第11話 その名はトイレの……

「で、その子が例の……」

「『トイレの花子さん』……なのですか?」

『花子さんじゃなくて、私の事は『花子様』とお呼びなさい。生まれてたかが十数年のお子ちゃま風情が……年長者は敬うものじゃないかしら?』


 腕を組んで不機嫌に顔を歪めている、黒髪ロングのセーラー美少女。

 ただし彼女が居るのはトイレの出入り口の手前で、背景と本人とのアンバランスさが、何とも言えない空気を醸し出していた。

 花子……様は、トイレから先には出られない。つまり、廊下に一歩踏み出す事も出来ないらしい。

 長い年月の積み重ねで力を得てはいるものの、『トイレの花子さん』という七不思議に縛られている彼女は、そこから動く事が禁じられた地縛霊だ。

 彼女がどれだけ望んでも、そこから出る事は出来ない。

 どうしても外に出たいというのなら、トイレごと学校を取り壊してしまうか……成仏するぐらいしか無い。そう、彼女は複雑そうな顔で言っていた。


「は、花子様……ですか。本当に、あなたがあの七不思議の……?」

『そう疑われても困るわ。……あ、そうだ』


 村田さんに問われた花子様は、ふと何かを思い付いたらしい。


『貴女、私に触ってみなさいよ。そうすれば一発で理解してもらえるはずだわ』

「さ、触る……ですか」


 自分の身体に触るよう提案した花子様に、村田さんは少し怯えている様子だ。

 僕が見た限りでは、花子様はどこからどう見ても普通の女の子のように見える。手脚が長くて、日本人らしい綺麗な黒髪が彼女の肌の白さを際立たせている。

 ……ただ、やけに色が白いとは思うんだよな。

 美白を通り越して顔面蒼白というか、正気を感じないというか。それこそが、花子様が『トイレの花子さん』である証明なのかもしれないけど。

 それが彼女の現実離れした美人さを強調しているのかな、とぼんやりと考えた。

 でも、僕にとって一番の女の子はサヤちゃんを置いて他に居ない。


『ほら、さっさとなさい。私が正真正銘の花子だと確信したいんじゃないの?』

「むっ……」

「村田ちゃん、何なら俺が代わってやろうか? オバケ怖いんだろ」

『オバケじゃなくて、花子だから! 私をそこらの低級な霊と一緒にしないでくれる⁉︎』

「ああ、すまんすまん! 花子様はそこらのオバケなんかよりずっと凄いオバケなんだな……!」

『オバケ言うな‼︎』


 花子様の吊り目の猫っぽい目でキッと睨まれ、新倉は慌てて平謝りするも、何だかそれも逆効果な気がする。

 すると、そんな騒ぎの中で村田さんが覚悟を決めたらしい。


「村田さん……大丈夫?」

「……問題、ありません。これも雛森先輩を救う為に必要な事。彼女が実在する『トイレの花子さん』である事を証明出来れば……!」


 そうして遂に、村田さんは花子様へと手を伸ばす。

 彼女の決意を察した花子様も、そっと村田さんに右手を差し出し──


「ひゃあっ⁉︎ 冷たっ……‼︎」


 二人の指先が触れ合った瞬間、村田さんの甲高い悲鳴が上がった。

 反射的に手を引っ込めた村田さんに対して、花子様は小さく笑ってこう言った。


『ほら、これで分かったでしょう? こんなに冷たい手をした人間なんて、存在するはずがない。……幽霊を除いては、ね』

「ほ、本当に冷たかったのか? 村田ちゃん!」


 村田さんは呼吸を荒くしながら、彼女に触れた指先をもう片方の手で包み込み、温めている。


「冷たい……です。とても。ですが……花子様が本物の幽霊だというなら、何故あなたの手に触れた感覚があったのですか……?」

「えっ……」

「マジで……?」


 幽霊のはずの花子様に、実体があったと言う村田さん。

 それには僕も新倉も驚いた。

 僕らがイメージしていた幽霊というのは、姿が見えても触る事は出来ない、ホログラムのような存在だった。

 けれども目の前に居る花子様には、確かに実体があるのだと村田さんは言う。

 困惑する僕らを前にして、花子様が口を開く。


『あら、私に肉体があるのは意外だった? 私くらいの格の高い霊になれば、物理的な身体を作る事だって容易なのよ』


 彼女が言うには、『トイレの花子さん』という存在が強力な怪談であるのと同じように、その力を利用して生きた人間のような身体になれるらしい。

 ただし、あくまでもそれは表面上の話。

 花子様は生きた人間ではないので、血が通っていない。だからさっき僕が感じたように、青白い肌になってしまうんだそうだ。

 そして生きた人間ではないからこそ、その肉体は氷のように冷たくなってしまう。


『だからほら、私は幽霊だけど身体も半透明じゃないし、足も消えていないでしょう?』

「言われてみれば……確かにそうですね」

「ちょっと顔色が悪いだけで、側から見りゃ普通の女子高生に見えるぜ」


 ……と、そこで僕は嫌な想像をしてしまった。

 この学校の花子様が、どれぐらい前から居る存在かは分からない。

 だけど、少なくとも数十年前にも今回の『赤い手帳』絡みの事件で、彼女は同じように手助けをしていたはずだ。

 となると……最低でも『赤い手帳』の幽霊も、それなりの年月を経た怪談となる訳で。


「……あの、花子様。もしかして『赤い手帳』の女子生徒も、あなたと同じように実体を持っていたりは……」


 僕がそう問うと、花子様は意外そうな顔をして、


『あら須藤、よく分かったわね。そうよ、あの子も相当の年月を経た霊だし……』


