第177話 旅立ち
「ミヨ婆。今回は助かった。感謝する」
「ひっひっひ。高くつくよ、ヴェルトや。こりゃあ王女様一人を検体に差し出したとしても足りないねぇ」
「もう! そのネタでは怖がらないんだからね!」
「あれ? 修羅場をくぐって可愛くなくなってしまったよ。しがない老婆の唯一の楽しみだったのに……」
「え、いや。少しはびっくりするっていうか……」
「まぁ、冗談なんだがね。いっひっひ」
「もうっ!」
レモアの復活を記念する豪勢な夕食を終え、子供たちは眠い目をこすりながら思い思いの過ごし方をする時間。緩い空気と満腹感で満たされた私たちはヴェルトの部屋に集まり、キャメロンから声を発するミヨ婆にその後の顛末を伝えた。
「あたしとヴェルトのよしみだ。面白いものも見れたし、新しい魔法も見れた。それでチャラにしてやるよ」
「ミヨ婆にとってもカラテアは強敵だったの?」
「いんや。あやつは珍しい方向に魔法の研究を進めているというだけであって、戦闘に優れている訳じゃあないさね。そこにあたしがいたら、廃病院ごと吹き飛ばして終わりさね」
怖いことを言う。
「それに王女様やキャメロンに関しても、少し思うところが出来た。少し調べる方向を変えてみるよ。あんたが依頼したキャメロンの秘密も、もしかしたらわかるかもしれない」
「わかった」
「キャメロンは置いておいて、私? 私に対して何を思うところがあるの?」
「知りたいかね、王女様。知ってしまったら最後、碌な死に方が出来なくなるよ。いっひっひ」
「い、いや。やっぱりいいや。世の中には知らなくてもいいことが山のようにあるし」
ヴェルトもミヨ婆も納得しているようだし、私が知ってまずいこともあるのだろう。私は二人を信用している。本当に大切な事なら、腹を割って話してくれるはずだ。
「じゃ、この身体はまたしばらくガロンの奴に返してやることにするよ。――王女様や、あの変態騎士に嫌気が差したら、いつでもお呼び」
「もう行くの?」
「なに、消えるわけでも会えなくなるわけでもないさね。あんたたちの旅は、ずっとここから見守っている。もちろんヴェルトの頼みごとに手を抜くつもりもない」
フェアリージャンキー、そして大魔法使いカラテアを相手にすると決まってから、私たちは随分ミヨ婆を頼ってしまった。魔法のこと、学問の国のこと、カラテアのこと。ミヨ婆なしでは、あの廃病院から抜け出すことが出来たかも怪しい。本当に感謝しかない。
「ありがとうね、ミヨ婆」
「お礼は早いよ。あんたたちの旅が無事終わったら、また改めてその言葉をあたしにおくれ」
「……うん、そうだね! じゃあ今のは撤回しておく」
「いっひっひっひ」
魔女は魔女らしく、不気味な笑い声を残して消えた。
しばしの静寂が、小さな部屋に訪れる。
窓からは、晩秋を憂う虫の大合唱が聞こえて来ていた。
季節はもう冬になる。虫たちにとって、これが最後のコンサートなのかもしれない。
「ふわぁぁあああ」
間の抜けた大きな欠伸が一つ。
私はヴェルトと一度目配せし、キャメロンに語り掛けた。
「おはよ、ガロン。お目覚めいかが?」
「ふわぁあ。よく寝たぜ……。ん? なんだ、嬢ちゃんじゃねぇか。随分穏やかな顔しちゃって、どうしたんだよ。――さては、ついに大人の階段……」
「上ってないよ。もう。起き抜けにそういう話はやめてよね」
「がっはっは! 起き抜けだろうと、徹夜明けだろうと、俺様の変態は収まることを知らねぇんだ!」
なんだか懐かしい。
「おかしなところはない? ガロン。魔法使いの魔法にあてられて、意識が飛びかけていたみたいだったけれど」
「魔法使い……? あ! そうだぜ、嬢ちゃん! レモアってガキはどうした!? 意識を失ってずっと眠り込んでたじゃねぇか!」
ようやく記憶が繋がったのか、ガロンは声を荒げた。
「大丈夫だよ。全部解決した」
「解決しただぁ!?」
「ガロンの魂を借りて、ミヨ婆がサポートしてくれたんだ」
ミヨ婆の名前を出すと、ふむと唸って一旦落ち着いた。
「あの魔女か。なるほどな。いい判断だ。俺様の存在だって、もともとそういう契約だ。解決できたんなら御の字じゃねーか」
