さいぼう先生

吉永凌希

全1話

 その日、始業のチャイムが鳴って教室に姿を現したのは担任の村上先生じゃなく、ハゲの教頭と見たことのない青年だった。

 いつもは朝から騒々しい教室が珍しく静かになる。

 教頭が口を開いた。

「えー、このクラスの担任の村上先生ですが、体調不良によりしばらく休養されることになりました」

 声にならないどよめきが教室に広がる。

 おれが思わずサトルの顔を見ると、やつもあちゃーという表情を返してきた。

 ちょっと、やりすぎたか。村上のやつ、ここのところ落ち込んでたようだから、しばらくどつき回すのはやめにしていたんだけどな。

 教頭の言葉が続く。

「そこで、村上先生がお休みの間、代わりを務めていただくのが、こちらのさいぼう先生です」

 言いながら教頭は、黒板に〈西房先生〉と書いた。

 改めて、西房先生とやらの頭のてっぺんから足の先までを、遠慮のないまなざしで眺め回す。

 背は高くもなく低くもなく、太ってもいないし、かといって痩せてもいない。容貌もこれといって特徴がない。

 要するに、すべてにおいて標準というか無個性というか、日本人男性の平均個体を作ったら、まさにこうなるであろうという容姿なのだ。

 また年齢にしても、最初は青年だと思ったが、よく見るとどうもわからない。若くも見えるし、意外と歳とっているような感じもする。

「西房です。よろしく」

 平均的教師がごく短い挨拶をした。声にも個性がない。

「それじゃ西房先生、よろしくお願いしますよ」

 そう告げて教室を後にする教頭を見送り、西房先生は前を向いた。

「それでは、出席をとります」

 言いながら出席簿を開く。

 おいおい、自己紹介とかないのかよ。

 そういった疑問を受け付ける暇さえ与えず、先生は順番に名前を読み上げ始めた。何だか調子を狂わされたクラスのやつらは、少し緊張した声で返事をする。

「川下晃平君」

 六人目にオレの名が呼ばれた。

「アイアイサー」

 普通に返事をしたんじゃおもしろくないので、というか、どうせみんな、オレとサトルは何かやらかすだろうと期待(心配?)しているはずだから、ささやかながらそれに応えてやったまでだ。

 やつらの無音の拍手を感じながら、西房先生の顔を見ておやっと思った。

 彼は奇妙な光をたたえた目でじっとオレを見下ろしている。でも、その顔からは何の感情も読み取れない。いわゆる無表情ってやつだ。

 それもほんの少しの間で、先生は口を開いた。

「返事は普通に『はい』でよろしい」

 そしてオレの反応を待つことなく、呼名を再開した。穏やかな声なのに、どこか尋常じゃない響きがある。

 理由もなくぞっとして、オレは口をつぐんだ。

 後ろの席のタケヒコが背中をつついてささやく。

「反撃しないのかよ」

 とっさに言葉が出てこなかったので、オレはしかめっ面をして首を振っておいた。

 そのうちサトルの番がやってきた。

「森岡サトシ君」

 あ、やっぱり先生、間違えたな。〈聡〉と書いて〈サトル〉と読むんだ。

 サトルは誤読にヘソを曲げたのか、それとも予定どおりの行動なのか、腕組みしたまま返事をしない。

「森岡君、モリオカサトシ君。いませんか?」

 何度目かの問いかけの後、サトルがしびれを切らしたように大声で答えた。

「森岡サトルなら、ここにいるけど、サトシなんて知らねえよ」

 西房先生はサトルに感情のこもらない視線を向けて、

「読み方を間違えていましたか。これは失礼」

と軽く頭を下げた後、

「ただ間違いに気がついたなら、すぐに指摘してください。おかげで二四秒ほど時間が無駄になりました」

「けっ、何だよ、その二四秒って」

 サトルが吐き捨てるように言う。

「〈時は金なり〉ということわざを知りませんか? 時間はお金と同様に貴重なものだから、決して無駄にしてはいけないという戒めです」

「知ってるよ、そんなことぐらい。ごちゃごちゃうるせえんだよ」

 上目遣いに先生をにらみながら、サトルは憎々しげに悪態をついた。

「えらく反抗的な態度ですね……森岡聡君」

 西房先生は宙に目を据えて頭の中からデータを引っ張り出すような様子で、ほんの少しの間、口をつぐんでいたが、いきなり猛烈な勢いでしゃべり始めた。

「森岡聡。○○小学校出身。身長一七二センチ、体重六五キロ。市内北岡町三番八号レジデンス畑中四○一号室在住」

 サトルを始め、オレもクラスの奴らもあっけにとられている。

「成績は劣悪。二年生学年末時の評定平均二・七、性格は粗野で怠惰。感情の起伏が激しく、それを抑制できないためクラスメートからは恐れられている。部活動は柔道部に所属するも、練習にはほとんど参加していない」

「おい、先公。いい加減にしろよ!」

 サトルが苛立ちを露わにして怒鳴った。でも、西房先生の口は止まらない。

「家族構成は母と姉の三人。両親は本人六歳時に離別。原因は父親の不倫関係であり、このことが本人の人格形成に多大な影響を及ぼしているものと思われる。母はパートタイマーとして自宅近所のスーパーマーケットに勤務、二歳年上の姉は県立□□高校二年生で、成績は中の上。ソフトテニス部所属で、約二ヶ月前から同じ部員の男子生徒と交際を……」

