第255話 幕間 あひるの王子 その①

 ※ ※ ※


 固い地面の感触を覚えて、俺は目を覚ました。

 ピチャリと跳ねた水音が反響し、冷気が身体に浸透する。変な体勢で寝ていたせいか身体が痛むが、別段怪我をしているわけではないらしい。

 霞む意識を手繰り寄せ辺りを観察し、少し驚く。

 そこは、牢屋だった。

 石を積み上げて作られた小さな空間。壁の隙間からはちょろちょろと水が滴り、その水を頼りに濃い色の苔が繁茂している。灯りを取り入れているのは、俺の身長よりも高い位置にある小さな窓のみ。出口には太い鉄格子がはめられており、出口には大きな南京錠がぶら下がっていた。

 なんだこの状況は……。俺は、なんでこんなところに……。

 頭を振って記憶を確かめる。名前はヴェルト。湖の村の出身で、訳あって王女リリィと旅をしていた……。

 大丈夫、正常だ。キャメロンなんて言うとんでもない魔法を身近に置く身としては、自分の記憶の確かさほど安心するものはない。


「で、何で牢屋にいるかだが……」


 謁見の間でリリィと別れた後、個室へと案内された。手持無沙汰に待っているとリリィがやたらと懐いているあの執事にお茶を勧められ、俺はそれを飲んでしまって、……気づいたらここだ。


「一服盛られたか……」


 ああ、不覚だ。

 記憶の最後に揺れる視界で見た、能面のような執事の顔が張り付いている。

 反射的に太ももに隠していたナイフに手を伸ばすが空振り。荷物どころか太ももや左腕に装備していたナイフもすべてなくなっている。完全な丸腰。

 こんな見え透いた罠に引っ掛かってしまった自分が、心底情けない。

 まずは状況を整理して……。


「――よぉ。現役・・。ようやくお目覚めか?」


 後悔を拭い去るように抜け出す方法を模索し始めた頭に、男の声が響いた。

 声変わりしたばかりなのか安定感がない。

 首を捻って声のした方を向くと、見覚えのある顔がそこにはあった。

 重量感のある荒れ放題な髪、煤で汚れた顔に、キッと吊り上がった眉。羽織ったマントもその下の旅装束も薄汚れており、浮浪者のような風体。

 ただ、その男の瞳だけは、ギラギラと滾る闘志を帯びて燃え盛っていた。


「お前が来るのを首を長ーくして待ってたぜ?」

「……あんたか。その顔よく無事だったな、前任者・・・

「ケッ! 誰のせいだと思ってんだ。おかげで歯が二本も折れた」

「男前になったと思うぞ?」

「喧嘩売ってんのか!?」


 少年は、吐き捨てるように言った。

 敵意はない。目の前の少年が放つ感情は好奇心そのものだ。

 リリィが聞いたらそれこそ童話チックだとはしゃぐかもしれないが、ここでこいつと巡り合ったのは、運命というやつなのかもしれない。

 彼は俺のことを現役と呼び、俺は彼のことを前任者と呼んだ。そしてその間には何の齟齬もない。


「あんたの活躍は読ませてもらったよ、あひるの王子」

「レオンと呼べ。それが僕の本当の名前だ」


 そういうことだ。

 旅立ちの朝、門の外へと新たな一歩を踏み出そうとしたリリィを襲った悪漢。

 自らをあひるの王子と名乗ったフェアリージャンキー。

 その正体は、リリィと旅をし、ドラゴンへの復讐を果たした後、童話の国に使い捨てられた哀れな端役。

 俺の前に童話王に認められたリリィの元パートナー。それがレオンだ。

 こうなる予感はしていた。記憶を奪い取るなんて魔法を秘密裏に使って繁栄してきた国だ。旅人の人生の一つや二つ、簡単に使い潰すだろう。

 だからこそ俺は、あひるの王子シリーズを全巻読破した。前任者の失敗を繰り返さないための参考書として。

 なのに、このざまだ……。

 俺も今、目の前の王子と同じ運命を辿ろうとしている。


「で、俺がこの通り、記憶を継続したまま牢屋に入っている、ってことは、既にリリィの記憶は吹っ飛ばされた後か……」


 一番危惧していた事態が、どうやら現実になってしまったようだ。

 童話王は、自分の娘を使って童話の原石を収集している。確証があったわけじゃないが、俺が童話王の立場で、童話の普及に生涯を賭けるなら、確実に利用する。リリィの感受性は鋭敏で、見ている者を惹きつける。俺だって例外じゃなかった。


「だろうな。っていうか、現役、ずいぶん平然としてるな。とんでもないこと起こってんだ。もっと驚けよ」

「現役って呼ぶな。ヴェルトだ」


 俺は起き上がって、レオンに向かって右手を伸ばす。

 仕切り直しだ。この仕組まれていた運命から、何としても抜け出さなければ……!

 ベッドの上に胡坐をかいていたレオンも、差し出された右手ににやりと顔を歪めた。


「ハッ! 手打ち、ってか?」

「一時休戦するだけだ。妙ななれ合いはするなよ、レオン」

「そりゃこっちのセリフだぜ、ヴェルト」


 レオンはそう言って、俺の手を握った。

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