第5話 記憶と記録

「おーい、新倉! 村田さーん!」


 僕の呼ぶ声に、既に校門前で待機していた新倉と村田さんが振り向いた。

 今日だけでもう何度走ったのか分からなくなってきたけど、これまた今日何度目かの息切れを起こしながら、二人の元へ到着する。


「おう、須藤! 何か収穫あったかー?」

「そ、それが……」


 笑顔で片手を上げて僕を出迎えた須藤と、妙に静かな村田さん。

 彼女の様子がいつもと違うような気がしたものの、ひとまず僕が得た情報を二人に共有するのが先決だろう。





「まさか、川上先生まで雛森の事を覚えてねえとはな……」


 僕が川上先生とした、職員室での話──先生が持っていたクラス名簿と、先生自身の記憶からサヤちゃんの存在が消えていた事を二人に伝えた。

 それを聞いた新倉は勿論だけど、一番ショックを受けているらしかったのは村田さんの方だった。

 彼女は悔しそうに俯いて、両手をぎゅっと握り込んでいる。


「やはり雛森先輩は、もう……」

「でも、一つ重要な手掛かりを得られたんだ!」

「え……?」


 僕の言葉に、村田さんが僅かに顔を上げた。

 彼女の瞳にはほんの少しだけ希望の色が宿って、僕の手元にある『ある物』に視線を移す。


「あの、先輩。それは……?」

「これは、雛森さんを救える手掛かり……になるかもしれない、新聞部のポスターだよ」

「ポスター? もしかして、入部希望の募集のヤツか? 確か、村田ちゃんと雛森が作ってた……」

「うん、それだよ」


 僕は階段の踊り場から剥がしてきたポスターを広げ、それを二人に見せながら言う。


「これをよく見てほしいんだ。新倉がさっき行っていた通り、このポスターを作ったのは村田さんと雛森さんだった。でも……雛森さんの家族や家の表札、クラス名簿からは彼女の事が消えてしまっているのに……」

「……ああ、そういう事か! 雛森が描いたブサウサギがここに残ってんのか!」

「ほ、本当ですね……! この少しだけ崩れた顔の兎のイラストは、雛森先輩が自らお描きになったものです。間違いありません!」


 両手で上下を広げたポスターを見て、二人がハッと目を見開いた。

 続けて僕は、更に推測を並べていく。


「このウサギの絵や、雛森さんのメモ帳……。この二つに共通するのは、雛森さんが書き残した物だって事だ」

「今のところはそれだけが存在していて、俺達以外はあいつの事を忘れちまってる……んだよなぁ、多分」


 すると、村田さんがスマホを取り出して画面をスクロールしていく。


「私の友人にも『新聞部の部長の名前は分かりますか?』と送ってみたのですが、彼女達から返ってきた返事は……こちらです」


 そう言って、彼女は僕にスマホを差し出した。

 村田さんのクラスメイトだろうか。その何人かが集まったグループチャットには、「え、確か工藤とかいう地味な人じゃなかったっけ?」と書かれている。

 僕、工藤じゃなくて須藤なんだけどな……。地味なのは否定出来ないけどさ。


「俺の方も何人か聞いてみたんだけどよ、『新聞部って全部で何人か知ってるか?』って言ったら、俺とお前と村田ちゃんの三人だろって言われちまってさ……。こりゃもうガチで俺達以外が雛森の事忘れちまってるっぽいぞ?」


