第8話 暗闇の学校

 校舎の外から、蝉の鳴く声が聴こえて来る。

 きっと真夜中であろう旧校舎の廊下を歩きながら、わたしは蒸し暑さと気味の悪さを実感していた。


 教室で見付けた箒をしっかりと両手で持って、いつ自分を誘拐した犯人と遭遇しても良いように……警戒しながら進んでいく。

 出来るのであれば、このまま誰にも会いたくない。

 そうしたら安全にここから逃げ出せる。それで、わたしはまっすぐ家に帰るんだから……!


 三階の廊下から、階段を降りていく。

 ここには窓が無いせいで、暗くて足元がよく見えない。だから少しずつ……慎重に、段差を意識しながら下っていく。

 もしも足を踏み外しでもしたら、わたしはきっとここから転げ落ちて……ひえぇ……絶対怪我するじゃない!

 手元にスマホがあれば、ライトとして使えたはずなのに。どうしてメモとペンしか無いんだろう?

 まあ、無いものはどうしようもないから……今出来る事を精一杯やるしかないか。うん、きっとそう!


 階段の踊り場を抜け、また階段を降りて。

 そうして辿り着いた二階の廊下は、窓からの星明かりを受けて、少しだけ明るくなっていた。

 今のところは、誰にも遭遇せず順調に移動出来ている。この調子で昇降口を目指していけば、そこから校舎を出て外に逃げられるはずだよね。

 でも、その途中で犯人と鉢合わせたら……わたし、殺されちゃうのかな……。

 顔を見られたからって、口封じとして──なんて嫌な想像を巡らせちゃって、箒を握る手が恐怖に震えてしまう。


「でも、こんなに暗いんだし……闇に紛れて、上手く身を隠せられれば……」


 誰の目にも触れさせずわたしをどうこうするつもりなら、犯人は人気の無い真夜中の内に行動に出るだろう。

 だからわたしは、そうなる前にここを出るんだ。

 朝になったら誰かが来るかもしれないし、明日は登校日だから旧校舎の大掃除もある。誰かしら絶対に人が来るはずなんだよ。

 それを犯人が知っているのかは、分からない。

 最悪ここから出られなくても、朝まで持ち堪えれば誰かがきっと来てくれる。

 わたしはそんな事を考えながら、更に階段を下っていった。



 そして、いよいよ辿り着いた旧校舎の一階。

 最初に目覚めた教室から階段まではほんの少しの距離だったから、最短距離で一階まで来られたのは、不幸中の幸いだ。

 問題なのは、ここから昇降口までそれなりに歩いていかなければならない事。

 一階にあるのは机や椅子が放置された空き教室が多く、それらの前を歩いて廊下を抜ける。

 そこから更に角を曲がっていった先が、目的地である昇降口だ。

 ……空き教室の中に誘拐犯が居る可能性も踏まえて、これまで以上に気配を消して進まなくちゃ。

 わたしが逃げ出そうとしているのがバレたら、何をされるか分からないもん。こんな所で死んでたまるもんですか!

 決意を新たに、わたしは静かに廊下を歩いていった。

 床も木の板張りだから、あんまり音を立てないようにするのは難しいんだけど……ミシミシ言わないで、お願いだから……!


「……ここまで来れば、もう大丈夫かな」


 やっと……やっと昇降口が見えた!

 後はもう、あの扉から出て山を降りれば、新校舎のグラウンドに出られるはず。

 ひとまず守衛さんを探して、わたしが旧校舎に連れ込まれていた理由を説明して、校門を開けてもらって──

 頭の中で外に出た後の行動をシミュレーションしながら、急いで扉に手を掛けた。

 でも……


「う、嘘でしょ……何でここも開かないの……⁉︎」


 三階教室の窓の時と同じように、昇降口の扉すら全く開けられなかったの。

 体重を後ろにかけて横に力を掛けてみても、全然ダメ。

 中から開けられる鍵なんて無いから、もしかしたら外から施錠されているのかも……?

 そういえば、ここには南京錠が掛けられていたはずよね。

 誰かが外から南京錠を外してくれない限り、わたしはここから出られないって事じゃ……。


 ……ううん、そんなの困る! いつわたしを攫った犯人に気付かれるか分からないのに、旧校舎の中に隠れながら朝まで逃げ続けるなんて、そんなの現実的じゃないもの!

 ええそうよ。さっきはあんな事言ってたけど、本音を言えばどうしようもなく怖くて、今すぐにでも泣き出したいよ……!

 何でこんな所にこんな時間に連れ込まれてて、どうして制服姿にされていて……訳が分からないよぉ……‼︎


「もうっ、こんなのヤダよぉ……! 助けて……助けて、須藤くん……‼︎」


 涙で視界が滲んで、それでもどうにかしてここから出ようと扉に掛けた手に、がむしゃらに力を込めて。

 その状況があの時と……わたしがまだこの町に住んでいた頃と重なって、ぶわりと昔の記憶が蘇って来た。



 あの時もわたしは、どこかの倉庫に入り込んで……自分一人では出られなくなってしまっていた。

 幼馴染の須藤くんや近所の子供達と一緒に、かくれんぼをしていたの。それでわたしは、身を隠す為に倉庫に潜り込む事にしたんだ。

 かくれんぼの鬼は須藤くん……あの頃は『カズキくん』って呼んでたっけ。

 朝から始めたかくれんぼは、わたしがおかしな場所を隠れ場所にしたせいで、日が暮れて真っ暗になるまで続いちゃって──それでも諦めずに、須藤くんはわたしを探し出してくれたの。


