第258話 幕間 童話城の秘密工房 その①
※ ※ ※
地下にあった独房は、そのまま童話の国の秘密工房へと繋がっていた。
じめっとした空間に、赤く塗られたガス灯がいくつもぶら下がっている。
忙しなく動く白い服の男たちの足音が、石造りの壁に反響し異様な緊張感を作り上げていた。
「牢屋と秘密工房をまとめて地下に作るって、あの王様大丈夫なのか? 咎人に牢屋から脱走されたら、国の秘密がモロバレじゃんか!」
「きな臭いものは見えないように隠す。他人の記憶から童話を作っている奴の人間性がそのまま表れてるんだろうぜ」
壁に背を預け、薄赤い怪しい工房を覗き込む。レオンも同じように身を隠しながら目の前で行われている謎の儀式を見つめていた。
「何やってるんだ、あいつら?」
「キャメロンに蓄えられた記憶を、ピクトっていう絵にしてるんだ。たぶん」
葉書サイズの紙を、濁った液体から取り出し、部屋を横断する洗濯紐のような場所に干していく。一枚一枚、丁寧に。顔を出そうとするレオンを抑え込み、俺たちは扉の影から魔法の工程を観察した。
空間を切り取ったような綿密な絵。その中心には俺が今まで収めて来た思い出深い人たちの顔がある。
ある者は驚きを、ある者は諦めを、ある者は優しさを……。思い出を噛みしめるようなその表情は、改めて見て胸が詰まる。
その中でも、ひと際俺の目を引いたのが、この国の王女の顔。
恐れ慄いたリリィの顔は、切実に助けを求めていた。
大好きな父親に裏切られ、自分の信じていたものが音を立てて崩れ落ちる感覚……。辛いと一口に語り切れない思いが、その一枚からにじみ出ていた。
握りしめる拳に力が入る。
一瞬だけ目を閉じ、俺はすぐに行動に移った。
相手は二人。幸いなことに衛兵はいない。文字通り国家機密級の地下室を、学のない衛兵に見せるわけにはいかないのだろう。この程度なら造作もない。
するりと後ろから近づき、首に手をかけ、一人目の男を投げ飛ばす。続けて、驚いているもう一人の背後に忍び寄り、同じように悲鳴を上げさせるまもなく投げ飛ばした。
「ぐはぇ」
「うへっ」
汚い断末魔が上がり、男たちは大の字になって倒れた。棚に整理されていたガラス瓶を巻き込んで派手な音を立てた後、工房には再び静寂が訪れる。
「ふぅ……」
「ひゅー、強いねぇ、ヴェルト! 俺と同じくらい強いや!」
「こんなん、強いうちに入らんわ。ただの準備運動だ」
背後で一部始終をただ眺めていたレオンが口笛を吹いた。
「ここが童話の国の最深部ってわけだな! 見るからに怪しいもんばっかりだ」
「下手に触るなよ。指が溶けても俺は知らんぞ」
「そ、そう言うことは先言えや!」
文句を垂れるレオンを無視して、俺は緊張を解かないままリリィのピクトに手を伸ばす。
「なんだぁ? その紙切れがリリィの記憶なのか?」
興味深げに覗き込むレオンから隠すように、俺はリリィのピクトを懐にしまった。
「あー! いいじゃん、ちょっとぐらい見せてくれても。ケチぃ」
「見世物じゃない」
不貞腐れたレオンは、勝手に先へと進む。荒々しく扉をけ破り、倉庫のような部屋へと入って行った。
残りのピクトを一瞥する。
思い出も想いも封じ込めた記憶。だが、俺は結局、そのピクトたちには手を伸ばさなかった。
これがあれば、アリッサや師匠たちの記憶は戻る。だがそれは、俺のために自分を犠牲にした彼らの決意を踏みにじることになる。俺が頼んで、了承した。思い出は童話になってこそ満たされる。
少しの間感傷に浸り、未練を断ち切って歩き出そうとしたその時、背後に殺気を感じた。
「――っ!」
カシャリ。
間一髪。俺は相手の間合いを逃れ、バランスを崩したまま辺りのガラス瓶などを巻き込んで尻餅を打った。
派手な音が静かな地下室に木霊する。けれど、それで攻撃が止むことはなく、カシャリ、カシャリと、続けざまに聞き慣れた魔法が放たれた。
「どうして檻から出てきちゃったんだ。あそこにいれば、記憶を盗まず生かしておけたのに」
体勢が崩れたまま、勢いを利用して辺りの棚を引き倒し間合いを取る。
傾いた視界の端に白い白衣が見えた。眼鏡をかけた中年の男がキャメロンを両手で握りしめて、そのレンズをこちらに向けている。
「くっ!」
「逃げ回らないで。僕の手間が増えるだろう」
連射される魔法に防戦一方だ。だが、辺りを荒らして逃げ回っていただけだというのに、気が付くと息を荒げていたのは俺ではなく、狙ってきた男の方だった。
柱の後ろに隠れてすきを窺う。
魔法の連射が止まった。
「はぁ……。はぁ……。僕は、学者なんだ。こういう、荒事は、柄じゃないんだ……」
「なら隠れてればよかっただろうに。俺たちは何も、抵抗しない奴まで締めあげようとは思っちゃいないさ」
「仕方ないじゃないか。僕は童話の国の学者なのだから!」
カシャリ。再び発動するキャメロンの魔法。
けれど、体勢を立て直しさえすれば、直線的な攻撃なんて脅威でも何でもない。
「ほ、ほら、記憶奪われろよ。暴力無しで事が解決する。合理的じゃないか!」
「そうだな」
俺は柱の陰から飛び出し、一気に距離を詰める。
「俺の記憶が盗まれるってこと以外は、大変合理的だと思うぜ」
「え? 速っ!」
「そいつは俺の旅の仲間なんだ。返してもらう」
「うわぁああぁあああ!」
筒の向く先にさえいなければいい。白服眼鏡が構える腕の下に潜り込み、次の魔法が発射されるよりも早く、腕を捻ってキャメロンをその手から落とした。
「いで!」とガロンの汚い声がした。
「おい、今の悲鳴なんだよ? ――って、何だこの状況」
「いいところに来た、レオン。そこの黒い物体、拾ってくれ」
「俺に命令するなよな! ……まぁ、拾ってやるけど。――ん? これって……」
隣の部屋を物色していたレオンが、戻って来て俺の視線を追う。床に転がった武骨な魔法具を目にして、その表情が強張った。
「おい、それ……アレだよな?」
「ああ、アレだ」
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