第217話 幕間 リリィの嘘 その①

 ※ ※ ※


 家の扉を閉めた俺は、その背中にかかった言葉に呆然と立ち尽くした。

 ――追い出したみたいですみません。

 実際に追い出されたような気分だ。自分の家だというのに、おかしな話だ。

 空を見上げ、透き通った青さに絶望した。あの空のように、今の俺には何もない。村を救ったその事実だけが残ったけれど、それ以上の何かを失ってしまった気がする。

 モニカの記憶は奪い取るつもりだった。その覚悟もできていた。俺はその話をするつもりで家に戻った。にもかかわらず、リリィから告げられた事実にショックを隠し切れなかった。

 ――モニカの記憶は、昨日私が回収した。

 あんな決意に満ちたリリィの目、見たことなかったな……。

 リリィはいつも俺の少し後ろをついて歩いていた。最初は距離を置かれていたが、出会いと別れを一緒に経験するようになって、随分と気を許してくれるようになった。時には協力して、時には機転を利かせて、俺たちは助け合ってここまで帰って来た。

 俺が、甘かったのか……。

 リリィはただ俺の後をついてきたわけじゃない。横に立って一緒に考え一緒に悩んだ。いつの間にか俺の旅の連れではなくて、一緒に旅をする仲間になっていた。そんなことに今更ながら気が付いた。

 リリィなりに考えて行動したってことだよな……。

 うだうだと引き籠っていた自分が情けなくなる。リリィはあんなに成長したのに、自分は一体どうだ? 村を出た頃と何も変わっていないではないか。

 未練と自己嫌悪を繰り返し、答えのない反省会を脳内で繰り広げていると、いつの間にか俺の足は集会場へと向かっていた。

 村の中心にある木造の大きな建物。建物の周りの花壇には、モニカが手入れしていた自慢の花が寒さに負けず咲き誇っている。

 しばらく見つめていると、下を向いた視界の中に大きな影が入り込んできた。


「なんて顔してんのさ、ヴェルト君」

「レベッカか……」


 レベッカの顔を見た瞬間、こらえていたものが爆発しそうになった。それが怒りだったのか、哀しみだったのかよくわからなかったが。

 俺は想像以上に、リリィに依存してしまっていたのかもしれない。自分で拒絶しておいて、よりどころがなくなって、駄目になってしまっている。見知った顔を見ただけで、安心感がこみ上げて来たなんて……。笑えない冗談だ……。


「まぁ入りなよ。ただならぬことが起こったってことは、君の顔を見ればすぐにわかるからさ」


 久しぶりに来た執務室は、相変わらず空気がピリピリしていた。ボヤ騒ぎの跡も塞がれずまだ残っている。部屋にはシューゼルとギールがいて、俺とレベッカが入って四人になった。


「久しいな、ヴェルト。なんて挨拶もしている場合じゃなさそうだ」

「シューゼル……」


 心配されている。そんなに俺の顔は酷いんだろうか。今までシューゼルに心配されたことなんてなかったというのに……。

 まぁ、今ここで強がっても始まらない。いや、終わらない、というべきか。とにかく終わったんだ。

 俺はさっきあった出来事を、村の当事者たちに言って聞かせた。

 腕を組んで聞いていたレベッカは、最後まで聞き終わると片目を開けて俺に聞いた。


「それだけ?」

「それだけって……」

「リリィちゃんが言っていたことはそれだけかって聞いてるの」

「ああ……。俺の方が耐えられなくて出てきちまったからな」


 レベッカは困ったような表情で俺を見て、それからシューゼルと目を合わせた。シューゼルもシューゼルで、砂漠で魚料理を差し出されたように困惑した顔を浮かべている。


「どう考えても、ねぇ」

「ヴェルト。お前、相当疲れているな」

「なんだよ……」


 しまいには憐れむような視線を送られた。ギールの爺さんもほっほっほと、大層愉快そうに笑っている。

 レベッカが代表して口を開いた。


「それ、百パーセント嘘だから」

「う、そ……?」


 嘘だって言うのか? 何を根拠に……。

 俺はモニカに、他人行儀な言葉をかけられた。それは事実だ。モニカも、そしてガロンでさえリリィと共謀していて、俺に嘘を吐いていたって言うのか……?


「リリィちゃん、話をするとき耳元の髪の毛を指でいじっていなかった? それ、リリィちゃんが嘘を吐くときのサインね」

「……覚えていない」

「ま、仕草だけじゃなくて、いろいろ整合性の取れないところがあるし」


 腕を組んで本棚に体重を預け、レベッカは人差し指を立てた。


「どう考えても計画性がなさすぎだよね。モニたんの思いは汲み取れたとしても、ヴェルト君の気持ちは蔑ろにし過ぎ」

「俺の負担を減らすためだと言っていたが……」

「負担減ってもストレス増えてるじゃん。モニたんと最後に話しができない方が、モニたんの記憶を自分で奪い取るよりもずっと辛いよ」


 それに、と言ってシューゼルが話を引き継いだ。


「お前がもたもたしているから、という理由も解せないな。そう思うなら、クリフが暴露したあの日、ヴェルトが逃げたとわかった時点で行動に移すべきだった。どうして昨日なんだ?」

「それは……」


 逃げたと、面と向かって言われるのは二回目だが、何度言われても心が痛む。あの行動は明らかに失敗だった。今のこの事態を招いてしまったのも、あそこでしっかり話をしなかったからだ。

 それは置いておいたとして。確かに、昨日である理由が見つからない。


「中でも一番おかしいのがさ」


 レベッカは確信を持って言う。


「あの童話が好きなリリィちゃんがさ、物語をバッドエンドで終わらせるわけないじゃん。リリィちゃんはすべての人が報われるハッピーエンドを目指すはずだよ。今の状況は一方的にヴェルト君が不幸になって終わってしまう。そんな物語、あの子は絶対に許さない」

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