第3話 歪む現実
新聞部の部室を飛び出した僕が向かったのは、旧校舎──ではなく、新校舎の二階だった。
サヤちゃんのメモにある事が事実なら、旧校舎の昇降口には鍵がかけられているはずだ。なら、その鍵を取りに行くしかない。
僕は目当ての部屋の扉をノックして、息を切らしながらドアをスライドさせる。
「二年の、須藤です。失礼します……!」
新校舎の二階……職員室には、各教室の鍵が保管されている。
ハァハァと荒い呼吸で入室した僕に、僅かに残っていた先生達の視線が注がれている。うわー、職員室のクーラーめちゃくちゃ涼しい。
その中の一人、僕のクラスの担任である川上先生が声を掛けてきた。
「おい、どうした須藤? そんなに息切らして……ここまで走って来たのか?」
「ま、まあ……そうなりますね……」
川上先生はもうじき定年を迎えるお爺ちゃん先生で、英語教師をしている優しい先生だ。
大好物は、奥さんが作ってくれるカレー。
そんな川上先生は料理上手な奥さんの影響か、お腹だけがぽっこりと出ている。万年幸せ太りな旦那さんだ。
心配そうに僕を見る川上先生に、僕は簡潔に用件を伝えた。
「あの……旧校舎の鍵を、借りても良いですか……?」
「旧校舎の? 何だ、今日の掃除の時に忘れ物でもしたのか?」
「ええ、ちょっと。用が済んだらすぐに返しに来ます」
「須藤が忘れ物するなんて、今日は雪でも降るんじゃないか? アッハッハッハ!」
ケラケラと陽気に笑う先生は、壁際の鍵掛けから旧校舎の鍵を手に取った。
先生はそれを僕に差し出して、
「早く戻らないと日が暮れるから、それまでに職員室に戻って来るんだぞ? それまでオレも帰れないからな」
と言って、快く鍵を貸してくれたんだ。
川上先生とは比較的仲が良い方だとは思うけど、これだけ信用してくれている先生に嘘の理由を言ってしまった事実に、チクリと胸が痛む。
「あ、ありがとうございます……!」
「いいってことよ。ほれほれ、暗くなる前にさっさと行っトイレ〜!」
僕は先生のダジャレにどう反応すれば良いのか困りながら、一礼してから職員室を出た。
……サヤちゃんの事は、この目で真偽を確かめてみないと分からない。
サヤちゃんが本当に旧校舎に閉じ込められているのか。
それには、七不思議の『赤い手帳』が関係しているのか。
その二つの真相が曖昧な今、この状況を先生達に伝えたとのろで信じてもらえるのか分からない。
……まあ、川上先生なら多少は信じてくれそうだけど。先生達に相談するのは、旧校舎を確かめてきてからでも遅くはないだろう。
旧校舎がある裏山は、比較的道が整備されていて歩きやすい。
整備といっても、山奥の観光地なんかによくある石や木で段差を作った階段みたいな道だけど。
それでも、手付かずで剥き出しの斜面を登り続けるよりは楽だ。
そこをスニーカーで黙々と登っていきながら、夕日が僕の背中をジリジリと照り付けているのを感じる。
こめかみを伝う汗を手の甲で拭いつつ、肌にべったりと張り付く制服に不快感を覚えながらも、最後まで早足で登り切った。
「はぁっ……ようやく着いたぞ、旧校舎……!」
僕はスクールバッグを肩に掛け直し、駆け足で昇降口を目指す。
旧校舎は木造建てで、僕達が普段通っている新校舎より一回り小さいぐらいだろうか。
四階建ての新校舎に対し、この旧校舎は三階建て。その分、サヤちゃんを探すのは捗るはずだ。
昇降口には南京錠が掛かっているので、職員室で借りて来た鍵で錠を開ける。
そうして引き戸に手を掛け、僕は一刻も早くサヤちゃんを探しに行かなければと、戸を開ける手に力を込めた。
……のだが、昇降口の戸はビクともしない。
「ぐっ……老朽化してるせいか……⁉︎」
片手に鍵を持ったままだから上手く力が入らないのかと思い、制服のズボンのポケットに鍵を突っ込んで、もう一度戸に手を掛ける。
しかし、何度チャレンジしても引き戸が動く気配が無い。
間違い無く南京錠は外したはずなのに、だ。
「ど、どうなってるんだよ……!」
その時、僕の脳裏にサヤちゃんのメモ帳に記されていた内容が過った。
彼女が書き残した内容から見て、開かないのは昇降口だけではない。窓も開かないと書いてあった。
「まさか……」
試しに近くの窓を開けようとしてみたが、どうにもならない。
中からしか開けられないのは当然の事だとは思うけど、あのサヤちゃんの筆跡から察するに、彼女は相当焦っていたはずだ。
それだけ緊迫した状況下にある人間が、どれだけ試しても開ける事が出来なかった窓。
何か……嫌な予感がしてならない。
いっその事、窓を叩き割ってでもサヤちゃんを探しに行くべきか……。
そんな考えが過ったところで、スマホから軽やかな通知音が流れた。
その通知は、例のチャットアプリ。どうやら村田さんからメッセージが来ているらしい。
「村田さん、新倉と合流出来たみたいだな」
という事は、サヤちゃんの家で彼女の安否を確認出来るはずだ。
アプリを開いてグループチャットに目を通す。
『先程、新倉先輩と合流しました。先に雛森先輩のお母様に話をしていたようで、私も後から加わりました』
『ただ、その。にわかには信じられない事だと理解しているのですが……』
「は……? 嘘、だろ……?」
あまりに衝撃的な内容に、僕は彼女からのメッセージを何度も何度も読み返した。
