第189話 最後のターゲット
ヴェルトの部屋はモニカの部屋のすぐ隣だった。ガロンを首から掛けなおし、ノックして中に入ると、ヴェルトは丁寧に装備の手入れをしていた。
ヴェルトの部屋の感想は、一言で言えば質素。要するに物が少なく、面白味もない。モニカと違い、必要な物しか揃っていない部屋は幾分か殺風景だ。ベッドに腰かけていたヴェルトと向かい合うように、丸い木の椅子を隅から引っ張り出してきてちょこんと座った。
「久しぶりの我が家はどう? やっぱり落ち着く?」
「んー。普段と変わらんな。雨風が凌げて、野犬を警戒しなくていい分だけ、落ち着くかな」
「ったく、感動の足りねぇ野郎だなぁ」
私たちがいつもキャンプで使っているシルバーを、ちゃきちゃきと手入れし再び綺麗に仕舞われるまで、私はその作業を見学していた。
旅の途中、宿屋で部屋を共にした時など、ヴェルトはよくこうやって手入れをしていた。私はそれを横から見るのが結構好きだった。ヴェルトも、私が横から見ていても何も言わずに黙々と作業を進めてくれる。
「で、何の用だ?」
「お、そうだ。えっとね」
議題はいっぱいある気がするけれど、私は一旦それらを飲み込む。私はさっき見た怪しげな影について口にした。
「この家にいた影か……」
「嬢ちゃんだけじゃねぇぜ。俺様も気配を感じた」
ガロンがフォローしてくれると、それだけで心強くなる。
置くところを探したけれどテーブルすらなくて、仕方なく私の膝の上に置いている。私の太ももの弾力について文句を言うことを、このキャメロンは忘れてはいない。
ヴェルトは、装備の手入れを終えると頭の上で手を組んで、ベッドの上にあおむけに寝転がった。
「昔からイヌやネコを拾ってきてはおふくろに怒られるような奴だったからな。モニカが可哀想な動物を拾ってきて一緒に住んでてもおかしくはないぞ」
「いやいや。明らかにイヌやネコの大きさじゃなかったって! もしかしたら教典の国の刺客かも……」
「刺客って……。最近戦闘系の童話読み過ぎじゃないか? この家に誰を殺しに来るって言うんだ?」
「そりゃヴェルトでしょ。童話の国に庇護を求め、それを成し遂げた村の英雄なんだから」
「考えても見ろ。俺は今日ようやく帰って来たんだ。村に嫌がらせをしている奴らが俺の顔を知っているわけないだろう」
言われてみればそうだ。今この村でヴェルトが襲われるのはおかしい。以前からの怨恨でもない限り、一年ぶりに帰郷したヴェルトをわざわざ狙う必要はない。
私は腕を組んで、頭を捻る。
「じゃあ、モニカ?」
「モニカは村の役員ですらないぞ。ただのお節介焼きだ」
「だよね。さっき言ってたもんね」
昼間、シューゼルの命令で使いっ走りにされていたモニカだったが、本業はメイリン飯店の給仕さんなのだそうだ。モニカがお節介で首を突っ込み、その手腕を買われてシューゼルの頼みごとを度々手伝っているのだと、メイリン飯店からの帰り道に教えてもらった。
「じゃあ私!? ……なわけないか」
童話の国の王女として素性が知れているなら可能性はあるけれど、今日来たばかりの汚れた旅人を誰が王女だと思うだろう。
「となると第三の勢力……!? 童話の国を転覆させようとする新しい悪の組織があって、この辺境の村から侵略を始めたとか!」
「妄想が酷いぞ、童話脳」
「ど、童話脳って……」
今は真面目に話しているのに……。酷い……。その気持ちよさそうに上下するお腹にガロンを投げ落としてやろうか……。
持ち上げたガロンが慌てた声を上げたので、犯行は未遂に終わった。無念。
「ま、警戒はしておいてやる。ガロンも離さず身に着けとけ。センサー代わりにはなってくれるだろう」
「おうよ。任せときな」
調子のいいガロンの声がする。いつも助けてもらっているけれど、ガロンの太鼓判はいまいち信用が置けない。普段の態度って大事だと思う。
ヴェルトは話は終わりだとばかりに静かになってしまった。天井を見つめたまま、深く息をしている。
考え事、してるのかな?
ヴェルトの無言にはいくつか種類があることを私は知っている。今の空白は、私やガロンへの注意を遮断して、内側の何かと闘っている時の感じだ。
私はつばを飲み込んで恐る恐る聞いてみる。
「ねぇ。今回のターゲットって、やっぱり……?」
「悪い。今日はもう眠い。明日にしよう」
「……うん。わかった」
まぁ、そういう答えが返ってくることはわかっていた。
孤児院で二人月を見上げたあの日、弱さを隠し、寂しさと闘っていたヴェルト。何に悩んでいるかもはぐらかされてしまったけれど、聞くまでもなくわかり切っていた。
モニカとの思い出。それを童話の原石として差し出すかどうか。
ヴェルトはきっと、天秤にかけている。
湖の村のヴェルトという人間と、これからの村の未来を。
私はそっと席を立った。ガロンを首にかけ、スリッパを床に擦って歩いて行って、ドアノブに手をかけたところでヴェルトがポツリと言った。
「……レベッカに言われたんだ」
ドアノブにかけた手を止め、私は振り返らずに聞く。
「俺の責務はおおよそあと一人分だって」
「……」
あと一人分……。ギュッと心臓が縮こまった。
「引き留めて悪かった。腹出して寝るなよ。この村は冷えるからな」
背中を優しい声が押してくれる。
振り向いてヴェルトの目を見て受け止めてあげなければいけない。私だけが、今その辛さをわかってあげられる。けれど体は動かなくて、怖くて、振り向けなかった。
ヴェルトのおやすみにおやすみと返して、私は振り向くことせずヴェルトの部屋を出た。
聞くつもりだったのに……。ヴェルトがどんな結論を出したとしても、ちゃんと向かい合うつもりだったのに。私は目を背けてしまった。
ヴェルトもずるい。私が振り返れないことが分かったうえで、あのタイミングで声を掛けたのだ。ずるい。ずるい……。
ポップな雰囲気の部屋に戻りガロンを机の上に置き、私はぼふっと跳ねる布団に、前のめりに倒れ込んだ。
でも、やっぱり私が意気地がなかったのがいけない。
ベッドから見える細い月を見つめて、私は後悔に苛まれた。
明日、ちゃんと話を聞こう。
疲れているはずなのに、なかなか寝付けなくて、私は何度も寝返りを打った。
夢は見なかったと思う。
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