第254話 この物語の本当の主人公は
「つまりな、こういうことじゃ」
そう言ってお父様は、私にキャメロンの筒を向けた。
そんなことをしたら、キャメロンの魔法が発動して私の記憶が……。
「逃げろ、嬢ちゃん!」
唐突に上がった聞き覚えのある声に、はっと我に返る。
それで体が動いた。
椅子から転げ落ちるようにキャメロンの射程から逃れる。
カシャリ。
お父様は、何の躊躇することもなく、記憶を奪い取る魔法を発動させた。
「む。なんじゃ。今キャメロンから声が! 失敗したではないか!」
「ガロン!」
私は声を上げた。上げながら近くにあったテーブルの影に入る。
「逃げろ、嬢ちゃん! この王様は嬢ちゃんからヴェルトの思い出を奪い取るつもりだ!」
「え、何言って……」
「こら! 喋るでない。童話の原石に不純物が混じってしまうではないか!」
「よく聞け、嬢ちゃん! この物語ははじめっから仕組まれていた。ヴェルトに思い出を回収させたのもただの演出だ。あいつは役割を与えられただけの端役にすぎねぇ。この物語の本当の主人公は、嬢ちゃん、あんたなんだ!」
「私……?」
ガロンは何を言ってるんだ。フェアリージャンキーにでもなってしまったのか?
「おしゃべりなキャメロンだ。……そうか、あの魔女か。あの魔女の仕業か! こんな芸当、奴しかおらん。小賢しい」
二人が何を言って何を伝えようとしているのか全然理解できない。
ただわかるのは、ガロンが今まで見たことがないくらい必死だと言うことだけ。
「早く逃げろ! ヴェルトの記憶を消されてもいいのか!」
「ヤダよ! なんなのこれ」
ただ距離をとる。
お父様はその大きな体をゆっくりと揺らして、私が隠れるテーブルに近づいて来る。その歩みが恐怖を増大させた。
「リリィよ。出ておいで。痛いことはしない」
「どういうこと、お父様。説明して! どうして私がキャメロンで狙われるの?」
「それはな、リリィ。童話の国のためじゃよ」
お父様は何一つ偽ることなくそう言い切った。
「童話の国の民は何よりも新しい娯楽を欲している」
「ヴェルトは記憶を回収してきた! それでいいはずじゃ……」
「そんなもので満足すると思うのか」
ぴしゃりと言い放つ。
「言ったはずじゃ、この国の大敵は、マンネリ。凡人のありきたりなストーリーでは満足しないのじゃよ」
「ありきたりだなんて……。そんなこと、言わないでよ……! ヴェルトが、みんなが、必死に考えて、苦悩して、決意した、生きた証なんだからっ!」
お父様は大きく溜め息を吐く。
「デイジーの時はよかった。あいつは儂のため、国のためと、儂の指示通り旅を重ね、その都度面白い童話の原石を提供してくれた」
ポツリとこぼれたその言葉を、私の耳が聞き逃すはずはない。
「……お母様に、何をしたの!」
「儂は何もしておらん。あいつは命を懸けてこの童話の国を富ませた。それだけじゃ。今もなお、眼下の城下町へ行けばあいつの雄姿を見ることができる」
「そんな……」
いつから。
お父様はいつからキャメロンを使って……。
お母様はそのたびに記憶を抜かれ、だんだんと空っぽになっていったというの……。
信じられない! 私はお父様が信じられない!
「ヴェルトの代わりになる新しいパートナーがさっきここに来ていた! 時間がねぇ!」
「もしかして、さっきすれ違った青髪の男。不気味に私を見ていたのはそういうこと……?」
「ああ、もう見知っておったか。教典の国の貴族でな、トローリーという。あやつはなかなかに聡明でのぅ。ヴェルトなんて言うどこぞの馬の骨は利用して使い捨てるつもりじゃったが、奴は違う。こちらの意図を話して、向こうの要請を聞き入れて、協力関係を結ぶことにしたのじゃ。いいパートナーになるぞ」
ぞっとする。あの男と一緒にいるところを想像するだけで吐き気がする。
「それに何も、お前も初めてではない」
「……ちょっと、待ってよ。初めてではない、って……」
「お前の感情表現はとても丁寧でな。いい物語が書ける。さすがはデイジーの娘じゃ。あんなに若いうちから旅に出しておったのに、持ってくる思い出は目を見張る。童話王たる儂ですら感嘆をこぼすほどなのじゃよ」
そうじゃな、とお父様は言う。
「あの時は確か。こう呼ばれていたな。――ネコ娘、と」
私の中で何かが壊れた。
『あひるの王子とネコ娘』。
『あひるの王子と千年魔女』。
『あひるの王子と砂漠の王者』。
『あひるの王子とあやかしの森』。
そして、『あひるの王子と片翼のドラゴン』……。
童話の国が発刊する人気シリーズ、『あひるの王子』。
国をドラゴンに焼かれたあひるの王子が、復讐を胸にネコ娘と旅に出る物語。王道にして原点、それでいて新機軸。この国の民が待ち望み、子供から老人に至るまで多くの人がその物語を読んで感動した。歴史に残る超大作だ。
その物語の原石は……。
「私、だったの……」
ノンフィクションだった。
試練を乗り越え、仲間に助けられ、決して諦めず、その目標を達成した。でも、私にはそんな記憶、ありはしない……。
気持ち悪い。けれど、すべてがしっくりはまる。
主人公への感情移入。キャメロンという魔法の道具。お母様の消失。地図から消えた図鑑の国。ヴェルトに課せられた責務。
そして、フェアリージャンキーを発症した、私と同じくらいの少年……。あひるの王子を名乗った彼は、確かに私のことをネコ娘と呼んでいた。
彼は知っていたんだ。いや、当事者だったんだ。
あひるの王子は、あのレオンという少年だったんだ……!
……逃げなくちゃ。
本能がそう告げる。不思議なくらい自然に体が動いた。覆いかぶさろうとするお父様に向かって倒れたテーブルを押し返し、私は走り出す。
「ま、待つのじゃ……」
待てるわけがない。あと一歩。私はドアノブに手を伸ばす。
けれど、その手はあと少し届かず、間に入った別の人間の体にはじかれて尻餅をついた。
「グスタフ!」
私を甘やかす老齢の執事は王の間の扉を守るように立っている。
「聞いていたでしょ。そこをどいて!」
「申し訳ありません、お嬢様」
「逃げないと!」
そして、いつもの調子で言うのだった。
「――駄目でございます」
その壮絶な笑顔は、私をその場に縛り付け、抵抗が無駄だと悟らせた。
「手間取らせおって……。ふん。どうせ今この瞬間の記憶も、ヴェルトの記憶に紐づいておる。リセットじゃ」
お父様の巨体が迫ってくる。一歩、また一歩と距離が縮まる。心臓の鼓動が追いつかない。震えも止まらない。口を開けたら舌を噛んでしまいそうなほど歯が震えている。グスタフの服を掴む腕にも無駄に力が入っていて、もう手放すこともできない。
お父様が、キャメロンの窓から私を覗く。
助けて……ヴェルト……。
最後の瞬間、私はお父様のその欲望に歪んだ顔を脳裏に焼き付けた。
「いい夢を、わが愛しのリリィ」
カシャリ。
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