 知り合いや同級生全員に確認を取った訳ではないものの、二人が調べてくれた限りでは、この場に居る三人以外にサヤちゃんの記憶が残っている人は居ないらしい。

 あの川上先生ですら、サヤちゃんとは英語の授業で関わりが深かったはずなのに……何も覚えていない様子だったんだから。


「……ですが、これ以外には雛森先輩を探し出す手掛かりは無いんですよね? 他に何か……ほんの少しでも、先輩に繋がる情報があれば……」


 力無く呟いた村田さんの声が、蝉の鳴き声に掻き消されていく。

 それからもしばらく三人で顔を突き合わせ続けていたけど、気が付けば夕日はほとんど沈みかけていて。


「……仕方ない。今日の所は一旦帰ろう。早く帰らないと、流石に親も心配するだろうし」

「んじゃあ俺、帰る方向同じだから村田ちゃん送って帰るわ」

「えっ……一体何の真似ですか? まさかと思いますが新倉先輩、私を暗がりに連れ込んでよからぬ事を……」


 ジトリとした目で新倉を睨む村田さん。

 けれども新倉は、彼女のそんな視線をものともせずに笑っていた。


「いやいや〜、そんな怖い目で睨むなよ村田ちゃん! 流石に夜道を女子一人で帰らせるほど薄情な男じゃねえぞ、俺は!」

「それは本心からの言葉ですか……?」

「新倉は悪い奴じゃないよ。村田さんは新聞部に入ってまだほんの数ヶ月だけど、それだけの間でも新倉の性格はよく分かってるんじゃないかな?」

「むむ……」


 僕にそう言われた村田さんは、少し唇を尖らせて視線を逸らす。

 今日まで二人を見てきた僕が思うに、新倉の扱いは村田さんが一番上手いと感じている。

 番犬と飼い主のような感覚というか……むしろ、仔犬とブリーダーみたいな関係とでも言えば良いだろうか。

 いつも突っ走りがちな新倉を、村田さんというブレーキが制御する。そんな二人だからこそ、僕はこのメンバーでならサヤちゃん捜しだって上手く連携してやっていけると思っている。

 すると村田さんは、僕の意見に納得してくれたらしい。


「……それもそうですね。須藤先輩の仰る通りです。それに……」

「それに?」

「新倉先輩が私に手を出すような愚行を働くようには到底思えません。多分恋愛経験はゼロでしょうし、中身はまるで夏休み真っ只中の小学生男子そのままです。そんな人が私をどうこうしようという発想に至るはずがないですよね?」

「うーん……中身が小学生なのは僕も否定出来ないなぁ」


 思わず苦笑して答える僕に、新倉が絶叫した。


「何でだよ⁉︎ どこからどう見ても立派な高校生じゃねえか!」

「先輩からはどうにも品性が感じられないんですよね。そもそも、貴方のような人が何故新聞部に入部したのかも謎です。新倉先輩は運動部の方が向いているのでは?」

「村田さん、その話は……!」

「良いんだよ、須藤」


 二人の間に割って入ろうとした僕を、新倉が腕で制した。

 どこからどう見ても陽キャでアクティブな性格の新倉が、どうして新聞部に入ったのか。

 その理由を知る僕は、ズバズバと物を言う村田さんを止めなければならないと思ってしまったんだ。

 ……けれども、その質問をぶつけられた張本人は違う意見らしい。

 僕は彼の意見を尊重して、黙って新倉を見守る。


「……俺な、中学までは野球部のエースピッチャーだったんだ」

「やはり新倉先輩はスポーツをやっていらしたんですね。それなら、どうして高校では新聞部に?」

「スポーツ漫画なんかでよくある話だよ。……中三最後の夏の大会直前に、交通事故に遭っちまってさ」

「え……」


 それを聞いて、村田さんの表情が翳る。


「事故の原因は、ドライバーの飲酒運転だった。チャリで試合会場まで行く途中に、そいつが運転する車と派手にぶつかっちまってな。……それが原因で、俺はもうエース張ってられるほどの球を投げられねえ身体になっちまったんだ」


 理不尽な交通事故が原因で、野球の道を諦めざるを得なかった新倉。

 そんな彼の話を聞いて、村田さんは気不味そうに俯いた。


「……無神経な質問をしてしまい、すみませんでした」

「良いんだよ、そんなの! もう二年も前の事なんだしさぁ」


 けれども、新倉本人はヘラリと笑って返してみせた。


「今は新聞部の皆と楽しくやれてるし、肩がアレなだけで脚の方は至って健康だからな! そうでなきゃ、自転車通学なんてまともに出来ねえし……つってもまあ、俺の話なんてしてる場合じゃねえよな」


 そう言いながら、颯爽と自転車に乗る新倉。

 彼は親指で自転車の後ろを指差して、村田さんを見る。


「村田ちゃん、後ろ乗ってけよ。今日は早いとこ休んで、明日の朝になったらまた集まろうぜ! そしたら雛森捜しの再開だ!」


 しかし、村田さんは顔をしかめて言う。


「……自転車の二人乗りは危険ですよ? 送って下さるのはありがたいですが、先輩は自転車を押して歩いて頂かないと困ります」

「へへっ、村田ちゃんならそう言うと思ってたよ。んじゃ、言われた通りに歩いて帰りましょうかねぇ〜」


 結局新倉は自転車から降りて、村田さんも彼の隣に並んでこちらを向いた。

 彼女はいつものように、丁寧に頭を下げる。


「それでは須藤先輩、また明日宜しくお願いします。……私の方でも、何か良い手掛かりが無いか探してみようと思います」

「俺も思い付く限り考えとくわ!」

「うん、また明日。僕も出来る範囲で調べてみるよ」


 明日の朝八時にもう一度校門前に集まろうと約束して、僕達は解散した。

 自転車を押して歩き始めた新倉と、その横に並ぶ村田さん。

 僕は二人の背中をしばらく眺めてから、もう遠くの景色が暗くなってきた夏空を見上げた。


「待っててね、サヤちゃん……。僕達がきっと、君を見付け出してみせるから──」

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