第265話 ヴェルトVSグスタフ その①
「勝って! ヴェルト!」
声が合図となる。
走り出した二人は止まらない。
繰り出されるグスタフの拳。それに応えるヴェルトの拳。両者が狙った一撃は、その思いの分だけ重さを増して、相手に届く。
瞬間、世界が歪んだ。グスタフが重心をわざと崩し、ヴェルトの拳をやり過ごす。一拍おいてカウンター。無防備になったヴェルトの腹部にぐにゃりとめり込み、ヴェルトの勢いが一瞬止まる。
「――っ!」
白い仮面はその隙を見逃さない。続けざまに繰り出される連打が、腹に、肩に、顔にヒットする。
「ぐっ――!」
ひと際重い一撃をお腹にもらい、ヴェルトの身体が宙に舞った。緩やかに弧を描き、重力に惹かれるように地面に激突する。
「ヴェルトっ! 血がっ!」
「し、心配すんなって。はぁー」
「でもっ!」
こんなの心配するなっていう方が無理だ。あのグスタフの手加減のない攻撃をまともに受けたんだよ!? いたくないわけがないじゃん!
切れた唇を袖で拭い、繊維の衰えていない目つきでグスタフを見上げた。
「――どうしたよ。一発が軽いぞ、老兵」
駆け寄ろうとする私を片手で制し、ヴェルトは膝に手をついて立ち上がる。
「いやはや。若者の強がりほど、恥ずかしいものはありませんね。虫唾が走る」
「けっ。俺も、蛮勇を忘れちまったあんたみたいな歳の取り方は、死んでもごめんだ」
城下町で襲われたときも、師匠を守って闘った時も、レベッカと闘ったときだって、ヴェルトは圧倒的な強さを見せていた。瞬間的な洞察力と反射神経。相手の力を受け流し、利用して叩き伏せる。その強さに、私はずっと安心しきっていた。でも……。
「危ないっ!」
疾風のようなアッパーカットが、立ち上がったばかりのヴェルトの顎を正確に捉えた。
五歩の間合いを一瞬で縮めたグスタフが、いつの間にか懐に潜り込み強烈な一撃が見舞われる。隙なんてなかった。けれど、体が反応するよりも早く、グスタフの腕が伸びてきていたのだ。
脳を揺さぶられて白目をむいたヴェルトが、放物線を描く。されど、その落下地点には、既に次の衝撃が待ち構えていた。返す刀に放たれた右足がエビのように折れ曲がったヴェルトの背中を捉え、力任せに振り回される。
「がはっ――」
石壁を穿つ。
磨きあげられていた廊下の壁に亀裂を刻み、ヴェルトはなすすべなく叩きつけられた。重力に引かれてゆっくりと落ちる首を、逃がすまいとしたグスタフの細腕が捕獲する。
いつもは甲斐甲斐しくお世話してくれる優しい手には荒々しく血管が浮かび、柔らかな肉塊にじりりと指が沈んでいった。
息を吐く暇すら与えられない、一方的な凌辱だった。
「ヴェルトぉっ! ――グスタフ、やめて、ヴェルトが!」
「いけません、お嬢様。これは、死闘です。白いタオルは侮辱となりますよ」
「でもっ! このままじゃ、ヴェルトが死んじゃうっ!」
優しい顔は見るも無残に膨れ上がっていた。
唇の端からは血の線が伝い、眉は苦痛に歪んでいる。
苦しそう。早く手当てしてあげないと。
そうは思っても、私の足は、動いてくれない。グスタフが作り出した威圧感が、私をこの場に縛り付ける。
「――へっ」
首を絞めつけられているヴェルトの顔が不敵に笑った。
「リリィに心配されてるようじゃ、世話、ないな……っと!」
「ぬ?」
気合を入れ直したヴェルトは、無茶な姿勢から相手の胸をえぐり取る蹴りを打ち出した。綺麗な弧を描いて振りあがる脚に、一瞬早くグスタフが気付く。
判断は早かった。自身の危険を悟ったグスタフが反撃から距離を取り、ヴェルトの足は空を切る。
白い仮面にかすりほんのわずかに揺れた。
解放されたヴェルトは、緊張を引き絞るようにゆっくりと息を吐き出した。
「……ちょっと覚悟が足りなかった。俺はまだ、受け身でいたみたいだ」
「ヴェルト……?」
「リリィの覚悟を聞いたのに、まだ、リリィの旅のお供でいるつもりだった。お前は辛く不条理な現実とぶつかって、悩んで、自分の意志を示したっていうのに、俺は自分の意志を棚上げにしたままだった……。だから打ち負けた」
ボロボロの身体で、立っているのも辛いはずなのに、ヴェルトは私に背中を向けて立ち上がった。見据える先には白い仮面。一方的にやられていたにもかかわらず、ヴェルトの視線はまったくぶれてはいなかった。
「次は違う。リリィが助けてというから闘うなんて言うのはやめだ。――俺は」
言葉を切って、覚悟を決める。
「リリィをこの国から守りたいから闘う」
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