第188話 『時間旅行』

 私があてがわれた二階の一室は、かつてモニカの部屋だった場所だそうだ。

 ピンクを基調とした六畳ほどの部屋には、意外なことに可愛いものが詰め込まれていた。

 お手製らしいウサギのぬいぐるみ、綺麗な石をあしらった家具たち、動物の足が付いた箪笥。カーペットとカーテンと掛け布団が同じ薄い桃色で統一感がある。

 ファンシーな童話の世界に迷い込んでしまったようで、私の童話魂を熱くさせた。


「ちょっと恥ずかしいな。今は使ってないんだ、この部屋。一人で住むには広いから、一階だけで生活してる。王女……、リリィさんには庶民的過ぎて引くかもしれないけど」

「と、とんでもない! 素敵です! うん、とっても素敵! 是非とも住みたいぐらいにっ!」

「そ、そう……?」


 『おかしなお菓子』シリーズのリスペクトかなぁ? 第三巻の『絡まりカラメリーゼ』に出て来たカラメリーゼ姫の部屋が、こんな感じの可愛い部屋だった。

 私の熱にたははと眉をへの字にして笑い、モニカは照れながら出て行った。ドアが閉まるのを確認して、私はぐるりと室内を見回した。

 ……さて。

 人の部屋に入ったら、まずすることは一つだよね?

 私は部屋の隅で出番を待ち望んでいた大きな本棚へと直行した。部屋の内装にも惹かれたけれど、本棚で私に読まれることを期待する童話たちの声は無視できなかった。


「さてさてーっと」

「どこに行っても嬢ちゃんは嬢ちゃんだな……」


 本棚にはその人の特徴がにじみ出る。私は乱読家だから、童話城の自室の本棚は全てのジャンルの童話が収まっているが、童話好きの中には、偏ったジャンルに傾倒している人もよくいる。初対面の童話問答で『空回りする』シリーズの引っ掛け問題を出してきたことから、なかなかの童話マイスターであることに当たりを付けていたのだ。

 案の定、モニカの本棚には、たくさんの宝石たちが輝いていた。倒したらベッドより大きそうな本棚が壁に沿って立ち、シリーズごとに整頓された童話の背表紙が並んでいた。


「あ、やっぱりあった。『おかしなお菓子』シリーズ。一巻の『猪口才チョコレート』から六巻の『ぶれないブレッツェル』に、スピンオフである『不倫でプディング』まである。『空回りする』シリーズも全巻揃ってるし、『鐘の鳴る坂を登る』もある」


 まるで遺跡を発掘する探検家の気分だ。眠っているお宝を目指し、私は目を皿にして背表紙のタイトルを焼き付けていった。


「ふむ。モニカの好きなジャンルは『恋愛』、かな? っていうか、これ全部恋愛童話だ。子供向けのキラキラしたものから、ドロドロの愛憎劇まで……。徹底してるなぁ」


 私が読んだことない童話もいくつかある。『ただ君が欲しい』とか、『ステップアップ・ラブレター』とか、『箱庭』とか、童話城にも置いてなかったし、童話市でもお目にかかれなかった。


「好奇心が疼く……。――ん?」


 右の棚の一番下。一つだけ異質な童話を見つけて、私の手が止まった。


「何だろこれ? ちゃんと製本されていないし背表紙にタイトルもない」


 取り出すとよれよれになった赤い表紙に、強い筆圧でタイトルが書かれていた。


 『時間旅行』。


 およそ恋愛童話のタイトルとは思えないその一冊に、私は何故だかとても心惹かれた。

 ページをめくると、こうある。


『――あなたがこの物語を読み始めた時、私は既にこの世に存在してはいないだろう。』


 誰かの遺書のようだと思った。

 たった一行に込められた願いや希望。手書きの文章には、成形されていない著者の信条が垣間見えるものである。

 さらにページをめくると、国家の陰謀によって家族を引き裂かれた男の復讐劇が幕を開けた。たった一人になってしまった男が、失意と絶望を受け入れ、そして、世界を変えようと立ち上がる。

 これ、面白いかも……。

 私は目的をすっかり忘れて、本棚の前に座り込んでしまった。読んでも読んでも恋愛沙汰は出てこないけれど、私の好奇心を掻き立てるエッセンスが散りばめられていた。

 どれくらい時間が経ったろう。たぶんほんの一瞬だった。ガロンの声がして、私は我に返った。


「おい嬢ちゃん。あの唐変木にさっき見た影のこと相談しに行くんだろ? さも当然のように童話に没頭すんな」

「あ、うん。そうだった」


 私はあわてて本を閉じた。窓際の時計を見えるとそれほど時間は立っていなかった。濃密な時間を過ごした気がしたけれどそれは幻想で、時計の針はまったく進んでいない。そのことに改めて驚いた。


「なんだろう、この童話……。著者は?」


 ひっくり返しても、ページをめくっても、著者らしい名前は愚かサインすら書かれていない。

 童話としての言葉運びも、物語の進め方もとてもきれいだ。何冊も何冊も書いて身に着けた経験がないと、こんなきれいな文章は書けない。にもかかわらず、私が知らないなんて……。

 必ず続きを読もう。私は固く決意して、よれよれの紙束がまっすぐしゃんとするように、本棚の隙間に戻した。

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