第10話 一夜明けて
八月十五日。
サヤちゃんが居なくなって、二日目の朝。
僕は事前の打ち合わせ通り、朝食を済ませてから学校に向かっていた。
あれから新倉と村田さんと一緒に話し合った結果、最悪でも明日までにサヤちゃんを救い出す方向で意見が一致した。
村田さんが言っていた件が事実だとするなら、八月十六日──つまり、明日が終わる前にサヤちゃんを助けられなければ、彼女はそのまま帰らぬ人となってしまう危険がある。
そんな事態は、意地でも避けなくてはならない。例え、どんな困難が待ち受けていてもだ。
校門が近付くと、道の向こうに二人の人影があった。
自転車を押す新倉と、その隣を歩く村田さんだ。
「おっす、須藤! この時間帯でもまだ暑いなぁ〜」
「こんにちは、須藤先輩。これは別に新倉先輩と待ち合わせて来たのではなく、偶然出くわしたので合流したまでです。勘違いされては困りますので、あらかじめ説明させて頂きました」
「う、うん。分かってるよ」
今日も今日とて晴天すぎる夏空の下、涼しい顔で村田さんはそう言った。
僕は彼女の言葉を苦笑混じりに受け流しつつ、開け放たれた校門を抜けて、新校舎へと向かう。
そろそろ八月も終わりに向けて近付いているはずなのに、蝉の声も照り付ける日差しも、昨日までとほとんど変わりが無い。
朝からグラウンドでの練習に励む運動部の様子に関心しながら、昇降口でスニーカーから上履きへと履き替える。
二人も靴を履き替えたのを確認して、改めて今日の目的地へ。
「えーっと……俺達、何階に行くんだっけ?」
階段を登りながら、新倉がそんな質問をした。
「四階だよ。四階の女子トイレ」
「そんな事も覚えられないのですか、新倉先輩。来年の大学受験、本当に大丈夫なのですか……?」
「うっ……! そ、そりゃあ大丈夫に決まってんだろ⁉︎」
「果たしてどうでしょうかね……」
村田さんからの冷めた視線に、新倉の顔が一気に青ざめる。
これから今以上に青くなる体験をするかもしれないっていうのに……本当、新倉はいつも賑やかな奴だよ。
とは言え、これから僕達がやろうとしている事の手順は確認しておいた方が良いだろう。
まず、僕達が向かっているのは新校舎の四階にある女子トイレだ。
その個室の四番目に、お目当ての人物が──『トイレの花子さん』が居るかもしれない。
三階に差し掛かったところで、新倉がまた口を開いた。
「なあ、それにしたって本当にやんのか……?」
「やるしかないだろ。これでもダメなら、旧校舎の窓を割って無理矢理にでも中に突入するしかなくなるんだからさ」
サヤちゃんのメモにも、僕が実際にこの目で確かめても開かなかった旧校舎。
そこが本当に、『赤い手帳』の七不思議にある女子生徒の支配下にあるんだとしたら。
過去の例に倣えば、それを突破出来るのは同じ七不思議に数えられている怪奇現象『花子さん』の力に頼るぐらいしか思い付かなかった。
僕らの誰かに霊能力でもお祓いでもやる術があるなら他に手はあっただろうけど、生憎そんな特殊技能は誰も持ち合わせていない。となれば、姉さんから聞いた生還者の話を真似てみるのが最善だと思ったんだ。
「窓を割るのは最終手段だ。なるべく騒ぎにはしたくないし……」
「世界が雛森先輩の事を忘れてしまっていても、割れた窓ガラスの事までは忘れてもらえないでしょうからね」
「あー……バレたら内申に響くよなぁ、それ」
まあ、『花子さん』が居なかったらやるしかないんだけどな。
出来る限り穏便に事を済ませたいなと思いつつ、遂に僕達は四階へと到着した。
そこから少し廊下を行けば、女子トイレが見えてきた。すぐ隣には男子トイレもある。
女子トイレの前に横一列に並んだところで、村田さんがちらりとこちらに目線を寄越した。
「……それで、本当に良いのですか?」
「何か危険があるかもしれないんだし、村田さんだけに任せる訳にはいかないよ」
「本当の本当に……ですか?」
「……ほ、本当に。僕が……」
こうして何度も村田さんが確認を取って来る理由は、ただ一つ。
「僕が女子トイレに入るから、その間二人は外を見張っておいて。誰かが来たら、どうにか上手い事ごまかしておいてくれ……!」
花子さんをトイレで呼び出す係を誰がやるか、だ。
何と言っても賽河原高校の花子さんは、『花子さんの質問に正しく答えないと呪い殺される』なんていう、おっかないエピソード付きだからな。下手をすれば、命を落としかねない。
なら、その役目を引き受けるなら誰が適役か?
