第16話 紅に染まる世界

『逃がさない……許さないっ……絶対に……!』


 サヤちゃんによく似た……けれども、サヤちゃんなら絶対にしないような恐ろしい顔をした少女が、激しい怒りを僕達に向けている。



 その瞬間──世界が、真っ赤に染まった。



 さっきまで窓の外に広がっていた暗闇と星空は、血のように赤く。

 まるで旧校舎そのものが血の池地獄にでも沈んでしまったかのような一面の紅が、夕焼けよりも赤く紅く、窓の向こうから僕達を照らし出す。

 思わず目がチカチカする程に鮮やかな光。

 これはまさか、セーラー服の少女の怒りに反応して現れたとでも言うのか……?

 いや、それよりも今は──


「逃げるぞ、皆!」

「逃げるったって、鏡まで行くには時間が足りねえぞ⁉︎」

「ひとまずここから……その女の子から離れた方が良い!」


 バリケードを突破しなければ、トイレの合わせ鏡には辿り着けない。

 けれども今は、積み上がったロッカーや机をどかしているような余裕は無い。

 目の前の少女は、僕達を射殺すような恐ろしい目付きで何かをブツブツと唱えている。彼女がこれから何かをしようとしているのは明白だ。

 それに、真っ赤に染まった怪奇世界……。この劇的な変化も彼女の──『赤い手帳』の女子生徒の力の一端だと言うのなら、そう簡単に僕達を合わせ鏡まで行かせてくれるとは思えなかった。

