」


 メモ帳を眺めながらそう言ったサヤちゃんに、僕は土下座の一歩手前ぐらいのポーズで頭を下げた。


「サヤちゃんの物なのに、勝手に切り取ってごめん!」

「えっ、ちょっとカズキくん⁉︎ そんなに謝らなくて大丈夫だよ!」

「でも……」

「もしかしたらそのお札が役に立つ時があるかもしれないし、皆がわたしを助けに行こうとしてくれたから考えた対抗手段だったんでしょ? ……それならわたしは、何枚だってメモを使ってもらって構わないよ。皆の安全の為なんだもんね」


 むしろ、丸腰でいられるよりずっと安心出来るよ……と、彼女は小さく微笑みながら言った。

 彼女の言う通り、僕達がこのお札を作ったのは自衛の為だった。

 けれど、勝手に自分の物を使われても「皆の為になるなら」とすぐに許してくれたサヤちゃんの優しさには、感謝してもしきれない。

 でも、その前に今のやり取りで気付いた事があった。


「……そうだ、このお札はサヤちゃんが持っててよ」

「え、どうして?」

「きっとサヨは君を一番に狙って来るだろうから……だから──」

「ううん。これはカズキくんが持ってて」


 差し出したお札ごと、サヤちゃんは僕の手を優しく押し返す。

 どうして受け取ってもらえないのか戸惑っていると、彼女は……


「わたしじゃ、いざって時に怖くて動けなくなっちゃいそうだからさ……。だから、もしわたしが危なくなったら……その時は、君に助けてほしいんだ」

「……っ!」


 照れ臭そうに笑いながら、そう告げたんだ。

 眼鏡越しの視線は、心から僕を信頼しているのだと伝わるもので。

 数年間、僕達は離ればなれになってしまっていたけれど……それでも、彼女とは子供の頃から互いを信じ合う関係性だったんだ。

 多少のブランクがあったって、やっぱり僕達は気の合う幼馴染で……お互いに最も心を許せる相手である事に変わりわない。

 七不思議の事件に巻き込まれてから、その事実がどんどん身体に染み渡るように再確認されている。

 ……この心臓の高鳴りが、七不思議への恐怖によるものなのか否か。

 その答えは、僕の中ではとっくに明確なものになっていた。


「……ま、任せて! サヤちゃんの事は、今度こそ僕が絶対に守るから!」

「ふふっ……! カズキくんの事、頼りにしてるよ」


 ポニーテールの毛先を揺らしてクスリと笑う彼女に、自分にとってかけがえのない存在なのはやっぱりサヤちゃんなんだと……もう二度と失ってはいけない女の子なんだと、改めて胸に刻み込む。

 元の世界では、彼女の存在は人々の記憶からも、記録からもほぼ全てが抹消されてしまっている。

 サヨの野望が果たされてしまえば、サヤちゃんはこの旧校舎に閉じ込められたまま……僕達の記憶からすら、消されてしまうかもしれない。

 だけど、そんな事は絶対にさせない。

 彼女が僕を頼ってくれるなら、僕は自分に出来る最善を尽くしてやるさ……!



 タッタッタッ……!



