第178話 幕間 馬車に揺られる森の中で その①

「ねぇ、御者のお兄さん。お願いがあるのぉ」


 決して整っているとは言えない森の中の道を、二頭の馬に引かれた馬車が進んでいく。

 木の根を超える度に大きく車体が揺れ、着地の瞬間、お尻に大きな衝撃が走る。

 梢の街から東に半日ほど進んだあたり。鬱蒼と茂る濃い森の中に、わだちを刻む車輪の音が木霊していた。

 あと数刻もすれば森を抜けられる。森を出てすぐのところに狩猟を生業とした集落があることを、手綱を握る御者の男は知っていた。村に出れば今日の行程は終了。大罪を犯した魔法使いの身柄を拘束し、自分は村の協力のもと暖かな布団が約束されている。


「ねぇってばぁ。ちょっと聞いて下さらない? 本当に些細なお願いなの。無碍にしなくてもいいじゃない」


 にもかかわらず、さっきからこの調子だった。

 梢の街を出てしばらくは静かなものだった。本当に乗っているのかと疑い、幌の間から何度も荷台を確認した。その都度ロープでぐるぐる巻きにされたカラテアの姿を見て安心したのだった。

 森が濃くなり始めてから様子が変わった。しきりにこちらに話しかけてくるようになり、懇願するようになった。

 無視するのもいい加減疲れて来た。

 御者は幌の隙間を少しだけ開け、荷台の犯罪者に向けて言う。


「静かにしててくだせえ。あんたの言葉は一切聞くなと姐さんにきつくきつーく言われてんでさぁ。あっしは訳の分からない術を使うあんたより、姐さんの雷の方が怖い。わかりやしたか? わかりやしたね!」


 顔も見ずに一方的に言い切って、幌を閉じようとした矢先。


「お花を摘みに行きたいの」


 艶やかな声が懇願する。


「……駄目でさぁ。例えそれが便所に行きたいという生理現象でも……」

「そんないけずを言わないで。もう、限界なの。……これ以上、私に言わせないで」

「……だ、駄目でさぁ! 姐さんの命令は絶対。破ったら最後、あっしが失禁どころじゃすまない罰を与えられちまう!」

「お願いよ」

「駄目といったら駄目でさぁ!」

「じゃあなに? 貴方は私にここで漏らせというの? 私もいい年なの。察して頂戴」

「そういうわけには」


 男は頑として受け付けなかった。カラテアの懇願を無視し、再び前を向き手綱を握り直す。

 ……ただ、どこかで。本当は本当に限界なのかもしれないという思考が巡り続けていた。

 馬車を駆って半日。男は何度か休憩を入れ用を足したが、カラテアは荷台に積まれたまま身動き一つとれていない。囚人とはいえ人間だ。催すものを拒否できるわけではない。

 カラテアの声が色合いを変えた。


「ねぇ、御者さん。言葉の綾って、知っているかしらぁ?」


 男は無視して答えない。カラテアは続けた。


「あの女軍人さんだって、何も四六時中私を監視しなさいと言ったわけじゃないわよ。同じ女だもの、それぐらいわかるわぁ。最低限の尊厳は確保する。そんなこと当たり前じゃない。――見たところ、女軍人さんはとても貴方を信用していた。だからあえて言葉に出さなかったのね。それぐらい察してくれると信じていたのよ」

「……」

「でも、貴方はそのメッセージにすら気付かない。言葉を言葉通りに受け取ってしまっている。いい? 今貴方がやろうとしている行為は、貴方が慕う姐さんへの裏切りよ。女性を無碍に扱ったと知ったら、彼女、貴方のことをどう思うかしらね?」

「……」

「ねぇ、一度馬車を止めて下さらない? 絶対に逃げない。約束する。手枷はこのままでいいわぁ」


 十分な時間を置いた後、男は頷いた。


「わかった、わかりやしたよ。だが、あんたの言葉に惑わされたわけじゃあない! 荷台を汚されちゃ敵わねぇって思っただけでさぁ」

「よかった。理由なんて何でもいいわぁ」


 男が手綱を引くと、馬の嘶きとともに、馬車は森の中腹で動きを止めた。

 男は御者台から降り、荷台の後ろの幌を開き、カラテアを下ろした。カラテアは抵抗せず、言われるがままに付いて来る。

 小鳥のさえずりが木霊していた。辺りには落ち葉が積もり、忘れん坊のリスたちが、集めたドングリをせっせと穴に埋めている。


「ロープは解いてやる。手枷はそのままだ。お前さんに指一本でも触れたら、あっしはきついきつーいお仕置きをさせられちまう。そいつぁごめんですぜ」

「それで構わないけれど、もう一つお願いを聞いて頂戴」

「これ以上は譲歩できな――」

「脱がして、欲しいの」


 蠱惑的な水音が、耳朶を震わす。

 木々が風に揺れる音、動物の鳴き声、落ち葉を踏みしめる音……。そのすべてが一瞬聞こえなくなった。


「ぬ、脱がして……?」

「だって、そうでしょう。私、手を使えないのだもの。このままでは服まで汚してしまうわぁ。それじゃあせっかく馬車を止めてもらったのに何の意味もないじゃない」

「で、でも、あっしは触るなと……」

「誰も触っていいなんて言ってないでしょう。――服を脱がすだけ。それだけ。もし仮に、その時何かが見えてしまっても、それは不可抗力」

「不可抗力……」

「わかったら、早く脱がして頂戴。私、限界なのよ」


 震える手がカラテアの腰元に伸びる。結ばれていたひもを解き、襟元からボタンを外していく。手枷をはめたまま、カラテアの白い肌があらわになる。

 そして男も気が付いた。カラテアの豊満な白いキャンバスには、文字とも模様ともわからないエキゾチックな文様がびっしりと描かれていることに。鎖骨から下腹部にかけて、白い肌と対照的な黒い刺青が走っている。


「な、なんだ、コレ……」

「見たわね?」

「へ?」

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