第12話 合わせ鏡
部室で昼食を済ませて、花子様に言われた通りの物も用意し終えた。
机の上に並ぶのは、サヤちゃんのメモ帳の紙から作ったお札が三枚。それから新倉がコンビニで買って来た、ごく一般的な食卓塩が一つ。
これがあればサヤちゃんを助け出せるはずだ、と彼女は言っていたけど……お札も塩も、強力な悪霊だという『赤い手帳』の霊に効果があるのかも分からない。
魔除けに使えるであろう塩はまだしも、このお札は花子様の指示通りに僕達が手作りしたものだ。だからこそ、どうにも心許なかった。
それでも時間は刻一刻と過ぎていって、気が付けば時刻は午後の四時。花子様と約束した時間になっていた。
「花子様、居ますか……?」
四階の女子トイレに戻って来た僕達は、改めて彼女の名前を呼んだ。
すると、鍵がかけられていた四番目の個室から花子様が姿を現わす。
『時間通りに来たわね。頼んでおいたものは?』
「一応、作りはしましたけど……」
僕は三枚のお札を、食卓塩は村田さんが手に持って、花子様の前に差し出した。
彼女はそれらを見ると、満足げに頷く。
『ええ、素人にしては上出来ね』
そう言いながら、花子様は僕の手からお札を取っていった。
「うわっ⁉︎」
『あら、ごめんなさい? 指が触れてしまったわね』
彼女の氷のような細く白い指先が、僕の手に触れて……今朝の村田さんが言っていた言葉が真実だったんだと思い知らされた。
実体はあるものの、人間では考えられない程に低すぎる体温。
それこそが高位の霊である証で、彼女と同等かそれ以上の力を持つ『赤い手帳』の幽霊が持つ、物体に触れる霊体だった。
彼女の冷たさに驚いた僕に謝罪してくれた花子様は、お札を一枚一枚熱心に眺めているようだ。
「……あの、このお札って本当に効き目があるんですか?」
『私を疑ってるの?』
「いや、そういう訳じゃないんですけど……! こ、こんなの作るのなんて初めてだし、勿論使った事すら無いから……」
ジトリと睨み付けてきた彼女に、僕は慌てて言葉を返す。
隣に立つ村田さんも、僕の意見に同意して何度も頷いてくれていた。
ちなみに、新倉は外で見張りをしてくれている。
『……まあ、それもそうよね。大丈夫よ、このお札の力はあの女に効果抜群のはずだから。前にも使った事があるもの、心配無用よ』
「それなら安心しました」
前に使ったとは……数十年前の男子生徒による、旧校舎からの救出劇の件だろう。
あの時にも、花子様はこうして彼に力を貸していたんだろうか。それを尋ねてみても……良いんだろうか?
どうしようか悩んでいると、花子様はお札を返してくれた。
『お札に私の力も込めておいたから、これでもうバッチリのはず。いざという時の結界に、もしくは相手の動きを封じたい時にでも使うと良いわ』
「あ、ありがとうございます」
『それから、旧校舎への入り方なんだけど……貴方、あそこを開ける鍵を持ってるわよね?』
「鍵? って……旧校舎の南京錠を開ける鍵、ですよね。でも、それは昨日職員室に返して……」
と、昨日の職員室での川上先生とのやり取りを思い返して、ハッとした。
結局あの時、僕は旧校舎の鍵を戻し忘れたままだったんた。
新聞部のポスターに書き残されたサヤちゃんの変なウサギのイラストの件で、鍵の事をすっかり忘れてしまっていたんだ。
制服のズボンのポケットに手を突っ込むと、返し忘れたままの鍵が入っている。
僕がそれを花子様に預けると、彼女は手にした鍵を熱心に見つめていた。もしかすると、こうする事で花子様は物に霊力のようなものを宿せるのかもしれない。
しかし、彼女の様子を見るに、今回はかなり念入りに力を送り込んでいるように見える。
どうやら僕の予想は正しかったようで、花子様は大きく息を吐いてから僕に鍵を渡して言う。
『はぁー……。ほら、受け取りなさい須藤』
「お、お疲れ様……です」
『疲れたわ……本当に、疲れた……。流石にあの昇降口をこじ開けるには、私の全力を注ぎ込まないと
彼女の全力が注ぎ込まれた、南京錠の鍵。
しっとりとした冷気を帯びた鍵を握り締め、彼女の熱意と、自分の手の体温とが溶け合っていくのを感じた。
花子様は呼吸を整えながら、僕達に目を向ける。
『……さあ、そろそろ旧校舎に向かう時間よ。ボヤボヤしてたら機会を逃してしまうわ』
そう言われてスマホを見ると、時刻は四時十分になろうかという頃。
『その鍵で南京錠を開けたら、すぐに一階の西トイレに駆け込みなさい。今日を逃せば、サヤって子の状況は更に悪化するはずだから……』
旧校舎の西トイレにあるものと言えば……七不思議の六つ目の『夕方の合わせ鏡』だ。
「例の合わせ鏡……ですか。先輩、今すぐ行かなければ時間に間に合わなくなってしまいます」
『ええ、だから早く行きなさい……!』
花子様に急かされて、僕と村田さんは女子トイレを出た。
「お、もう良いのか?」
廊下に戻ると、左右から他の部活生が来ないかどうかチェックしていた新倉が振り返る。
「うん、準備は出来たよ。四十四分になる前に、旧校舎へ急いで行かないといけない」
「おっし、それならダッシュで向かうか!」
「あの山をダッシュで、ですか……」
少し遠い目をした村田さん。
彼女は確か、そこまで運動が得意じゃないと聞いた事がある。それに、僕だって元野球部の新倉レベルの体力は無い。
「……ですが、雛森先輩の為を思えばこんなの楽勝です。やってみせようじゃありませんか」
「その意気だぜ、村田ちゃん! うし、じゃあ早速旧校舎に全力ダッシュで向かうぞ〜!」
「はい……!」
そうこうしているうちに、二人は僕を置いて走り出してしまった。
僕も急いで二人を追わないと……と、その前に。
振り返った先には、女子トイレの出入り口に立つ花子様が。
彼女は何故か僕達の為に力を貸してくれているけれど、女子トイレから出て行く事が出来ない地縛霊だ。
『……貴方達だけじゃ不安だから、ついて行ってあげたいのは山々だけれど……どう頑張っても、私はここから出られないわ』
悔しそうな、寂しげな表情で僕を見上げる花子様。
『だからせめて、私はここから貴方達の無事を祈ってる。あの女を……──を、どうかあそこから解放してあげてちょうだい』
「え……?」
今、何て……?