 と、重なる二つの足音がこちらに近付いて来るのが聴こえて来た。

 その直後に廊下から足音が消え、間髪をいれずに僕達の教室の扉が開け放たれた。


「あっ、須藤! それに雛森も……無事だったんだな!」

「新倉と村田さん! 二人も無事に逃げられてたんだね」


 やって来たのは、一階のトイレ前で別れたきりだった新倉と村田さんの二人だった。

 けれども、村田さんの表情は曇っている。

 その理由はすぐに彼女の口から知らされた。


「私達が逃げ込んだ先の音楽室で、七不思議のピアノが鳴り出しました。じきに私達が三階へ逃げた事も伝わるでしょう。早くこの階から移動しましょう」

「『夜の音楽室のピアノ』か……!」

「そ、それじゃあもしかして、その音に反応して人体模型が来ちゃうんじゃ……!?」

「ええ。私達はそれを警戒して、いち早くお二人と合流せねばとこちらに参った次第です。一応、自衛用のお札や塩は持ち合わせていますが……」


 言いながら、村田さんは手にした食卓塩の瓶に視線を落とす。

 すると、彼女はそれをサヤちゃんに手渡した。


「雛森先輩はこれを。塩なら蓋を開けて撒き散らせば、遠距離からでも攻撃出来ます」

「お、お塩で……?」

「清めの塩です。もしかすれば、あの人体模型を足止め出来るかもしれません」

「だけど、これをわたしが貰っちゃったら響子ちゃんが……!」

「私や新倉先輩達も、一人一枚お札を持っています。いざという時はこれでどうにか出来ます。ですから、先輩にはこちらを……」


 あまりにも真剣な表情で告げた村田さんの勢いに、サヤちゃんも折れざるを得なかったらしい。

 食卓塩を受け取った彼女は、申し訳なさそうな顔をしていた。




 全員が合流したところで、次なる脅威に備えて場所を移す事になった。

 新倉達の話が事実なら、これで僕達は『トイレの花子さん』『夜の音楽室のピアノ』『動く人体模型』『開かずの扉』『夕方の合わせ鏡』そして『赤い手帳』には遭遇してきた訳だけど……。


「残る七不思議もあと一つ……『魔の十三階段』には関わらずに来たけど……」

「ここまで七不思議が出揃って来ると、そいつもいつ出て来るか分かんねえよなぁ」


 僕達は教室を出ると、スマホで足元を照らしながら階段を降りようとしていた。

 僕と新倉を先頭に、村田さんが後方に気を配りながら階段前に並んでいる。

 まだ僕らが出会っていない四番目の七不思議は、何らかの条件を満たした際に現れるという話だけど……新倉の言う通り、一つだけ出ないまま返してもらえるようには思えない。

 すると、後ろからサヤちゃんが小さく声を発した。


「その『魔の十三階段』って、どんな話だったっけ……?」

「ある条件を満たした際に現れる、絞首台と同じ十三段の階段の事です。それがただ単に縁起が悪いというだけなのか、それを登り切ってしまったが最期なのか……。まあ、少なくとも階段を降りる今なら問題は無いかと思いますが……」


 こちらを向いた村田さんの目が「早く降りろ」と訴えているような気がして、僕は意を決した。


「……それじゃあ、早く移動しようか。ひとまずは二階……で、良いかな?」

「ああ。あの人体模型が図書室から動いてるなら、しばらくはあそこも安全だろ」

「なら、そこで改めて作戦を練り直そう。サヤちゃん、村田さんもそれで良いかな?」

「うん、わたしはカズキくんの意見に賛成だよ」

「私も賛成ですけれど……お二人共、いつの間に名前を呼び捨てにするようになったのですか?」

「え……」

「あっ……!」


 村田さんにそう問われ、互いに『しまった』といった表情で顔を見合わせてしまう。

 サヤちゃんと会えて気が抜けていたのか……自分でも気付かない内に、彼女を子供の頃と同じように呼んでしまっていたらしい。

 すると村田さんは、僕とサヤちゃんの間に割って入るように身をするりとねじ込ませて、僕と彼女の顔を交互に見ながら問い詰めて来る。


「私と新倉先輩の居ない間に、いったい何があったのです……? まさか、私達に言えないような出来事でも……」

「そそそ、そんな事ないよぉ……⁉︎ ね、ねえ須藤くん!」

「う、うん。何も……何も無いよね、雛森さん……!」

「本当ですか……? その慌てふためきよう、怪しさが令和最高値を記録してしまうレベルなのですが……」


 確実に何かを察している様子の村田さん。

 彼女は新聞部に入部する前からサヤちゃんと知り合っていたようで、その時から既に彼女を心底慕っているらしい。

 そんなサヤちゃんが僕との間に何かがあったと来れば、気にならずにはいられないんだろう。

 村田さんからいつも新倉に向けられているような冷めた目で睨まれ、僕は何をどうすればいいか内心大慌てだった。

 けれども彼女はすぐに溜息を吐いて、一言。


「……ここから出たら、詳しくお話を伺わせて頂きますからね」


 とだけ言って、後方の警戒を再開した。

 今はそれどころじゃない……という事なんだろう。

 この状況に少し救われたような気がしないでもないけど、ピンチなのには違いは無い。

 ひとまず気を取り直した僕達は、再度二階の図書室へと向けて階段を降り始めた。


「村田ちゃん、何かあったのか? ……まあそれにしても、こっからどうやってトイレのバリケードを突破すりゃ良いんだろうなぁ。なあ、須藤?」

「う、うん。どうしようかな……」


 その間、僕は会話の流れを読めていない新倉と今後について語り合うのだった。

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