……僕だろう、それは。
旧校舎に入る為の手段として『花子さん』を提案した、他の誰でもないこの僕こそが、そのリスクを背負うべきだろう。
「……任せたよ、新倉。村田さん」
左右に顔を向けると、それぞれが僕の目を見て頷いた。
「……頼みます、先輩」
「虫の一匹だって通しゃしねえぜ……! こっちこそ上手くやれよな、須藤!」
「うん、勿論だ……!」
新倉は僕の肩を叩いて激励し、村田さんはそんな僕の無事を祈るように見送ってくれた。
スマホの画面上に表示された現在の時刻は、朝の九時を回った頃。
僕は一つ呼吸を吐いてから、制服のズボンのポケットにスマホをしまう。
「……よし」
改めて気合いを入れ直す。
顔を上げた先には、心なしか少し薄暗く見える女子トイレがある。
僕は色々な抵抗感を覚えながら、腹を括って一歩を踏み出した。
……二人共、頼むから僕を女子トイレに忍び込む不審者にしないでくれよ。
中に入ると、天井と壁との間に隙間がある個室が五つ並んでいた。
当然ながら、男子トイレよりも個室の数が多い。ちょっとした構造の違いに、ちょっとした違和感のようなものを抱いてしまう。
そして……視線の先には、一つだけ扉が閉められた個室があった。
女子トイレの四番目──賽河原高校の七不思議の一つ目、『トイレの花子さん』が居るとされている個室だ。
トン、トン。
軽くノックを二回する。
これで本当に『花子さん』が答えてくれるんだろうか。
もしもこの中に居るのが全く別の……夏休み中に部活動をしに来た生徒だったら、僕はどうしたら良いんだろう。完全にアウトなやつじゃないか?
そんな不安が頭の中でぐるぐると渦巻き始めようとした、その数瞬後。
『私を呼ぶのは、だぁれ……?』
「…………っ⁉︎」
ゾクッと背中を駆け抜ける、鋭い悪寒。
綺麗な女の子の声……だとは思うものの、その声に心臓がバクンと跳ねた。
新倉達には聴こえていないのか?
振り返って廊下の二人に振り返ってみたものの、彼らは外を警戒したまま、こっちの異変には気付いていない。僕の反応にすらノーリアクションだ。
『だぁれって……言ってるでしょ……』
「あっ、ええと……賽河原高校二年の、須藤……です……」
急かすような、責めるような声色で再度問われれば、典型的な日本人の僕は大人しく返事をしてしまう。
その返答にひとまず満足してくれたのか、個室の中の少女は更に言葉を続けた。
『私の事……誰だか分かっていて、ここに来たのよね……?』
「は、はい。あなたの力を、どうしてもお借りしたくて……!」
「ふぅん……」と、つまらなさそうに答える彼女。
……この様子なら、本物の『花子さん』だと思って良いんだろうか。
そうでなければ、あんな遠回しな発言なんてしてこないだろうし。
それに普通の生徒なら、女子トイレで男子の声がしたら怪しむし、叫ぶなり何なりして助けを呼んだりするはずだ。
となると、このドアを一枚隔てた向こう側に居るのは、この世ならざる存在という事に──
『……ねえ。私の力が必要だって言ってたけど、何がしたいの? 返答によっては……貴方を呪うわよ』
うわぁぁぁ……!
