第15話 邂逅

 突然、サヤちゃんが何かに怯え始めた。

 彼女は激しく狼狽うろたえながら、僕達が入ってきた図書室の扉の方を見て叫ぶ。


が来るっ……皆、早くここから逃げないと……!」

「あいつ……? 雛森さん、それってもしかして──」


 まさか、『赤い手帳』の幽霊が……?

 僕がそう言葉を続けようとした、その時だった。


 カタン……カタン……。


 と、廊下の奥から硬質な甲高い音が、一定のリズムで耳に届き始める。

 その音が聞こえると、心なしかサヤちゃんの反応がより過敏になったような気がした。


「来る……もう、すぐそこまで来てるよ……!」


 するとサヤちゃんは僕達を振り返って泣き出しそうに、けれども声は抑えて訴えて来る。


「このままここに居たら大変な事になっちゃう……! 早く外に逃げないと……が……」

「なあ雛森、さっきから言ってるアイツって誰の事なんだ?」

「『赤い手帳』の幽霊……ですか?」


 ガタンッ!


 その音にハッとして顔を向けると、扉の前に誰かの影が浮かび上がっているのが分かった。

 影は明らかに人の形をしている。

 けれどもそれは、どう見ても姿

 星明かりに薄っすらと照らし出されるのは、人間の皮膚と肉を全て削ぎ落としたような……骨だけで組み上げられた身体。

 夜の旧校舎という場所において、『それ』はこの校舎を徘徊するに最もふさわしいと言える存在だろう。


「ウソ、だろ……?」

「あ、あれは……七不思議の……!」


 図書室へと姿を現したのは、賽河原高校の七不思議──『動く人体模型』そのものだった。

 サヤちゃんが何度も繰り返していたの正体は、この事だったのか……!


『シン……ゾウ……シン……ゾウ……』


 心臓──人体模型から発せられているであろう唸り声が、確かにそう告げているのを聞き取れた。

 それを理解した途端、僕の背筋が凍る。

 旧校舎にある人体模型は、一つだけパーツが足りなくなっているという話を思い出したからだ。

 ゆらり、ゆらりとこちらに向かって歩き出す人体模型を目の当たりにして、サヤちゃんが大きな悲鳴を上げる。


「いやぁぁぁっ! こっち来ないでぇぇえぇっ!!」

「新倉! 村田さん! あれに捕まったら死ぬぞ!」

「マジかよそれ⁉︎」


 マジもマジだ。大マジだ。

 何故ならあの人体模型には、臓器のパーツが足りていない。

 そしてあれから発せられる言葉から察するに、人体模型には心臓の部品が足りていない事になる。

 はめ込み式の臓器パーツは、元はと言えば理科の授業で人体の構造を理解する為に、実際に分解して取り出せるようにされた仕組みだ。

 けれども、どこかの誰かがそのパーツを紛失してしまった。

 その後に『赤い手帳』の持ち主だった女子生徒の自殺事件が起きて、旧校舎はパーツを無くした人体模型と一緒に使われなくなって……いつしか呪われた存在になってしまったんだろう。


