第6話 情報源

 僕の住んでいる家は、ごく一般的なマンションだ。

 父と姉と僕の三人暮らしで、姉さんはアルバイトをしながら大学に通う女子大生。父さんはサラリーマンで、残業が多い。

 この時間帯に家に居るのは、僕と姉さんの二人だけ。

 絶望的に料理の才能が無い姉さんに代わって、いつも僕が台所に立っている。


「ただいま」

「おー、お帰り一樹〜」


 やる気の無い姉さんの出迎えを受けて、リビングに向かう。

 そこではテレビゲームを楽しむ姉さんが僕に背を向けたまま、オンライン対戦の格闘ゲームに励んでいた。

 普段なら夕飯が出来るまでそっとしておくんだけど、今日はどうしてもバイトに行くまでに聞いておかなくちゃいけない事がある。

 賽河原高校の七不思議……その中の『赤い手帳』について、出来るだけ詳しく聞き出す必要があるからだ。


 僕は荷物を部屋に置いて、一度対戦を終えて飲み物を取りに冷蔵庫へ向かおうとしていた姉さんを呼び止めた。


一美かずみ姉さん、ちょっと良い? 聞きたい事があるんだけど」

「ん? 今日来たアプデのバランス調整の話?」

「いや、そうじゃなくて……」


 一美姉さんは冷蔵庫からジャスミン茶のペットボトルを取り出すと、それをコップに注いでグビグビと飲み干していく。

 オンライン戦で相手を手玉に取るのが快感だと言う姉さんの発想に内心で溜息を吐きながら、改めて問い直す。


「……この前ネタで貰った七不思議の事なんだけど、もう少し詳しい話を聞きたいんだ」

「七不思議?」


 姉さんはもう一杯コップにお茶を注ぎ、テレビの前に置かれたローテーブルに置いた。

 僕も今日は散々走り回って喉が渇いているから、よく冷えたコーラを注いで口に運ぶ。

 暑い日に飲む炭酸ジュースの美味しさは別格だけど、今はそこまで美味しく感じられない。サヤちゃんが置かれている状況を思うと、呑気にコーラを堪能出来るような気分じゃないからだ。


「賽河原高校の七不思議ねぇ……。この前話した分だけで記事に出来るんじゃないの?」


 一美姉さんはそう言って、座椅子に腰掛けてからまた一口ジャスミン茶を飲んだ。

 僕は姉さんの横に腰を下ろす。


「いや、その……うちの高校の七不思議って、最後の一つが特殊だろ?」

「それって『赤い手帳』の事だよね?」

「うん、それ。今回はそれをメインにした特集記事にしようかって流れになっててさ、出来ればもっとネタになるような話を知りたいんだよ」


 今日の新聞部での打ち合わせで新倉達に話した、賽河原高校の七不思議。

 多分今回のサヤちゃん失踪に関係しているのは『赤い手帳』だろうけど、他の七不思議はこんな話だった。




 一つ目、『トイレの花子はなこさん』。

 これはもう有名すぎて説明する必要も無いレベルだけども、意外と地域によって細かな違いがあるらしい。

 賽河原高校の花子さんは、校舎の女子トイレの四番目の個室をノックすると姿を見せるのだという。

 彼女に会うと何か一つ質問をされて、その答えが花子さんのお気に召さなかった場合……呪い殺されるんだとか。


 二つ目は、『夜の音楽室のピアノ』。

 夜の音楽室でベートーベンの肖像画のポスターと目が合うと、突如としてピアノが勝手に鳴り出すらしい。

 花子さんと違って直接的な被害は無いものの、誰も居ないはずの音楽室でそんな怪奇現象に遭遇するのは、誰だって勘弁願いたいはずだ。


 三つ目。これもまた有名な、『動く人体模型』。

 夜の校舎で人影を見たかと思いきや、それが実は理科室の人体模型だったという奴だ。

 賽河原高校の人体模型は内臓が取り外せるようになっている。

 ただし、誰かがパーツを一つどこかにやってしまったせいで、人体模型は校舎を歩き回りながら足りない部品を探しているのだという。

 もしも途中で人体模型と遭遇してしまった場合……上手く逃げ切る事が出来なければ、自分の臓器を抜き取られてしまうとか。


 そして四つ目は、『魔の十三階段』。

 ある条件が揃った時、学校のどこかの階段の段数が一段増えてしまう。

 一見すると、段差が一つ増えるだけならそこまで気にならないし、むしろ気付かず素通りしてしまいそうにも思えるだろう。

 けれども十三段の階段というのは、絞首台へ上がる為の階段と同じ段数で……そこを上がりきってしまえばどうなるか。あまり考えたくない話だ。


 続いて五つ目が、『開かずの扉』。

 これは旧校舎のどこかにあると言われている扉ではあるものの、少なくとも僕の身近にそんな扉を見付けた人物は居ない。

 その扉の先に何があるのかは、誰にも分からない。


 六つ目は、『夕方の合わせ鏡』。

 旧校舎の一階トイレには合わせ鏡がある。

 夕日が差し込む西側のトイレに行き、夕方の四時四十四分になると異変が起こるらしい。

 一美姉さんも賽河原高校の卒業生だから、学生の頃に一度それを試してみようと思った……そうなんだけど、いざその時間を迎えようとした途端、とてつもなく嫌な予感がして実験は中断したんだとか。