来ましたよ、呪います宣言……! ていうか、呪う相手に宣言するのがうちの学校の花子さんの流儀なのか……?
これが冗談だろうが本気だろうが、彼女が本物の『花子さん』だというのなら、さっきも言った通り協力してもらわない事には始まらない。
僕は、彼女に包み隠さず全てを話した。
すると、少女はしばらく押し黙った。それから数秒か、数十秒かして返答が来る。
『……旧校舎の女子生徒の霊に対抗したい? 本気で私にそんな事を頼みに来たの?』
そう言った彼女の声は、扉越しにも分かるぐらいに呆れた様子だった。
僕は返す言葉に困りながらも、思いの丈をありのままに伝えた。
「あ、あなたがこの学校の『花子さん』なんだとすれば、過去に旧校舎で起きた事も知っているはずです。これまで何人もの女子生徒が行方不明になって……それでも、ただ一人だけ旧校舎から生きて帰った人が居る」
伝説や伝承というものは、それを記憶して次世代に伝えられていく事で、長く強い力を手に入れる。
長年大切にされた物に魂が宿るとか、大昔から伝わる怪事件が現代にも生きているだとか。
そういった話の中で全国的に、且つ幅広い世代に知られている怪談──『トイレの花子さん』。
彼女が花子さんであれば、その怪談が伝えられてきた年月の分だけ『花子さん』という存在の力が増しているはず。
「あなた程の力のある霊なら、旧校舎を護っている力に打ち勝てると思うんです。……あなたが過去に一度、そうやってとある男子生徒に力を貸した時のように」
『……そうね。今回は、あの時とよく似た気配を感じていたわ。早く対処しなければ、確実に手遅れになるでしょうね』
やっぱり、この人は『花子さん』に違いない……!
そう確信した僕に、彼女はある
『貴方がその沙夜という女の子を助け出したいのは、何故かしら? 嘘をつかずに、
その問いには、とても大きな意味が込められている。
この質問を……彼女の望む通りの返答でもって切り返さなくては、僕はきっとここで殺される。そう、直感したんだ。
僕は扉にそっと手を添えながら、しっかりと唇を動かした。
「……僕は彼女を救い出して、同じ部活の仲間達と一緒に花火を観に行きたい。それはサヤちゃんが僕の幼馴染だからってだけの、単純な理由じゃない。僕は……ずっと昔から、あの子が好きなんだ。きっと今頃、彼女は心細い思いをしているはずだから……今すぐにでも旧校舎に行って、早く安心させてあげたい。サヤちゃんは……僕の大切な女の子だから……!」
その瞬間、ガチャリ……という音が僕の耳に届いた。
音の正体はすぐに分かった。目の前の扉が、ゆっくりと開いたからだ。
『……こういうのを、リア充爆発しろって言うのよね? ああ、本当にイライラさせられるわね……呪ってやろうかしら』
「えっ……⁉︎」
静かに開かれた扉の向こうから姿を現したのは、どこか昭和な雰囲気の漂う黒髪ロングの女の子だった。
僕とそう歳の変わらない外見の少女が、セーラー服を纏って僕を見上げている。
『……冗談よ。他人を大切に出来ない人間になんて、この私の力を貸したくはないもの』
パツンと切り揃えられた前髪と、くりっとした大きな眼が印象的な少女。
彼女は言葉を失った僕を面白そうに観察しながら、口元を緩ませてこう答えるのだった。
『須藤とか言ったわね? 良かったわね、私に気に入られて。死なずに済んだわよ? おめでとう。少しだけ力を貸してあげる代わりに、私の事はこう呼びなさい。『花子様』……と、ね?』
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