「母ちゃんや姉ちゃんのことをしゃべるのはやめろー!」

 ついにサトルがブチ切れて立ち上がるやいなや、教壇に立つ西房先生に向かって突進した。それを見てオレも、ヤツを加勢するために立ち上がる。

 サトルの頭突きを食らって先生が吹き飛ばされる……と思いきや、先生が撫でるようにサトルの頭を軽く振り払うと、一瞬でサトルの身体はバランスを失い、方向違いの場所にふっ飛ばされて床に転がっていた。

 何が起きたのかよくわからなかったけど、オレも勢いよく立ち上がった手前、そのまま何事もなかったのように腰を下ろすわけにはいかない。

「やりやがったな!」

 自分の身に起きたことが理解できず唖然としているサトルを横目で見ながら、オレは罵声を浴びせて西房先生につかみかかった。背後で女子の悲鳴が聞こえる。よし、いいぞ。

 だが、オレのヒーロー気分もそこまでだった。

 つかみかかったオレの両手首を、先生が両手で捉える。その瞬間、オレの顔は激痛で歪んだ。なんて馬鹿力だ。

 先生の表情からは力を込めているようには思えないのに、手首の筋が潰され骨が砕かれるかのような痛みだ。思わず手を放すと、逆に先生はオレの胸ぐらを右手だけでつかみ、軽く反動をつけて左に放った。

 身体が完全に宙に浮き、先生の姿が遠ざかる……次の瞬間、背中全体にもの凄い衝撃を感じ、ガラスの割れる音とともにオレは廊下に転がって、ぐぇっと痛みの声をもらした。

 先生のたったあれだけの動作で、オレはドアを破って廊下まで吹き飛ばされたのだ。もはや立ち上げる気にもなれず、茫然と目の前の光景を眺めるしかなかった。

 男子の怒号と女子の悲鳴や泣き声が交錯する中、勇敢にもサトルは再戦を挑んだが、無駄だった。

 先生は、オレよりもひと回り大きなサトルを片手で、というわけにはいかなかったが、両手でかかえ上げ、教室の後ろに向けて放り投げた。体育の走り幅跳びの映像を逆回しにしているような情景が数秒続き、サトルは背中から壁に激突。オレと同じようにカエルが潰されたような声を上げて、床に崩れ落ちた。

 クラスの双璧があえなく撃沈されたので、タケヒコをはじめ普段イキがっている雑魚たちも日頃の勢いはどこへやら、完全に戦意喪失である。

 その頃には、騒ぎを聞きつけて隣のクラスの連中も廊下に集まり、恐る恐るオレたちの教室を覗き込んでいた。そいつらをかき分けて、教頭が再び姿を現す。

 机がひっくり返り、椅子が散乱し、掲示物が破れた教室の惨状を目の当たりにして、教頭がさぞ驚くかと思いきや、どういうわけか苦虫を噛み潰したような顔である。

 教頭は、驚きよりも心配が的中したという様子で、

「やれやれ、まだ現場投入は時期尚早だな。再調整が必要か」

と妙なことを口走った。

 それから、無表情で突っ立っている西房先生の後ろに回り、首の後ろのちょうど延髄にあたる部分に指を当ててスイッチでも操作するように動かすと、おもむろに西房先生は気をつけの姿勢をとり、まぶたを閉じて、硬直したように動かなくなった。

 教頭は、棒立ちになったオレたちを振り返る。

「実は、これはサイボーグなんだ」

「サイボーグ!?」

 驚きのあまり二の句が継げない。背中の痛みもどこかに消し飛んでいた。

 教頭は続ける。

「君たちも知ってるだろうが、ここ最近、心の病で辞職してしまう教員が増えていてね、そのうえ教員を志望する学生も減っているものだから、全国的に教員の数が足らなくなってきてるんだよ。そこで進展著しいサイボーグ技術を使って、心身ともに頑健なサイボーグ教員を養成……というか製造する国家プロジェクトが進められていたんだ」

 そんなSFみたいな話、初めて聞いた。

「それで、今月から第一弾のサイボーグ教員百体が全国各地に送られて、実験的に現場に立っているんだが、問題が頻発しているらしい。幸か不幸か本校も実験の対象に選ばれたので、村上先生のお休みを機に使ってみたんだが……このありさまではどうしようもないな」

 教頭は、動かなくなった西房先生、いやサイボーグ教員をひょいと肩に担いで、

「他の先生を調達するしかないか。それとも、サイボーグに西房先生なんて安易な名前をつけたのがまずかったのかな」

などとひとり言のようにつぶやきながら、教室を出ていった。

 いや、名前なんかの問題じゃないだろうとオレは思ったが、それより「調達」という言葉に引っかかった。

 サイボーグ教員の代わりに人間の先生を招くのなら、調達なんて言葉は使わないよな。ということは、次に来るのもまたサイボーグ教員なんだろうか。

 それに……教頭自身も何か変だった。あんなに軽々とサイボーグ教員を肩に担いでいくなんて。そういえば、しゃべっている時の目の光が何だかサイボーグ教員に似ていたし……もしかすると教頭もすでに?

 オレはサトルの顔を見た。同じようなことを考えているのか、サトルも眉間にしわを寄せて茫然としている。

 それにしても、こんな調子でサイボーグ教師が増えていったらどうなるんだろう。もう学校で暴れるのは止めにしないといけないのかもな。

 忘れていた背中の痛みがぶり返し、オレは顔をしかめた。


 ─了─

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さいぼう先生 吉永凌希 @gen-yoshinaga

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