第187話 借りてきた猫

 灯りの落ちた村は暖かな静寂に包まれていた。

 気温は下がり、ご飯を食べたばかりだというのに山を歩くための長袖の旅装束ではもう肌寒い。私は白い息を両手に吐きかけて、こすり合わせて暖を取る。


「え!? 王女様を家に泊めるの!?」


 メイリン飯店からの帰り道、私もヴェルトも当然そうなるだろうと思って切り出すと、モニカは飛び退くほど驚いた。


「いやいやいや。ちょっと何言ってんの兄さん。王女様をボロくて汚くてネズミがいるかもしれないただの民家に泊めるの? 王女様だよ。恐れ多すぎるって。――申し訳ありません、王女様。軽薄な兄がとんだご無礼を」

「お前こそかしこまり過ぎだって。何をそんなに恐れてるんだよ。こいつは生きるためなら虫も食べれる王女様だぞ。童話城からここまでどうやって来たと思ってるんだよ」

「ちょっ! て、訂正! 訂正するっ! 虫食べてたのはヴェルトだけだから! 私は山菜で飢えを凌いだの! 事実は曲げないように! ……ネズミくらいなら、まぁ」


 私も随分強かになったものだ。

 お腹いっぱいになって暴れるお腹を落ち着かせるため、私たちはゆっくりと夜道を歩く。

 ヴェルトが旅の思い出を紐解いて、私がそれに相槌を打つ。モニカはそんな思い出話を興味深そうに聞いていた。

 ついでのようにヴェルトは語った。

 レゾさんが出て行くきっかけとなったヴェルトの暴力事件。あの時悪ガキに虐められていたのは今隣で笑顔を振りまく美人さんであるけれど、虐めていた側の悪ガキは、なんと、昼間集会場で会ったシューゼルとクリフだという。


「笑っちまうだろ? あの悪ガキが今はネクタイ締めてるんだぜ?」

「過去のことは水に流してあげなさいよ。兄さん器小さいなぁ」


 淡々と過去の話を語る二人に、もはや禍根はないようであった。

 それどころか、筋肉の上に頭を乗せたような図体に成長したクリフが、今はモニカにゾッコンなのだという……。人生何があるかわからない。

 まんざらでもなさそうなモニカと、驚きもせずその事実を受け入れるヴェルトが、なんだかとても大人に見えた。


「そりゃ、あれから七年も経ってるからねぇ」


 現在は兄のシューゼルが村長を引き継いでいる。父親のコロネロさんから代替わりしたのはつい最近の話で、これはヴェルトにとっても初耳だったようだ。「ま、お似合いだな」と、祝辞とも皮肉とも取れない感想をこぼす。

 そんなやり取りをしているうちに、ヴェルトの生まれた家にたどり着いた。

 椿の生垣に囲まれた二階建ての一軒家。

 ボロいなんてとんでもない。外から見た限り家屋はきれいだし、生垣も庭の花壇も丁寧に手入れされている。レベッカが言っていたように、彼女が世話好きというのは見紛うこと無き事実のようだ。


「もう一回聞くけど、ホントにうちでいいんだね? リリィさん」

「全然大丈夫です! むしろ馬小屋でも寝れるので!」


 家に着くころには、リリィさん、モニカと呼びあえる程度には私も打ち解けられた。やっぱりヴェルトと似ているのがいいのかな? 人見知りな私も、すんなり受け入れることができた。




 懐かしい匂いのする家だった。

 石を組み上げて作られた童話城はこんな温かみのある匂いはしないけれど、私の奥底に眠っていた郷愁を呼び起こし、懐かしい気持ちにさせた。

 きっとアレだ、どこかでこういう風景が描かれた童話を読んだのだろう。普通の家庭を普通に描く物語。一時期王女ではない普通の町娘に憧れて、そういう童話をいっぱい読んだことがあった。


「そっちリビング、適当にくつろいでてね」


 借りてきた猫のようになっていた私に声を掛け、モニカは廊下の先にへ消えていった。ヴェルトも荷物を置いて来ると言ってどこかへ行ってしまった。知らない家で一人待たされるのは、なんだか緊張してくつろげない。


「ここがヴェルトの家かぁ」


 しみじみと吐き出した独り言は、残念ながら、一番反応してほしくない相手に聞こえてしまったらしい。


「なぁなぁ、嬢ちゃん。想像してるか? 今の状況ってのは、付き合いたてのカップルが、初めて彼氏の家に行って緊張しているようなシチュエーションだぜ? そういう童話、読んだことあるだろ? めくるめく大人の世界が、ほら、大口開けて待ってるぜ?」

「もう! ガロンはいつも変なこと言う。ヴェルトの家だよ。彼氏の家じゃない」


 嘘で恋人の振りをしたことはあるけれど、私たちは恋人同士じゃないのだから。この心臓の高鳴りは、そういう感情とはきっと違うと思う。そうだよね?

 しばし腕を組んで考え込んで、なんだか損したような気分になりそうになったので、そこで思考を打ち切った。

 その時、私の背中の方で何か動く気配を感じた。

 わずかな衣擦れの音が私の耳にも届く。


「ヴェルト?」


 そう問いかけても影は答えなかった。

 ……。いいや、おかしい。

 冷静になった頭が違和感を覚え始める。

 ヴェルトもモニカも二階へ上がっていった。二階へ通ずる階段は、リビングのソファーからでも見えるから、降りてきたらわかるはずである。でも、私は二人が降りてきているところを見ていない。


「……」

「嬢ちゃん、何かいるぞ」


 小さな声が胸元から聞こえた。ガロンだ。

 私はキャメロンを両手で握りしめた。想像以上に手汗をかいていて思わず落としそうになる。

 意を決して振り向くと――。


 ――扉の影から真っ黒にくぼんだ二つの眼がこちらを見つめていた。


「っ! 誰っ!?」


 声を上げると、私を見つめていた何かの方が驚いたように逃げだした。軽い足音が廊下を走って行って、やがて闇に溶け込むように聞こえなくなる。

 残されたのは私と、リビングに降りる重い沈黙だけ。


「……何だったの?」

「小さい子供か? サルみてぇだったように見えたが……」


 どうしてモニカが住んでいる家にサルがいるのだろうか? そんな当たり前の疑問を抱いたけれど、口にする前に二階からヴェルトが降りて来た。


「なに、ぼーっと立ってんだよ。寂しがり屋のウサギかお前は」

「ううん、違くて。あそこに、今、何か居たの。小さくて、黒い、サルみたいな……」

「はぁ?」


 指さした扉の向こうには真っ暗闇が口を開けているだけである。モニカも降りてきて問う。


「誰かいたの? おかしいなぁ。兄さんが帰って来るまで私がしっかり守り抜いてたのに。座敷童にでも憑りつかれたのかなぁ」

「座敷童!?」

「まぁ、こんな村だからね。いるならいるんじゃないかな? そういうお化けとも仲良くなれるのが、田舎のいいところだよ、リリィさん」


 モニカは乾いたようにおどけてみせた。

 戸締りがされていた家の中に何かが入り込んでいるはずはない。ないけれど……。

 私の頭を集会場の放火事件が霞め、背筋が薄ら寒くなる。

 エスカレートした教典の国の工作員と鉢合わせてしまったのかもしれないと思うと、怖くなってきた。

 ガロンの目撃証言もあるし、寝る前にヴェルトに相談しておこう。

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