第4話 一筋の光

「サヤちゃんのお母さんが、サヤちゃんの事を忘れてる……?」


 村田さんから送られたチャットには、サヤちゃんのお母さんが娘を産んだ覚えが無い事。

 そして、彼女の家の表札からサヤちゃんの名前が消えているとの旨が綴られていた。

 村田さんはそんな嘘を言うような子じゃない。それに何より、彼女はサヤちゃんを尊敬している。

 ……それは頭では理解していても、まるでサヤちゃんの存在がこの世から消えてしまったとでも言うような、作り話じみた内容だった。


 でも、僕の方で確認した旧校舎の状況も異常だ。

 開かない昇降口と窓というのは、サヤちゃんのメモに残されていた走り書きの内容と一致する。

 旧校舎……そしてサヤちゃんの家族に起きた異変の原因が同じだというのなら──


「まだサヤちゃんの事を覚えている僕達で、彼女を助け出すしかない……!」


 そう確信した僕は、旧校舎を背に走り出した。

 と同時に、チャットアプリの無料通話機能で村田さんに電話をかける。

 移動しながらチャットを打つより、直接話しながらの方が手っ取り早いと思ったからだ。

 山道の階段や斜面に気を配りながら、出来る限りの速さで新校舎を目指していく。

 ……だが、村田さんとの電話は繋がらない。どうしてだ?

 もう一度かけ直すか……と思ったその矢先、何故か新倉から電話がかかってきた。


「も、もしもし?」

『おう、須藤』

「何で新倉が通話してくるんだ……? そっちに村田さんが居るんじゃないのか?」

『あー……』


 何か言いにくそうにする新倉を不思議に思っていると、すぐに返事が返って来る。


『……村田ちゃん、ちょっとトイレ行ってくるっつって席外してんだわ。だから代わりにお前と話してくれって頼まれ……っ痛え!』

「ど、どうした⁉︎」

『い、いや……何でもねえ! 気にすんな。ところで、何の用で電話してきたんだ?』


 ……新倉の様子が気になるけど、今はそれどころじゃないな。


「今、旧校舎を見てきたところでさ。でも、サヤちゃんのメモ帳にあった通り、どこからも出入り出来ないみたいなんだ」

『えーと……確か、昇降口とか窓が開かないってヤツだったか?』

「そう、それ。で、これから新校舎の職員室にいこうと思ってて」

『職員室に?』

「旧校舎の鍵を返しに行くのと……川上先生なら、雛森さんの事を覚えてるかもしれないと思ってさ。ほら、雛森さんって英語が得意科目だろ?」


 川上先生は二年生の英語の授業を担当しているから、当然サヤちゃんの事だって知っている。

 それに一年の頃からテストで好成績を残している彼女の事なら、先生も覚えているはずだからな。


『はぁー、確かにそうだなぁ……。んじゃ、先生が雛森の事を覚えてるかどうかはお前に確認任せて大丈夫だな? 俺は他の連中に手当たり次第連絡取って、雛森の事を聞いてみるわ!』

「ああ、そっちは任せるよ。それじゃあ、後で校門前で落ち合おう。村田さんにもそう伝えておいて」

『りょーかいっ! また後でな、須藤!』


 そう言って、新倉が通話を切った。

 それを確認した僕は一旦スマホを仕舞って、職員室へとまっしぐらに走る。

 あまりの異常事態に巻き込まれているからか、目的地に着く頃まで僕は暑さを忘れて走り続けていた。


 