 姉さんはかなりの怖い物知らずで、だからこそこんな話もよく知っているんだけど……。

 そんな姉さんでも恐怖を感じる合わせ鏡には、出来れば僕も関わりたくないな。


 そして、最後の七つ目が……『赤い手帳』だ。

 要約すれば、旧校舎から飛び降り自殺した女子生徒が残した、呪いの手帳の話だったけど……。




「うーん……具体的には何を知りたいの? 一応、あたしが知ってる事は全部話したつもりなんだけど」

「赤い手帳を拾って行方不明になった女子生徒の中に、生存者……っていうか、無事に戻って来た人は誰も居なかったのかなと思って」


 自殺した女子生徒の魔の手から逃れられた子が居るのなら、それこそがサヤちゃんを救い出す手段になるかもしれない。

 ただ、サヤちゃんの件とこれまでの行方不明者とでは、決定的に異なる点が残されていた。


 それは『行方不明になった事が、周囲に認知されているか否か』だ。


 村田さんが送ってくれたネット記事には、何年かに一度姿を消してしまう女子生徒の行方不明事件が残っていた。

 そこには居なくなった生徒の顔写真や氏名も記載されていた事から、『世界から存在が消されてしまった』サヤちゃんとは状況が異なっているからだ。

 可能性の話でしかないけど、毎年女子生徒が姿を消していて、サヤちゃんのように存在ごと消されてしまったせいで行方不明者が知られる期間に空白があったのかもしれない。

 ひとまず今は、仮に何かのきっかけで『存在が抹消される例外』になってしまうケースがある、と考えて答えを探していこうと思う。


 サヤちゃんと他の行方不明者の違いは、何なのか。

 それが判明すれば、彼女を旧校舎から助け出せる……そんな確信めいた予感があった。

 すると、姉さんが口を開いた。


「……あたしも昔『赤い手帳』について調べてみた事があったんだけど、行方不明者は誰一人として発見されてないんだよ」

「やっぱり……そうなのか……」

「表向きには、ね」

「えっ……⁉︎」

「いや、それだと正確性に欠けるか。正しくは『帰還者が居るかもしれない』って話なんだよ」


 一美姉さんが言うには、姉さんが賽河原生だった頃、先生達に手当たり次第『赤い手帳』についての聞き込みをしていたらしい。

 賽河原高校は私立の学校で、長い間在籍している先生も何人か居る。

 その中で一人だけ、他の先生達とは少し違う『赤い手帳』の七不思議の話をしてくれたんだという。


「その先生はね、付き合ってた彼女がある日突然行方不明になっちゃったんだって。マメに日記を書いてた女の子で、料理も上手で、よくお弁当を作ってきてくれたんだって惚気話のろけばなしをしてくれたよ」

「ノロケは良いから、七不思議についての話を詳しくしてくれ……!」

「はいはい、それでね……」




 ────────────




 賽河原高校のとある先生が、学生時代に付き合っていた彼女。

 その少女が日記として書き込んでいたのは、赤い帳面だったという。

 そしてある夏の日、その少女はぱったりと姿を消してしまった。

 彼女を捜したその少年は、必死に友人や知人に聞き込みをしてみたものの……彼女の事を知るはずの人々は、誰も少女の事を覚えていなかった。


 少年の手元に残されたのは、彼女が書き記していた赤い日記帳だけ。

 彼女の存在を唯一記憶していたその少年は、行方不明になった原因が賽河原高校の七不思議にあると推測した。

 閉じ込められて絶対に出られない校舎など、あるはずがない。

 七不思議の最後──『赤い手帳』の謎に辿り着く為に、少年は残る六つの怪奇に対峙した。




 ────────────




「それで何やかんやあって、その先生は彼女さんを救い出したんだってさ」

「その話、本当なの⁉︎」


 姉さんが語ったその話を聞いて、僕は思わず身を乗り出して問いただしていた。

 そんな僕の剣幕に、姉さんはビクリと肩を震わせる。


「うわっ! な、何なの一樹……あんたってそんなにオカルト好きだったっけ?」

「い、今はそういう事にしておいて良いよ! その話が本当にあった話なのかを教えてくれれば、それで良いから‼︎」

「ど、どうなんだろうなぁ……。あたしも流石に真偽までは分からないよ」


 どうやらその先生は、話の最後に「まあ、信じるか信じないかは君の自由だよ」と言っていたらしい。

 先生は普段から冗談をよく言う人物だった事もあり、話の信憑性には少し欠けるんだとか。


「……でも、この話を聞けたのは無駄じゃなかったかもしれない。ひとまず助かったよ、姉さん」

「まあ、役に立てたってんなら良かったけどさ? それにしても、今日の一樹は何か変だね……」


 そう、無駄じゃなかった。

 七不思議の一つ『赤い手帳』が実在する怪奇現象だと仮定するなら、他の六つだって存在するかもしれないじゃないか。


 僕はコップに残ったコーラを一気に飲み干して、スマホを片手に自分の部屋に向かった。

 姉さんから聞いた情報を元に、サヤちゃん救出計画を立てるんだ……!

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