第264話 グスタフ

 私には、他人に『家族』と紹介できる人が、三人だけいる。一人はお父様。もう一人はお母様。

 そして、三人目はグスタフだ。

 お父様の血を色濃く受け継いだ私は、幼い頃からその片鱗を見せ始め、歯も生え変わらぬうちから、かつて馬上の鬼神と恐れられた歴戦の戦士を、お馬さんに見立てて「はいしどうどう」とこき使っていた。それがどれだけ恐れ多いことだったのか、今となっては語る人も少ないが、グスタフと同じ戦場を駆けていたギール副隊長によれば、天変地異の前触れだと恐れられたそうだ。

 お父様は私に甘いだけだけれど、グスタフはただ単に甘いわけではない。

 悪いことは諫めるし、道を外れそうになったら、私の意志よりも自分の正義を尊重する。お父様の書庫に勝手に入って、童話を盗んだときだって、グスタフは最後まで私を疑い、そして、白状させた。

 怒るという感情は決して表に出さず、諭して私を成長へと導いてくれる。

 私には勿体ないお目付け役だった。

 言葉を学び、文字を学び、地理を学び、政治を学んだ。耳から耳へと通り抜けてしまったことの方が多いけれど、グスタフと一緒に過ごしたあの時間は、かけがえのない私の思い出だ。

 決して隣ではないけれど。

 ずっとそばにいてくれた人。

 そんな私の大好きな家族が、冷えた廊下に長い長い影を落として立っていた。


「昼食は、お済みですか? お嬢様」


 いつもと変わらない声。その表情は私を安心させる。

 おはようからおやすみまで飽きるぐらい聞いた声に、けれど、今日は悔しさを覚えた。

 繋いだヴェルトの手を、ギュッと強く握る。         


「グスタフ。お父様のところへ、案内してちょうだい」


 グスタフの垂れた目尻が、ほんの少し驚きで上がった。


「なるほど。手遅れだったわけですか……。地下の学者様たちが一様におやすみになられていたのでよもやと思いましたが……。いや、お見事。それに、キャメロンを武器として使う手腕、この老獪、正直驚きましたぞ。ヴェルト殿」

「歴戦の戦士にお褒めいただくとは、光栄だな」

「グスタフ!」

「お嬢様。駄目でございます」


 ぴしゃりと言う。グスタフの表情は変わらない。


「王女が……ううん、娘が会いたいって言ってるんだよ!?」

「それでも、童話王は童話の国の王であります故。手を煩わせるわけにはいきません」

「グスタフの分からずや!」

「ほほ。耳が痛いですね」


 グスタフの身体がゆらりと動いた。

 感じたことのない威圧感が私の眼前に迫る。構えたわけでも、武器を持っているわけでもないのに、その佇まいから狂気を感じた。


「ヴェルト殿。そのキャメロンを返して頂きましょう」

「お断りします。ガロンも大切な俺の仲間なんでね」


 ヴェルトも私を庇うように前へと出た。


「なら、仕方ありませんね。力ずくで、返して頂きましょう。お嬢様からあなたの記憶をもう一度抜けば、すべては元通りになりますし、ここで私が引く理由はありません」

「年寄りが無理すんなって」


 グスタフはふっと笑って、背中に隠し持っていた白い仮面を取り出した。何の柄も描かれていない、白一色の仮面。目の位置だけが三日月のようにくりぬかれていて、その不気味さを強調していた。


「ま、キャメロンの対策してこない方がおかしいわな」


 仮面なんて何の役に立つのだろう、と思ったけれど、ヴェルトの言葉に、その意味を悟った。

 キャメロンは対象の相手の顔を窓に入れなければ効果がない。旅立ってすぐ、ヴェルトが実験して得た知識の一つだ。

 さらに一歩、二人の距離が縮まった。白い仮面をつけたグスタフと、キャメロンを構えたヴェルト。両者はジワリと近づいて行く。

 城を包んでいた喧騒もどこか遠く、すべては別世界のことのように思えた。世界には今、ヴェルトとグスタフと私しかいなくて、今から始まる大一番が、世界の命運を変えてしまうような、絶対的な威圧感が、この場を支配している。

 だからこそ。

 私は叫んだ。


「勝って! ヴェルト!」

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