「うん。私も大活躍だったんだからね! ちゃんと聞いてよ、ガロン。嫌って言うほど繰り返して話してあげるからね!」
「がっはっは。そいつぁ楽しみだな。長い思い出話は年寄りの好物だって相場が決まってるってもんだぜ」
いつもの会話。いつもの空気。
我が家に帰って来たような安心感に包まれて、私たちの他愛ないお喋りは夜更け過ぎまで止むことはなかった。
フェアリージャンキー騒動の事後処理が終わるのに二日を要した。
レベッカはその間忙しそうに街中を奔走し、各方面への伝令、被害者のアフターケア、廃病院の解体指示までこなしていた。私たちも時折、仮本部となっている製紙工場へと呼び出され、あの廃病院で起こったことを詳しく聴収された。
二日経ってしまうと、あの日の出来事が、もしかしたら夢だったのかもしれないと思うようになる。
大好きな童話の主人公たちが童話から飛び出してきたような空間。完成度の低いものもあったけれど、童話の中では絶対に実現できないコラボレーションも見ることができた。童話でも現実もあり得ないのなら、もはや夢を疑うしかなくなってしまう。
それほど異質な空間だった。きっと、私が後世のために伝奇を残すなら、あの日の出来事は、一章丸ごと使っても書き足りないくらいだろう。
「ごめんねー、待たせちゃって。ようやく終わったよー。もう、くったくたのくたぁ」
旅支度を整えた私たちの元に、レベッカが走って来た。
彼女もまた、大きな旅行鞄を提げている。私たちと違うのは自慢の愛刀を腰に提げ、折り目正しい軍服を華麗に着こなしているところぐらいだ。
「孤児院の方はいいの? ちゃんとお別れしてきた?」
「うん。昨日の夜に盛大にパーティーを開いてもらっちゃった。レモアの快気祝いと、私たちの旅の無事を祈ってって」
思い出すと暖かくなる。童話城から始まったこの旅で、こんなに長いこと滞在した街は今までなかった。こんなに大勢の人たちと仲良くなれたこともなかった。もっと滞在していたいと思ったことも初めてで、名残惜しいと本当に思ったのもこれが初めてだった。
レモアも、バートも、ヴィッキーも、ロニーも、ダグラスもエドナも、マムも、ブラッドリーさんも、みんな優しくいい人たちだった。
でも、これはヴェルトの思い出を回収するための旅。ヴェルトとの深い記憶の持ち主がこの街にはもういない以上、私たちは旅立たなければいけない。
「リリィちゃんも愛されているねぇ。うんうん。おねーさんも鼻が高いや」
「はいはい。さぁ行くよ、ガルダナイトさん。この街にはもう成敗する悪はいないんでしょ?」
「ハッ! このガルダナイト、姫の征く道を切り開く剣! 命尽きるまで、姫に付き従う所存なり!」
「……茶化そうと思ったのに……」
「あの一件以来、とても清々しい気分なのよねー。恥を出し尽くして逆に吹っ切れた感じ?」
「せっかく見つけたレベッカの弱点だったのに……」
弱って恥ずかしがっているレベッカはちょっと可愛くて好きだったのに。残念だ。
「それより、レベッカじゃなくて、お姉ちゃん、でしょ?」
「もう呼ばないし!」
「えーっ!?」
抱き着こうとして顔を近づけて来るレベッカに、キャメロンを向けて牽制する。レンズに頬擦りをする姿は、頼れるお姉ちゃんでも、国を背負う軍隊長にも見えない。
「茶番はもういいだろ。出発するぞ?」
しびれを切らしたヴェルトが梢の街に背を向ける。
「あ、待って!」
私は軽い荷物を背負い直し、ヴェルトの後を追う。その後をレベッカが付いて来る。
遠く岩山にトンビの鳴き声が反響して聞こえた。
次の街は旅の最終到達地。ヴェルトの故郷、湖の村。
私たちは思い出の回収のため。レベッカは村の護衛に戻るため。同じ目的地を目指す。
……旅の終わり。
その瞬間が刻一刻と近づいているのを自覚して、胸の辺りが痛くなる。
進んでほしくない。でも、進まなきゃいけない。
……でも、もう決めなきゃならないよな。
そう言っていたヴェルトは結論を出せたのかな?
隣に並んでみてもヴェルトの歩幅はいつもと変わらない。
一抹の不安と、自分勝手な我儘を隠して、私は梢の街を後にする。
第九章 了
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