第257話 記憶の違和感

 頭に疑問符を浮かべながら王の間を後にして、私は自室へと戻る長い廊下を歩く。

 どうも曖昧なのだけれど、私は『あひるの王子と片翼のドラゴン』の感想を話したくて、お父様がいる王の間へと押し掛けた。たぶん、間違いない。体に疲労を感じるのは、勢い余って語り過ぎてしまったからだろう。うん、おかしなところはない、はず……。


「どうかなさいましたか?」


 違和感が顔に出ていたのかもしれない。二歩前を歩くグスタフの大きな背中から、心配そうな声がした。


「うーん。次は何を読もうかな、と思ってね。『あひるの王子』シリーズは童話の国史上最高傑作だったのに。完結して楽しみが一つ減っちゃった」


 整合性が取れていない記憶の違和感を、私は首を振って打ち消した。


「ほほ。お嬢様は本当に童話がお好きですねぇ」

「第二章開幕! とか、やらないかなぁ、お父様。綺麗に終わったから続きは作りづらいのかもしれないけれど」


 そこはそれ。童話の国が誇る童話制作師の皆さんが、知恵を絞って面白い話を作ってくれることだろう。楽しみに待つことしかできない身としては、痒い所に手が届かない。


「お嬢様、ここだけの話ですが」

「うん?」


 くすりと笑ったグスタフの声が跳ねる。


「次のシリーズが始動したらしいですよ」

「ほんと!?」

「あくまで、噂、でございますが」


 振り向いたグスタフの白い髭が、楽しそうに揺れている。これは期待していい時の笑顔だ。

 俄然やる気が出て来た。


「どんな話なのかな? グスタフは知ってる?」

「ほほほ。そうですね。他人の思い出を食べないと生きていけない男の、ちょっぴり切ない恋物語、ってところではないでしょうか」

「恋物語、か」


 恋物語にしては、設定が突飛すぎる気もするけれど、それが逆にいいアクセントになりそうだ。

 次のシリーズも『あひるの王子』同様、童話の国を代表する作品になってくれたらいいな。

 私は心の底からそう思う。


「期待してる!」

「それはもう。童話王を信じていただければよいかと」


 私はグスタフに並んで歩くように足を早めた。心なしか足が軽い。


「もうじき昼食の用意が整います。それまでお部屋でお休みください」


 丁寧にお辞儀をするグスタフと別れ、私は自分の部屋へと向かった。




 楽な部屋着に着替えなおして、私はベッドに飛び込んだ。心地よいバウンド。私の体重などものともせずに、天蓋付きの安眠スペースは受け止めてくれる。

 寝返りを打って、反対側のテーブルの上に置いてあった読みかけの童話に手を伸ばす。

 この体勢になってしまったが最後、私は梃子でも動かない。私を動かせるのは童話の魅力と、グスタフだけだ。

 半刻ほどの時間を、私は童話鑑賞に費やした。芋虫が蝶になる過程を物語にした、何とも奇妙な物語だったけれど、全然頭に入ってこなかった。

 面白くないわけではない。

 でも、集中できない。


「ダメだなー」


 童話を読んでいるとき、この現象はたまに起こる。決まって理由は思い出せないのだけれど、むず痒くてなんだか苦しい。

 楽しみにしていたことを、忘れてしまっているような感覚……。

 そこで私は、ようやく外の異変に気が付いた。

 なんだか城の外が騒がしい。

 お祭りの季節でもないのに、私の部屋まで怒声や罵声が飛び交ってくるのは珍しいことだ。


「何の騒ぎだろう」


 娯楽を生業とするこの国はとても平和だと、お父様が言っていたのに。

 私は気になって、読んでいた童話を閉じた。栞を挟むことすら忘れ、靴も履かずに、ペタペタと石造りの床を歩いて窓へと向かう。

 窓を開けると音量はさらに上がった。もちろん声など聞き取れないけれど、大人の男の声が、幾重にも重なり、空気を震わせている。


「戦でも始まるのかな?」


 なんて、王女の自覚すら感じられない感想が漏れる。

 そうだ、あの状況に似ている。

『あひるの王女とネコ娘』の冒頭シーン。

 ドラゴンに国を焼かれ、流浪の民となったあひるの王子は、満身創痍になりながら、ネコ娘の住むお城に助けを求めたのだ。その登場があまりにも唐突だったため、他国の侵略だと勘違いした王様は、城中の衛兵を討伐に向かわせた。けれど、そのすべてを、あひるの王子は一人で薙ぎ払い、王様の元までたどり着いた。

 あの壮大な物語は、そうやって始まった。現実に起こされたらたまったものではないけれど……。

 私がもっとよく見ようと窓から身を乗り出していると、


「お嬢様! 小鳥を追いかけるのは童話の中だけにしてください。人は空を飛べませんよ」


 妙に皮肉がこもった言い回しが、いつものように叱責する。


「ん? なんだ、グスタフか」


 いつの間にか私の部屋の扉の所にグスタフが立っていた。


「なんだ、ではありません」

「ねぇ、これは何の騒ぎ?」


 私は期待を込めた目を、グスタフに向ける。


「お嬢様が気にされるようなことではありません」


 案の定というか、当たり前とでもいうように、グスタフは私に何も語らない。

 何も語らないと言うことは、私が知る必要がない話というわけだ。

 なら聞かない。下手に首を突っ込んで童話が読めなくなってしまったら一大事。私は藪蛇は突かない主義なのだ。


「そんなことより、昼食の準備が整いました。冷めないうちに広間へ」

「はーい」

「おや、今日はやけに素直ですね、お嬢様」


 意外そうに言うグスタフに、私は読みかけの童話をそっと綴じ、曖昧な笑みを返す。


「そう言う日もあるんだよ」

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