 その大きな黒目を妖しく煌めかせて、こう言った。


『挙句の果てに、現世にかなりの怨みを抱いた怨霊よ。実体は勿論、周囲の雑魚霊ぐらいなら余裕で従わせられる力を持っているでしょうね』

「霊を、従わせる……」


 続けて、彼女はこんな話をしてくれた。


 霊というのは、どんなに賑わった場所でも漂っているもの。

 墓地や森、海や川なんていう心霊写真の定番スポットは当然として、花見の席や何気無い記念写真、ホームビデオにだって映り込む。

 ならば当然、夜の学校にだって幽霊は出る訳だ。


『貴方達も知っているでしょう? 私以外の、この学校の七不思議を』

「そりゃあな! ま、この中で一番詳しいのは須藤だろうけどよ」

『それなら話が早いわね。私とあの子が居る校舎は別々だけど、私以外の七不思議達は旧校舎に集中しているのよ。つまり……』

「『赤い手帳』の幽霊は、他の七不思議をコントロール出来る……って事ですか?」


 僕の頭に浮かんだ嫌な予想を口にすると、花子様はコクンと頷いた。

 その予想は、当たってほしくなかったんだけどな……。


『そうよ、あの子はとても厄介なの。それが出来てしまうレベルの悪霊になってしまったからこそ、旧校舎の扉は硬く閉ざされているのよ』


 何となく予感はしていたけど、扉の事まで『赤い手帳』の女子生徒の仕業だったとはな。

 何らかの方法でサヤちゃんに手帳を拾わせて、旧校舎に閉じ込めて……そこは七不思議達が徘徊する、怪奇の空間と化している。


『でもあの校舎、外から見ると扉が開かないだけの普通のボロ校舎でしょう? 問題なのはその先……サヤって子が閉じ込められた、の方なのよ』




 ────────────




 それから僕達は、花子様の指示に従って行動する事になった。

 花子様の言うっていうのが何なのかは、よく分からないけど……。

 今の所は、彼女の指示通りにしなければ始まらない。

 僕と村田さんは、花子様の命令でコンビニに買い出しに向かった新倉の帰りを待っているところだ。

 花子様から新倉に買って来るよう命じられたのは、塩と筆ペン。

 あいつの帰りを待つ僕達は、新聞部の部室でサヤちゃんのメモ帳から数枚紙を切り取り、それを短冊状にハサミで切り揃えていた。


 花子様が言うには、旧校舎に突入するのは夕方がベストなのだという。

 今はまだ朝の十時半ぐらいだから、まだまだ時間がたっぷり残っている。サヤちゃんを救うのに、それぐらいの猶予はあるだろうとの事らしい。


「勝手に雛森先輩のメモ帳から紙を拝借するだなんて、本当に良かったのでしょうか……」


 表情を曇らせながらハサミを操る村田さんに、僕は長机越しに言う。


「雛森さんが霊的体験をしているから、彼女の持ち物だったこのメモ帳に一時的な霊力が宿ったんだって、花子様が言ってたよね」

「その霊力を利用して、霊能力の無い私達でも使えるようなお札を自作しろ……と言われましたが、それでも胸が痛みます。相手の許しも無く他人の物を……それも、雛森先輩の私物を勝手に使うだなんて……!」

「でも、霊から身を守るものは必要だって、村田さんも賛成してくれたじゃないか」

「それはっ……そう、ですけど……」


 言葉に詰まった彼女の心境も、僕達の身を案じてその提案をしてくれた花子様の気持ちも分かる。

 だからこそ、村田さんの意見に賛同しきれない自分が、どこかもどかしくもあって。


「おーっす、買い出ししてきたぞ〜!」

「あ、お帰り新倉」

「…………」


 そんなタイミングで戻って来た新倉は、手にレジ袋を提げていた。

 何も言えず黙り込む村田さんに気付かないまま、新倉はいつもの調子で机の上に買って来た物を出していく。


「えーっと、塩と筆ペンで良いんだよな? ついでに昼飯用のパンとおにぎりと、あと適当に弁当も買っといたわ」

「えっ、それまで買って来たのか?」


 てっきり花子様と約束した時間になる前に、一度家に戻って昼食を済ませて来るつもりでいたから驚いた。

 新倉は何て事も無いような顔で、へらりと笑って言う。


「いやー、だって家でメシ済ませてくんのもめんどくせぇだろ? チャリ通の俺とか家が近いお前ならまだしも、村田ちゃんって電車通学だからさー。わざわざまた学校に来るのはかったるい気がしてなぁ」

「わ、私の為に、わざわざそんな事をしなくても……!」

「いいっていいって! あ、その代わりって言ったら何だけど……二人共、今度何か奢ってくれな? ほら、俺来月誕生日だし! な?」

「新倉……」


 そんなあいつの笑顔を前にした僕達は、もうさっきまでの重苦しさなんてどこかにいってしまっていた。


「……そうだな。それじゃあ、新倉以外でワリカンして焼肉の食べ放題にでも行こうか」

「おお〜! 良いなぁ、焼肉! テンション上がるなぁ‼︎」

「村田さんもそれで良いかな? 僕と新倉と村田さんと、雛森さんの四人で……さ」


 僕の言葉に、村田さんの目が一瞬大きく見開かれる。


「……っ! 雛森、先輩と……そう、ですね。是非、四人で行きましょう。絶対に……この部の全員で……!」

「おっし、決まりな決まり! 来月は皆で焼肉だ〜‼︎」


 何だかんだで、僕達はいつも新倉の明るさに助けられているんだよな……。

 大声でガッツポーズを取る新倉に、僕と村田さんは苦笑しながら……でもいつしか、本心で笑っているのだった。

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