 僕はすぐ隣に居たサヤちゃんの手を握り直して、いち早くその場から駆け出した。


「す、須藤くんっ⁉︎」


 急に彼女の手を取って走り出した僕に、サヤちゃんが戸惑っているのが伝わる。

 僕はサヤちゃんの手を引きながら、トイレ前に立つ新倉達に叫んだ。


「二人も一旦ここから離れて! 後で合流しよう!」


 それを聞いた新倉は、顔を歪める。


「クソッ、そうするっきゃねえか……! 村田ちゃん、俺達も逃げるぞ!」

「は、はい……!」


 僕とサヤちゃんが廊下の角を曲がる直前、二人も反対側の方へ走り去っていくのが見えた。

 二手に別れた僕達は、また後でここに戻って来る事を誓って二階への階段を駆け上がっていく。

 あのまま一階に居たら、何かとてもまずい事になる……そんな予感がしてならなかった。

 新倉と村田さんが向かった方にも階段はあるし、後で合流するのはそこまで難しい事じゃないはずだ。

 だけど、二階の図書室には『動く人体模型』が居た。あいつはまだ、僕達を追おうとしているだろう。


「須藤くん……! 二階にはまだ人体模型が居るはずだから、三階に逃げよう!」

「うん、きっと新倉達も三階に向かってるはずだ……!」


 赤い光に照らされた二階をスルーして、更に階段を駆け上がっていく。

 そうしてやって来た三階は、やはり同じようにして窓から真っ赤な光が降り注いでいて……気味が悪かった。



 僕達二人が上がってきた階段は、元々は三年生が使っていたであろう教室が並ぶ側だった。

 今のところ、近くに人体模型が居る気配は無さそうだ。あの足音は特徴的だから、あれが近付いていたら嫌でも分かる。

 それでも、このまま階段の前に立ち続けている訳にもいかないだろう。

 サヤちゃんからは聞いておきたい話があるし、少し身を隠せる場所に移動したかった。


「……雛森さん。ちょっとそこの教室に隠れよう。少し聞きたい事があるんだ」

「う、うん。でも、あんまり油断はしないでね」

「それってどういう意味……?」


 不安げに言ったサヤちゃんに訊ねると、彼女は辺りを警戒しながら声を絞り出す。


「……あの子はね、わたしがどこに居てもすぐに分かっちゃうんだ」


 僕達はすぐ手前にあった教室の戸を開けて、適当に配置された机や椅子の中に紛れて座り込んだ。

 そこで僕は、サヤちゃんからこの旧校舎についての話を聞く事になった。

 と同時に、僕が知っている賽河原高校の七不思議についても彼女に説明した。




 サヤちゃんは、気が付いたらこの旧校舎に閉じ込められていたらしい。

 登校日の前に家族旅行から帰って来た日の夜……いつも彼女が使っている赤い表紙のノート型のメモ帳に、今度の校内新聞の為のネタを纏めていた。

 けれども、その日の日中──サヤちゃんは道端で落し物を拾ったんだという。


「今思えば、あれが須藤くんの言う七不思議の『赤い手帳』だったんだろうね……。わたしがあんな物を拾わなければ、今頃は……」


 逃げ込んだ教室の窓の外も、やはり赤い。

 三階から見える景色だからこそ気付けた事だけど、どうやらこの光は急に現れた紅い月のせいだったらしい。

 絶えず降り注ぐ月明かりは、僕とサヤちゃんを血の色で包み込む。


「……ごめんね。わたしのせいで、新聞部の皆を巻き込んじゃった」

「雛森さんは悪くないよ。僕達は自分で望んでここに来て、雛森さんを助けに来たんだからさ」


 でも、上手く逃げ出せるか分からなくなってきてしまった。

 僕の方こそ、彼女や新倉達に謝るべきだろうに……。


「何十年も前に旧校舎で自殺した女の子が、どうしてわたしなんかに目を付けたのか……須藤くんから話を聞いて、ちょっと理由が分かってきたかもしれない」

「え……?」


 二人揃って落ち込んでいたところに、突然彼女の口からそんな言葉が飛び出して来た。

 サヤちゃんが『赤い手帳』の悪霊に狙われてしまった理由が分かるなら、何か突破口が見付かるかもしれない。

 そう思って彼女の方に顔を向けると、サヤちゃんは俯いたままこう言った。


「……あの、ね。須藤くんも見たと思うんだけど……あの子の顔、わたしにそっくりだったでしょ?」

「……うん」


 一階で姿を現した、セーラー服の少女。

 彼女の顔はどこからどう見てもサヤちゃんに瓜二つで、違う点を挙げるとすれば、髪型と眼鏡ぐらいだった。

 ポニーテールに眼鏡がトレードマークのサヤちゃんと、髪を下ろして裸眼で僕らを睨んでいた『赤い手帳』の女子生徒。

 僕が言葉に詰まっているのが分かったのか、サヤちゃんが苦笑しながらこちらを見上げる。


「実はね……あの子と名前も同じだったんだ、わたし。さんずいに、少ないって書いて……夜。『沙夜』って……あの手帳に、持ち主の名前が書いてあったの」

「同じ、名前……?」


 同じ名前で、同じ顔をした二人の『沙夜』。

 サヤちゃんがここに閉じ込められてしまったのは、その共通点があったせいだったのか……!?


 驚愕する僕に、更にサヤちゃんが言葉を続ける。


「わたしがまだ旧校舎に閉じ込められてすぐの頃、あの子が名乗ってきたの。その後で思い出したんだ。わたしがここに連れ込まれる直前、自分の部屋であの手帳を眺めてたの」


 登校日の後に落し物を交番に届けようとしていたサヤちゃんは、手帳に持ち主の名前が書かれていないかどうか確かめようと思い立った。

 かなり古い手帳だったから、きっと持ち主が長年大切にしているものなんだろうと……だから、それを落としてしまって困っているはずだと思ったらしい。

 でも、それが運の尽きだった。

 手帳の表紙をめくり、一枚目に確かに落とし主らしき人物の名前はそこに書かれていた。


 手帳……というか、内容は日記帳のようなものだったらしい。

 それを書き始めた日付の下に、少女の名前──『沙夜サヨ』という文字が、丁寧な字で記載されていたという。


「わたしの名前とは読み方は違うんだけど、その名前を見た瞬間、急に頭が痛くなって……。気が付いたら、ここに倒れてたんだ。……あ、そういえば」


 ふと何かを思い出した様子で立ち上がったサヤちゃんが、きょろきょろと辺りを見回して何かを探し始めた。


「わたし、ここに来た時にメモ帳を持ってたんだ。ほら、いつもの赤い表紙のやつ! 確か、ここの教室に書き置きを残しておいたはずなんだけど……」

「それってこれの事?」


 言いながら、僕はポケットに入れていたサヤちゃんのメモ帳を取り出した。


「あっ、それ! でも、どうして須藤くんが持ってるの……?」

「どういう訳か分からないんだけど、登校日に部室の机の上に置きっぱなしになってたんだ。それで、ページの端っこを折られた所に、雛森さんのメッセージが……」


 ほら、とそのページを開いて彼女の前に差し出す。

 ここから出られない、誰か助けて……そんなメッセージが書かれた、サヤちゃんの悲痛な叫び。

 それに目を通した彼女は、困惑した様子で口元に手を当てて言う。


「ほ、本当だ……。これ、わたしが書いたものだよ。でも……!」


 サヤちゃんは座ったままの僕の側にもつれ込むようにして、吐息がかかる程の距離まで顔を近付けて僕を見上げた。


にこのメモを見たって、どういう事なの……⁉︎ 登校日って明日のはずでしょ? どうして……どうして新聞部の部室にこれがあったの⁉︎」

「え……と、登校日は昨日だよ?」

「そんなはずない! だってわたし、ずっと真夜中の旧校舎に閉じ込められ、て……」


 段々と言葉に勢いが無くなっていくサヤちゃん。

 その顔色は、見る見るうちに青ざめていく。

 僕の身体に伸ばされていた彼女の手からも、徐々に力が失われていった。

 そうしてサヤちゃんは、震える指先で改めて僕の手に触れる。


「待って……わたし、何で今まで気付かなかったの……? わたし、もう何回も……何十回もここで眠って、目を覚まして……」

「雛森、さん……?」


 何か、とても恐ろしい事に気付いてしまった。

 彼女が今しているのはそんな表情だと、僕は思った。


「わたし、ここで何日過ごしたの……? もう何日、朝の来ない夜を過ごしたっていうの……⁉︎」


 その言葉で、僕は何かを察してしまった気がした。

 サヤちゃんの話が事実なんだとすれば……この怪奇世界の旧校舎で、彼女は現実世界とは異なる時間の流れの中を生きていた事になる。

 彼女がずっとだと思い込んでいた事。

 そして、僕達が図書室でサヤちゃんを見付けた時に感じた違和感に説明がつく。


 サヤちゃんは、途方もない時間をこの旧校舎で過ごしている。

 それに気付かせないように、細工をしていたんだ。


『赤い手帳』の幽霊──もう一人の『沙夜』が。




【雛森沙夜 四十八日目 残り四時間と三十一分】

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