『サヤちゃん、みーつけた!』


 きっと、町の隅々まで探し回ってくれたんだよね。

 わたしの前に現れた小さな須藤くんは、前の日に降った雨のせいで跳ねた泥で顔が汚れていて。

 散々走り回って転んだせいなのか、膝まで擦りむいて血だらけで……。

 でも、わたしには眩しいぐらいに輝いた笑顔を向けて、泣きながら座り込んでいたわたしに手を差し伸べてくれたんだ。


「須藤くん……わたし、やっぱり君が居ないとっ……!」


 ああ……またあの時みたいに、君がわたしを見付けに来てくれたら……。

 あの日の君の笑顔に、まだ小さかった頃のわたしがどれだけ救われたか……君はきっと、知りもしないだろう。

 高校に進学すると同時に戻って来たこの町で、また君と一緒に過ごす日々を取り戻して。

 ようやくわたしが心の底から求めていた日常を掴み取る事が出来て、今度だって新聞部の皆と花火を観に行く約束もして……須藤くんが褒めてくれるかなって、とびきり可愛い浴衣だって準備してるんだよ?

 だからわたしは、絶対無事にここから脱出して、また君に会いに行かなくちゃいけないの。

 それなのに……旧校舎の扉は、固く閉ざされたまま。

 もう扉を引けるだけの力も無くなって、わたしはその場にへたり込んでしまう。


「助けて……助けて、須藤くん……」


 わたし一人じゃ……君が居なくちゃ、わたしはずっと泣き続ける事しか出来ない子供のままでしかないの……!

 歯を食いしばって我慢しようとしても、零れ落ちる雫は頬を滑るのを止めてはくれない。

 わたしはいつまでたっても、泣き虫の小さなサヤのままだった。

 暗い所で、独りぼっちで泣き続けるだけの女の子。

 そんなわたしに救いの手を差し伸べてくれるのは、君しか──


「誰も助けになんて来ないわよ?」

「……っ、だ、誰ですかっ⁉︎」


 突然、頭上から女の子の声が降ってきた。

 ビックリして辺りを見回してみるも、何故かそれらしい人影はどこにも見当たらない。

 けれどもその声の主は、コロコロと鈴の鳴るような綺麗な声音で笑う。


「クスクスッ……アナタはここに囚われた、ワタシの大切なお姫様。絶対に助けなんて届かない、歪んだお城に閉じ込められた女の子……!」


 弾むような声で喋る様子から、その女の子らしき人物は、この状況を楽しんでいるように感じた。

 わたしが囚われのお姫様って……?


「ど、どこに居るんですか……? もしかして、わたしをここに連れて来たのはあなたなんですか⁉︎」

「ふふっ……そうとも言えるし、そうとは断言出来ないわ」


 最初の時とは違う方向から声がする。

 さっきは左から……今は後ろから声が聞こえた。

 それでも、やっぱり姿は見えなくて。

 いつの間にかさっきまでの暑さが嘘のように消えて、ゾクリと肌が粟立つのが分かる。

 姿も無いのに声がして、急に肌寒くなるなんて……こんなの、まるで──


「まるで幽霊みたい、って思ったでしょ?」

「どうして、わたしが思った事を……?」


 ぴたん、ぴたん……と、素足で床を歩く音がした。

 怖くて俯いていたわたしの視界に入る、細っそりとした……けれども不健康な程に真っ白な、女の子の両足。

 わたしの本能が『まずい』『逃げろ』と警鐘を鳴らすけれど、腰が抜けてしまったのか、上手く立ち上がる事が出来なくなっていた。

 裸足の少女は、一歩、また一歩とこちらに近付いて来る。

 と同時に、八月の猛暑ではあり得ないはずのひんやりとした空気が、わたしの身体を包み込んでいく。


「ワタシはね、アナタがワタシの宝物を拾ってくれた時に決めたのよ。今度こそは、この子と一緒になろう……ってね」

「たから、もの……?」


 顔が、自分の意思と反して上を見上げようとする。

 そうしてしまったら、見てはならないものを直視してしまう。目が合ってしまう。

 絶対に避けなくてはいけない事のはずなのに、そう理解していても顎がどんどん上へともちあげられていくの。

 誰かが……もしくは目の前の彼女が、わたしの顎をすくい上げているのだとでも言うように。

 そして遂に、わたしは『それ』を目の当たりにしてしまった。


「ああ、ようやくこっちを見てくれたのね……! ええ、やはりワタシの目に狂いは無かったわ。この出逢いは運命に定められていたのだから……!」

「あ、あなた……は……その、顔は……」


 足と同じか、それよりも青白い少女の顔が、恍惚に歪む。

 それを直視した途端、わたしは全身の震えが止まらなくなっていた。


「だってあの時、拾ってくれたでしょう? ワタシの宝物……『赤い手帳』を、ね……?」


 彼女の言葉がトリガーとなって、わたしはこれまで忘れていた全ての事柄を思い出した。

 そして脳裏に蘇る、真夏の日差しが降り注ぐアスファルトの上に転がっていた、『赤い手帳』の姿を。

 わたしは……わたしは確かに、あの古い手帳を拾って家に帰っていた。帰ってしまったんだ。


「ワタシの『赤い手帳』が見えた、拾ってしまったあの瞬間……サヤ、アナタはワタシの運命の女の子になったのよ……!」


 そう言って楽しそうに笑う少女は、その場で踊るようにくるりと周りながらスカートをなびかせた。

 彼女が見に纏うのは、古めかしさを感じさせる紺色のセーラー服。

 わたしが着ている制服とは違う、三つ編み姿の女の子。


「だ、誰なの、あなた……わ、わたしを、どうするつもりなの……⁉︎」

「ああそうね、まだ名乗っていなかったわね。ごめんなさい、サヤ。ワタシの名前は──」


 そうして彼女はわたしの耳元で、そっと名前を呟くのだった。

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