第18話 奏でられる音色

「新倉先輩は……どう思いましたか?」


 トイレの合わせ鏡に到達出来なかった私達は、須藤先輩の指示で二手に別れてその場を離れた。

 私と新倉先輩は一階奥の階段から上へ駆け上がり、ひとまず三階の手頃な教室へと身を隠しているところだ。

 窓から注ぐ赤い光に照らされた教室には、何やらゴチャゴチャと物が散乱しているようだった。


「どうって……」

「トイレの前に姿を見せた……雛森先輩にそっくりな、あの化け物の事です」


 無事に雛森先輩を見付け出し、これから合わせ鏡を通じて元の世界に戻ろうとしたその矢先に現れた、先輩に酷く似た顔をした少女。

 けれどもその異質な存在感は全くの別物で、鬼か悪魔かといった不気味さと執念には、恐怖を覚えずにはいられなかった。

 故に私は、あの少女の霊を化け物だと認識したのだから。


「化け物っつーか……悪霊? ってヤツなんじゃねえのか、ああいうの」

「先輩はあれを見て……いえ、あの化け物の異常なまでの殺意をぶつけられてもまだ、あれが人間の枠に収まるものだと思うのですか……?」


 私達が雛森先輩を連れて旧校舎を出ようした、あの瞬間。

 少女の姿をした怪物は、自らの目的を邪魔する私達に対して、明確な殺意を向けてきた。


「彼女が怒りと殺意に満ちたあの時、この世界は血の色に染め上げられて……その化け物が操る人体模型だって、私達の心臓を抜き取ろうと今も校舎を徘徊しているんですよ? そんな化け物達がうろつく旧校舎……その支配者が、どうして雛森先輩によく似た姿をしているのか……気にはならないのですか?」


 私がそう問うと、新倉先輩は片手で頭を掻きながらこう返す。


「まあ……な。そりゃ、多少なりとも引っかかるものはあるさ」


 彼は近くに横倒しになっていたロッカーに腰を下ろし、少し背中を丸めるような姿勢で窓の外に目を向けた。

 私も自然とそちらに視線を移して、ジリジリと胸を焼かれるような不安感を煽ってくる紅い月を睨んだ。

 どうして雛森先輩があんな化け物に目を付けられてしまったのだろう。

 先輩は他人から恨みを買うような人物ではない。むしろ、生徒達の手本となる模範的な優等生だと言えるはずだ。

 ご家族の方々だって、雛森先輩を大切に思っているのだという事がよく分かった。先輩ご自身も、登校日前の家族旅行を楽しみにしていて……。

 それなのに今は、そんなご家族ですら先輩の事を覚えていない。

 理由は分からないけれど、私達新聞部の面々しか雛森先輩の事を覚えていなかったこの状況を生み出したのは、間違い無くあの化け物だ。

 あの少女さえ居なければ……こんな事は起きなかったはずなのに。

 赤い光の影響で精神が興奮状態になってしまったのか、一度溢れ出した不満や怒りが止まらない。

 けれども新倉先輩は、そんな私とは対照的に落ち着いた様子だった。それがまた、私の怒りを煽るのだけれど。


「だけどさ……何でか分かんねえんだけど、あの幽霊って根っからの悪人には思えないんだよな」

「……新倉先輩は、あの化け物の味方なのですか?」


 思っていたよりも冷たい声が出てしまったものの、今の私にはそんな事を気にしている程の余裕は無かった。


「いやいや、そういうワケじゃねえよ!」

「それではどういう訳なのです? 詳細な説明を求めます」


 そうやって少し早口に問い詰めれば、新倉先輩は慌てながら言葉を返した。


「いやまあ、何つーかさ……確かに村田ちゃんの言う通り、さっきはマジで俺達全員殺されるんじゃねえかって思ったよ。だけど……何か分かんねえけど、あいつは単に人を殺すのが目的じゃないような気がしただけっつーか……」