だが、それはどう見ても僕の読み間違いなんかじゃなくて。
村田さんからのメッセージの続きには、僕達の想像を遥かに超える内容が書き込まれていた。
────────────
須藤先輩とのチャットを終えた私は、先に雛森先輩のご自宅に向かっている新倉先輩の後を追った。
私の家は雛森先輩と同じ方向にあるので、少し走っていけば比較的簡単に追い付ける距離だ。
天真爛漫で美人で優しくて……尊敬する憧れの雛森先輩の危機とあらば、炎天下の中どれだけ走るのも苦ではない。
流れる汗も気にせず、私は額に貼り付いた前髪もそのままに住宅街を駆け抜けた。
私の理想の女性である雛森先輩に少しでも近付きたくて、今年の春から伸ばし始めた髪。
まだ肩に少し触れる程度のセミロングだけれど、先輩のように結んでいないから暑苦しくて堪らない。
そうして辿り着いた一軒家の前に、見慣れた自転車と男子高校生の後ろ姿が見えた。
玄関から顔を出している綺麗な女性は、雛森先輩のお母様だ。以前先輩の家にお邪魔させて頂いたから、お顔はよく覚えている。
どうやら新倉先輩は、私の到着を待たずに突撃取材を開始していたようだ。後でしっかり躾けておかないと。
「でも、そんなことを言われてもねぇ……」
「だから、雛森はまだ帰って来てないんすか⁉︎ それだけ聞ければ満足なんすけど!」
「な、何度も言ってますけど、しつこいですよ……! その制服、賽河原高校のですよね。これ以上騒ぐようなら、学校に通報させてもらいますよ⁉︎」
「ハァ⁉︎ 何で‼︎」
……揉めている?
どうにも様子がおかしい。
以前お会いした時には、先輩のお母様はあんな風に声を荒げるような性格ではなかったと記憶しているけれど……。
ここはひとまず、お母様と面識のある私が出た方が良いだろう。
私は小走りでその場に駆け付け、新倉先輩の首根っこを掴んで横にどかす。
「うおぉっ⁉︎」
「……お取り込み中のところ、申し訳ありません。私は賽河原高校の一年生、新聞部の村田と言う者です。少々お尋ねしたい事があるのですが、お時間宜しいでしょうか?」
「新聞部の……村田さん?」
首を傾げる雛森先輩のお母様の黒髪が、さらりと揺れる。
やはり、お母様も先輩に負けず劣らずお美しい。何たる恵まれた遺伝子を持つ家系なのでしょう……!
そんな自分の本音と暴れる新倉先輩をいつものように押し留めつつ、私は丁寧にお辞儀をして言う。
「ご無沙汰しております、雛森先輩のお母様。今日の登校日の前、雛森先輩はご家族の皆様と一緒に旅行に向かわれていたそうですが、先輩は今日学校をお休みしておられました。万が一体調を崩されたようでしたら、お見舞いに伺わねばと思い馳せ参じた次第なのですが……」
「お見、舞い……?」
……かなり具体的に訪問理由を説明したはずだったのだけれど、お母様の表情は優れない。
もしかすると、ご家族全員が体調を崩されていらっしゃるとか……?
そんな推測に意識が及んだ次の瞬間、お母様の口からとんでもない内容が放たれる。
「……さっきからあなた達は何を言ってるの⁉︎うちには中学生の息子しか居ないのに、どうして高校生のあなた達が関わって来るのよ!」
「…………え?」
「な、何言ってんだよ雛森の母さん! 雛森ん
「うちには一人息子が居るだけです! 高校生になる子供なんて、産んだ覚えはありません‼︎」
「嘘……そんな、事って……」
雛森先輩が、居ない……?
お母様の記憶から、存在がごっそりと抜け落ちているとでも言うの……?
あまりのショックで頭が真っ白になる私と、ギャンギャン吠える新倉先輩。
そんな私達に、お母様は無慈悲に現実を叩き付けようとして来る。
「うちの表札をよく見て下さい。夫の雛森
そう言って、玄関のドアの横に出された表札を指差すお母様。
……信じられない事だけれど、確かに以前はあったはずの先輩の名前が消えている。
本来は先輩の名前があったはずのスペースには、弟さんの名前が記載されていたのだ。
「何で……? そんなっ……雛森、先輩はっ……」
「おっ、おい! 大丈夫か、村田ちゃん!」
呼吸が苦しくなり、自然と涙が溢れ出す。
両脚で立っているだけの力も出なくなり、ガクリと膝を折った私の横で新倉先輩が
「ど、どうしたんだよ……お前も、雛森の母さんも……! どうなってんだよ、コレはよぉ……‼︎」
そんなの、私の方が聞きたい。
気が付けば雛森先輩の家の玄関は閉ざされており、私達は何の手掛かりも得られぬままだ。
「ううっ……雛森……先輩っ……!」
涙は止まらない。
……でも、このままでいて良いはずもない。
須藤先輩が見付けた、雛森先輩のメモ帳。
あれが先輩の残してくれた唯一の手掛かりだというのなら、私達も裏山の旧校舎に向かうべきだろう。
何故なら、先輩はそこで助けを求めているはずだから──
私は手で涙を拭って、スクールバッグからスマホを取り出す。
そうして私は、震える指先でチャットアプリを起動した。
私達に突き付けられた危機を、須藤先輩に伝えなくてはならないからだ。
雛森先輩が、ご家族の記憶から消えている事。
そして、表札という物理的なものにまでその消去現象が及んでいる事を……。
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