第256話 幕間 あひるの王子 その②

「はえー。それじゃなにか? ヴェルトは、リリィの記憶が消されるかもしれないって、初めから気づいてたのか?」

「まぁ、予感はあったな」


 しっとりと湿った牢屋の中、野郎二人が頭を突き合わせて密談に興じている。端から見ていい画になるとはとても思えないが、今の俺には格好を取り繕っている余裕はない。

 状況の整理をするため、俺は、俺の考えと、ここにぶち込まれるに至った経緯を語った。


「リリィは童話王に呼ばれていた。旅の話を聞かせてくれってな。それであいつは意気揚々とついて行ったんだろう。で、蜘蛛の巣に引っ掛かっちまった」


 容易に推測できる状況だ。こんないきなり仕掛けて来るとは思っていなかったが……。

 ベッドに胡坐をかいたレオンがこちらを覗き込んできた。


「ヴェルトはどうすんだ? リリィの記憶が奪われたのはもう揺るがないと思うぞ」

「そうだろうな。――でもまだ猶予はある」


 ミヨ婆が調べてくれた真実。この真実を知っていられたおかげで、俺は今、取り乱すことなく牢屋に入れるのかもしれない。


「知ってるか? 奪った記憶には、元に戻す法があるんだよ」


 レオンはぽかんと口を開ける。

 一字一句を咀嚼するように噛みしめた後、目を丸くした。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんだよそれ。記憶、元に戻せるのか!?」

「まぁな」

「すっげーな、ヴェルト!」

「……」


 ストレートに驚くレオンに対して、心の奥底でモヤモヤした感情が湧きあがった。

 口と本能が神経で繋がっているような奴だ。こんな薄っぺらそうなやつがリリィの元パートナーだったのか。

 楽しければ楽しいといって、苦しければ苦しいという。相手が例え今のリリィのパートナーの俺だったとしても、すごいと思ったらすごいと言える。熟慮ということをまるでせずに……。

 俺にはとても真似できない生き方だ。

 けれど、その感情が嫉妬であることは、心のどこかでわかっていた。

『あひるの王子』シリーズでリリィが慕い、頼りにしていたのは、この天真爛漫な男なのだ。

 俺は、こいつよりもリリィから信頼されたのだろうか?

 自嘲気味に回り始めた思考を、俺は鼻で笑って一蹴した。

 これじゃまるで、元カレに嫉妬している甲斐性のない男みたいじゃないか。

 今は、ここを出ることに集中しよう。


「で、だ、レオン。期待してるとこ悪いが……」

「そりゃ期待もするさ! またリリィと仲良く旅ができるってんだからな! そしたらヴェルト。お前とはライバルだな。恋敵!」

「――だっ! 誰が恋敵だ。勝手に話を進めるな」

「おやぁ? 今の間は何なんだ? 愛が足りてないぞ、現役?」

「はぁ……。そういう話は無事ここを出てからにしろよ」


 一瞬でも思考がこの薄っぺらいあひる頭と被ってしまったことが情けない。

 俺は頭を振って邪念を振り払う。


「で、お前の記憶だが」

「おう!」

「すまん、無理だ。元には戻らん。諦めろ」

「んなぁ!」


 勢いに任せて真実を告げると、レオンは頭を抱えて崩れ落ちた。少しだけ罪悪感が芽生えた。

 レオンの記憶は戻せない。

 すでに童話になってしまっている以上、レオンの記憶が詰まったピクトは童話制作師に食べられてしまったと言うことだ。記憶は液体。混ざり合った記憶は分離できない。


「ま、わかってたけどな」


 けれど、すぐに立ち直った。どうやら演技だったらしい。


「衛兵に突き出されたとき思ったさ。あのときの関係はもう修復できないんだってな」

「それでも諦めないと?」

「あったりまえだ! ネコ娘の性格が変わったわけじゃない。付き合い始めの初々しさをもう一度味わえるとか、サイコーじゃねぇか! ご褒美か!」


 とことん前向きな奴だ。多少なりとも慮った俺の配慮が馬鹿馬鹿しく思える。


「……とは言ってもだ。取り急ぎ解決しなきゃならんのは、この状況だ。ここを出られなきゃ何も始まらん。ナイフは全部取られてる。何か錠を開けられそうなものは……」


 万が一に備えて、隠しナイフや裁縫用の針なんかを体のあちこちにしまってあったのだが、ご丁寧にすべて抜き取られているようだった。


「ヴェルト、僕を見くびってもらっちゃあ困るぜ?」

「今度はなんだよ?」

「これ、なーんだ?」

「……は?」


 レオンが得意気に見せびらかしたものを見て、俺は愕然とした。

 古びた金属の鍵。

 丸い輪っかにいくつもの鍵が通されていて、ジャラジャラと涼し気な音を立てている。


「おまえ、それ……」

「衛兵がポカやったんで、いただいておいたのさ」

「元王子とは思えない手癖の悪さだな」

「浮浪者生活一年もやってたら、そりゃあ王子も器用になるって」


 国中に驚きと感動を振りまいたあひるの王子は、俗世に染まりきっていた。


「行くぜ、ヴェルト。反撃開始だ!」


 レオンは高らかに宣言する。


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