 ようやく職員室に辿り着いた僕は、同じようにして職員室のドアを開けた。

 そこには席でコーヒーを飲んでいる川上先生の姿しかなく、他の先生達は既に帰宅した後のようだった。

 僕に気付いた川上先生が、コーヒー入りのマグカップを置いてひらりと片手を挙げる。


「おう、戻ったか須藤。忘れ物は見付かったか?」


 再び冷房の効いた天国のような室内に、吹き出した汗と身体が急速に冷やされていくのを全身で感じる。

 僕は乱れた呼吸を整えながら、思い切って先生に問い掛けた。


「……あの、一つ質問があるんですが」

「ん? 何だ、言ってみな」


 先生は事務椅子をくるりと回転させて、僕の方に身体を向けた。

 僕の質問を待つ先生の表情は、いつも通りに穏やかで……。

 そんな『日常』を目の当たりにしてしまうと、サヤちゃんを中心とした『非日常』の今が浮き彫りにされてしまうようで……胸の騒めきが治らない。

 ほんの数秒で言い終えられる問いを声に出すだけ。

 たったそれだけの事なのに、言葉にするのが躊躇われてしまうんだ。


 ……でも、確かめなくちゃ始まらない。

 新倉とだって約束したんだ。

 他にもサヤちゃんを覚えている人が居るなら、おかしくなっているのはサヤちゃんの家族だけだという事が判明するんだから。


「……先生は、二年一組の雛森沙夜さんを覚えていますか?」

「雛森?」


 遂に、言ってしまった。

 僕に出来るのは、先生からの返答を受け入れる事だけ。

 そして……数分にも思えるような重い沈黙の後、川上先生が口を開いた。


「一組の雛森ねぇ……。そんな名前の生徒居たっけか?」

「えっ……」


 その瞬間、僕を取り巻く空気が、全て凍り付いたような気がした。


「雛森……雛森……」


 先生は彼女の苗字を呟きながら、机の上に並べられたファイルの中から一つを手に取る。

 どうやら生徒の名簿らしい。


「先生……冗談じゃなく、本気で雛森さんの事を覚えてないんですか……⁉︎」

「ちょっと待ちな。今一組の名簿をチェックしてるから……」


 と、先生の視線が上から下へ移動していくのが分かる。

 名前順なら、雛森沙夜は名簿の後半に記載されているはずだ。

 すると、川上先生の目の動きが止まった。


「……先生?」

「んー……残念だが『雛森沙夜』なんて名前の子はここに無いなぁ」

「そ、そんなはず無いですよ! 本当に忘れちゃったんですか⁉︎ 一年の頃から先生のテストで毎回九十点台を叩き出してて、学年でやった英語の討論大会でだって川上先生が凄く褒めてて……それなのに本当に覚えてないんですか、先生‼︎」


 叫び過ぎて喉が痛い。

 でも、そんなの関係無い。先生が本気でサヤちゃんの事を忘れてしまっているだなんて、信じたくなかった。

 けれども、先生は僕の目の前に名簿ファイルを突き出して言う。


「嘘だと思うなら、自分の目ん玉でよーく見て確かめてみな」

「……っ、そん、な……」


 二年一組のクラス名簿。

 そこに目を通し、僕は文字通り辛い現実を突き付けられた。

 あるはずの名前が……雛森沙夜の名前が、どこにも載っていなかった。

 川上先生の言っている事は、正しかったんだ──


「……須藤。お前さ、最近妙な物とか見なかったか?」


 絶望する僕に、先生はそんな突拍子も無い質問をしてきた。


「……例えば、どんな?」

「いや、心当たりが無いなら別に構わないんだ。ただほら、ちと引っ掛かる事があってな」


 そう言うと、先生は「もう暗くなるから早く帰りな。オレもすぐ帰るからよ」と言って立ち上がり、マグカップの片付けを始めてしまった。

 僕は大きな喪失感を抱えながら、先生の言葉に従って大人しく職員室を後にする。


「……そうだ。校門で新倉達と待ち合わせしてたんだっけ」


 力の入らない脚をどうにか動かして、職員室前の階段を降りていった。



 階段の踊り場には、学校行事のお知らせや読書週間なんかのポスターが掲示されている。

 ふと目にした先にあったのは、そんな中に紛れて貼り出された新聞部の勧誘ポスターだった。

 そこには、サヤちゃんと村田さんが一緒に描いたイラストが載っている。

『新聞部 入部希望者募集中!』と大きく書いた字の横に、ちょっとつぶれたお饅頭みたいなウサギのがペンとメモを持った絵が描いてあった。


「ふふっ……これ、確かサヤちゃんが描いたんだよな。サヤちゃんの絵が下手なのは、小学校の頃から変わってな……い……」


 ……あれ?

 どうしてサヤちゃんが描いたウサギが残ってるんだ?

 家の表札からも、クラスの名簿からも彼女の名前は消えていた。

 それなのに、どうしてここに彼女が居た証であるポスターのウサギが消えずに残ってる……⁉︎


「これ……もしかしたら、サヤちゃんを救う手掛かりになるんじゃないか……⁉︎」


 そう思い至った僕は、画鋲で四隅を留められたポスターを大急ぎで剥がして、筒状に丸めた。

 それを片手にスクールバッグを肩に掛け直し、全速力で階段を駆け下りて昇降口に向かう。

 急いで靴を履き替えた僕が目指す先は、新倉と村田さんとの集合場所である校門前。そこに二人の人影と自転車を見付けた僕は、彼らに向かって大声で呼び掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る