「……それ、ただの感想ですよね。説明になっていませんが?」

「まあな。俺が感じた事を言っただけだし」

「はぁ……」


 新倉先輩にきちんとした根拠のある発言をめるだなんて、私が間違っていましたね。

 思わず大きな溜息が出てしまうのは、これでは仕方が無い事でしょう。

 ジトリとした目で彼を見ると、新倉先輩は困ったようにヘラヘラと笑うだけだった。


「……雛森先輩と似た顔をした相手だったから、そのような感想を抱いたのですかね。外見で騙されてはいけませんよ? あれは全くの別人です。私達や雛森先輩だけではなく、これまで何人もの女子生徒達を襲ってきた怪物なのですから……!」


 だからこそ先輩はもう少し警戒心というものを──と、更に言葉を続けようとしたその時だった。

 私の注意を聞いているはずの新倉先輩が、どこか一点を見詰めたまま黙り込んでいる事に気付いたのだ。

 ちゃんと話を聞いてもらわなければ、相手に油断して新倉先輩が大変な目に遭うかもしれない。改めてこちらに意識を向けてもらわなければ……!


「……新倉先輩、私の話聞こえてますか?」

「……あの、さ」

「はい?」


 聞き返した私に、それでも新倉先輩はどこかを見上げたまま顔を動かさずに言う。

 彼の様子に少し胸がざわついて、何故だか嫌な想像をしてしまった。


「俺の気のせいだったら良いんだけどよ、あそこに貼ってあるポスター……何か違和感が無いか?」

「ポスター……ですか?」


 そう言われて、私は彼が見上げている方に顔を向けた。

 新倉先輩の視線の先にあったのは、黒板の上に貼られた有名な音楽家の肖像画が印刷されたポスターだった。

 それらは赤い光が降り注ぐ教室の中で、不気味な存在感を放っていて。

 周りをよく見回してみれば、ここには放置されたままの楽譜台やピアノが置かれていた事に気が付いた。

 七不思議の事に気を取られていたし、急いでいたから気が付かなかったけれど……どうやら私達が逃げ込んだのは音楽室だったようだ。

 それと同時に、私は思い出してしまった。

 須藤先輩からの話にあった、七不思議の二番目──『夜の音楽室のピアノ』の事を。


「あ、あれは、まさかっ……!」


 数枚並んだポスターの中で、よく目立つ見慣れた肖像画。

 小学生だって知っている程に有名な、ベートーベンのポスター。

 厳しい表情をしているはずの肖像画の男性は、その視線を何故か私達を見下ろしていて……それに気付いた瞬間、口元が三日月のように歪むのが見えた。

 その次の瞬間──


「ひっ……⁉︎」


 誰も触れていないはずのピアノが、独りでにメロディーを奏で始めたではないか。

 しかしベートーベンの曲であろうその旋律は、ところどころ音が外れているようで……けれども私は、それよりも一刻も早くこの場から逃げ出したい一心に駆られていた。


「に、新倉先輩……!」

「お、おう! ここはまた逃げるぞ、村田ちゃん!」


 すると先輩は、怯えて足がすくむ私の手を取って廊下へと引っ張っていく。

 曲がりなりにも男子で、私よりも一つ年上だからか……それとも一種の吊り橋効果のようなものなのだろうか。何故だかいつもより先輩が頼もしく見えるような気がしてならなかった。

 こちらを気遣いながらも力強く先導してくれた彼のお陰で、ひとまず私は音楽室から脱出する事が出来た。

 けれどもあのピアノは鳴り止む様子が無く、このままではその音に気付いた人体模型がやって来てしまう危険がある。


「……こ、このままここに留まるのは、あまり良いとは言えません。早くここを移動するべきかと……思います」

「ああ、そうだとは思うけど……もう少し歩けそうか?」

「い、行くしか……ないですし……頑張ります」

「あんま無理そうだったらすぐ言ってくれよ? そん時は俺が背負ってやるからな!」

「それは遠慮します、全力で」


 これ以上この近辺に身を隠せるとは思えない上に、人体模型が来る危険を踏まえれば、すぐにでも須藤先輩と雛森先輩の二人と合流すべきだろう。

 新倉先輩も私の意見に賛成してくれたので、先輩達を探して三年生の空き教室側へと歩き出したのだけれど……。

 思いのほか私をよく気遣ってくれる新倉先輩に、どうにも調子を狂わされてしまうのだった。

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