「あの人体模型は、心臓のパーツを探してるんだ! 捕まったら僕達の心臓を持って行かれるぞ!」

「わ、私達の心臓を……⁉︎」


 僕の言葉を聞いて、じり……と後ずさる村田さん。

 新倉もこの状況の悪さを理解して、人体模型と僕とを交互に見ながら狼狽えている。


「そ、そんなの……とっとと逃げなきゃヤベーじゃねえかよ!」

「だから逃げるんだよ! 雛森さん、走れる⁉︎」

「う、うん……!」


 僕は咄嗟に雛森さんの手を取って、こちらににじり寄る人体模型とテーブル越しに睨み合う。

 とは言っても、相手に目玉なんて無いんだけど。

 新倉も恐怖に身を強張こわばらせる村田さんの手を握って、いつでも走り出せるように敵を観察する。

 長いテーブルを上手く利用すれば、人体模型と距離を取りながら、扉側に回り込んでいけるはずだ。


『シン……ゾウ……チョウ、ダイ……?』

「お前なんかにやるワケねえだろ……!」


 未だにシンゾウ、シンゾウと連呼している人体模型。

 臓器パーツを無くされたのは可哀想にも思えるけど、だからといって無関係な僕らの心臓を渡す訳にはいかない。


 カタン……カタン……。


 人体模型の骨が、歩く度に木製の床に当たる。

 それは緊張と恐怖でバクバクと高鳴る鼓動の音のようで、夏の暑さだけではない嫌な汗が、僕のこめかみを伝った。

 その間にも、僕達と人体模型の立ち位置は少しずつズレていく。

 あと少し……あと数歩……そうすれば、そのまま扉の外にダッシュ出来る……!

 タイミングを逃すまいと、僕達四人は嫌でも荒くなる呼吸を整えながら、その時を待った。

 そして──


「……今だ!」


 僕の掛け声を合図に、四人で一斉に扉へ向かって駆け出した。

 最初に僕達が居たテーブルの間にまで移動していた人体模型は、既に扉側へ近付いていた僕達に追い付ける距離じゃない。

 そんな僕のその予想は、どうやら的中していたらしい。

 一目散に図書室から飛び出した僕達は、そのままの勢いで廊下を駆け抜けていく。

 握ったままのサヤちゃんの手を引きながら、一階のトイレ──元の世界と怪奇世界とを繋ぐ合わせ鏡を目指して、全力で階段を駆け下りていった。


「す、須藤くん……!」


 トイレへと走りながら、サヤちゃんが少し後ろから僕に問う。


「こっちは昇降口じゃないけど、皆は出口を知ってるの……⁉︎」

「うん、トイレの合わせ鏡が外の世界に繋がってたんだ……!」

「えっ、あそこのトイレが……⁉︎」


 僕らのすぐ後ろをついて走って来る新倉達と一緒に、遂にトイレに到着する。

 だけどそこには、何か大きな物がトイレの出入り口を塞ぐように積み上げられていて……。

 よく見るとそれは、ロッカーや机をバリケードのように積み重ねた物の山だった。


「ど、どうしてこんなものが道を塞いでるんだ……?」

「そんなのどうだって良いだろ! 全員でこいつをどかせば通れるだろ?」


 新倉はそう言ったものの、積まれたいくつものロッカー達はかなりの数だ。

 高さも天井にくっつく手前ギリギリで、これを四人で降ろしていくのも骨が折れるだろうと予想出来た。


「……やってみるしかありませんね。早くしなければ、またあの人体模型がやって来るはずですから」

「そう、だよね……。響子ちゃんの言う通り、例え時間が掛かってもここからじゃないと出られないっていうなら……うん、やるしかないよ!」

『ふふっ……そう簡単に上手くいくかしらねぇ?』


 村田さんとサヤちゃんの声に続いて聞こえた、聞き慣れない女の子の声。

 トイレ前のバリケードを見上げる僕達の背後から、一瞬でその場が凍り付いたかのような……酷く冷たい空気が漂って来た。


 その少女が誰なのかは分からない。

 だけど、が何なのかは嫌でも理解出来てしまう。

 旧校舎……この怪奇世界を支配し、ほぼ全ての七不思議を味方に付けた、悪しき怨霊。

 これまで数十年に渡って語り継がれてきた賽河原高校で最も恐れられる、七不思議の七番目──『赤い手帳』の女子生徒が今、僕達の真後ろに忍び寄っている。


『……ワタシのサヤは、誰にも渡さない。この子はずぅっとワタシと一緒に居るの』


 振り返ってはいけないと、本能が警鐘を鳴らしている。

 だけど、身体は言う事を聞かずに首を回して。


『……奪わせないわ。アナタ達をここで皆殺しにしてでも、絶対に……!』


 そこに見えたのは、黒髪に裸足のセーラー服姿の少女──何故かサヤちゃんに瓜二つの顔をした……怒り狂う鬼のような形相の少女の霊が、僕達を睨み付けていた。

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