上手く聞き取れなかった彼女の言葉は、その姿と共に女子トイレの中へと溶けて消えた。
「……あ、早く行かないと!」
結局、花子様が何を言っていたのか分からないままだ。
それでも、彼女がこの事件を解決してほしいという気持ちだけは、確かに伝わっている。
なら僕達は、それに応えてみせる。
サヤちゃんを救い出して、この事件に終止符を打つ。
それこそが僕達に出来る、花子様への恩返しだから──
「つ、着いたぁ……!」
学校の裏山を駆け上がり、道中で新倉達の背中を見付けてどうにか旧校舎までやって来た。
「遅っせーよ須藤! もう十分も残ってねえぞ⁉︎」
「ご、ごめん……!」
「は、肺が……はぁ、はぁ……死ぬっ……」
先に到着していた新倉は元気そうだけど、村田さんは息も絶え絶えで、その場にへたり込んでいる。
新倉の言葉から察するに、今の時刻は四時三十五分ぐらいだろうか。
まずいな、本格的に時間が無いぞ……!
僕は急いでポケットから鍵を取り出し、昇降口の扉にかけられた南京錠の鍵穴へと先端を差し込んだ。
「なぁ、これで本当に開くんだろうなぁ⁉︎」
「もしも……開かなかったら、雛森先輩は……」
「今はとにかく、花子様を信じるんだ……!」
最後に見た花子様の表情が、脳裏に浮かぶ。
そうして鍵を掴んだ手首を軽く捻った、その瞬間。
パリィィィンッ!!
と、何かが激しく割れるような、ガラスを叩きつけた音に近い破裂音がした。
挿した鍵ごとボトリと落ちた南京錠に呆けていると、先に我に帰った村田さんが、僕の腕を掴んで揺らしてくる。
「せ、先輩、早くトイレに行きましょう……!」
「……っ、そ、そうだったね。行こう、二人共……!」
「おう!」
手をかけた扉は、昨日とは打って変わって簡単に開く。
もしかしたらさっきの破裂音は、花子様の力でここの封印のようなものをこじ開けた音だったのか……?
……真相は分からない。でも、早く行かないと全てが手遅れになる。それだけは間違い無い。
旧校舎の昇降口は、思いの外おかしな様子は見られなかった。
でもサヤちゃんのメモ帳からは、かなり切羽詰まったものを感じたけど……どういう事なんだ?
それに、サヤちゃんが旧校舎に閉じ込められているのなら、トイレなんて行ってないで三人でしらみ潰しに探した方が良いんじゃないか?
そんな事を考えながら、特に異変は見られない旧校舎を駆けて、僕達は一階の西トイレへと到着した。
「時間は……四時四十分だな」
「ったく、ここのトイレで何しろって言うんだろうな……」
新倉の言う通りだ。
合わせ鏡のある旧校舎の一階トイレ。それも西側に限定にされた七不思議の一つ。
これで何がどうなるってるんだか……と、ふと僕はある事を思い出した。
──
それは今朝、花子様が口にしていた話の内容だ。
もう一つの旧校舎……その謎に満ちた発言が、ここの七不思議によって解明されるんだろうか?
僕達が居る旧校舎とは別の、もう一つの旧校舎……そこにサヤちゃんが……?
「あと一分です。お二人共、覚悟は出来ていますか?」
「当たり前だろ! どんなバケモンが飛び出して来ようが、この新倉真二の拳でぶっ飛ばしてやらぁ‼︎」
「いや、多分その辺の幽霊には物理攻撃は効かないと思うけど……」
僕は力こぶを作ってみせた新倉に苦笑しながら、その後ろで食卓塩の蓋を開けて構える村田さんを見た。
どうやら彼女も戦意を漲らせているらしい。
僕らを前後から映し出す合わせ鏡の奥には、汲み取り式の古いトイレが置かれている。
その鏡が、どんな異変を巻き起こすのか……その恐怖と、サヤちゃんへと繋がるかもしれない希望とか、胸の奥で渦巻いていた。
スマホの画面には、ハッキリと『四時四十四分』と表示され──そして遂に、その時がやって来た。
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