第174話 やっぱり私のお姉ちゃん
「……」
「ふふ。沈黙ね。沈黙は肯定と受け取ってよろしいのかしらぁ? 大丈夫。嘘は嫌いと言ったでしょう。貴方たちとした約束は必ず守るわ。第一、今から逃亡の身となるのに、言うことを聞かないオニンギョウたちを連れてなんていけないもの」
私の損害はあなたたちが考えている以上なの。そう言って、身支度を始めてしまった。
暖かな部屋の真ん中で、私とヴェルトが立ち往生する。一歩踏み込めば手の届く距離。にもかかわらず、その距離が果てしなく遠い。
飛び込んだ瞬間カラテアは自身に向けて魔法を発動させ、そし『てインプリンティング』という魔法は永遠に失われてしまう。
必要なものを旅行鞄に仕舞い切ったカラテアは、最後に何もない天井に向かって声を張った。
「コロリオ! 準備はできたわぁ。そっちはどうかしら? 無事に地下研究室の実験データは回収できた?」
「地下研究室!?」
そんなもの、病院の案内図にはなかった。
もしかしたらそっちが本命で、ここで私たちがレベッカと闘ったのは、単なる時間稼ぎだったかもしれない。
カラテアに共犯者がいる可能性も、完全に失念していた。
「ヴェルトぉ……」
「クソっ……。向こうが一枚上手だった……」
「では、ごきげんよう」
優雅に右手を振り、ローブを摘まんで一礼する。
「いいわよ、コロリオ。脱出しましょ。……。……。……。――あら? いないのかしら?」
おかしいわねぇと呟きながら、一切隙を見せず、こちらに注意を向けるカラテア。
……けれど。
カラテアは気付いていなかった。首を傾げるその後ろに、ぬっと忍び寄る大きな影があることを……。
「ん……?」
窓から滑り込む西日を受けて、その影が長くなる。形状が定まらない影は、一度大きく揺れて、モンスターのように大きくなった。伸びてきた腕が、カラテアの肩を叩く。
「コロリオ……、じゃあないわよね……?」
「……よくも」
潰れたカエルのような押し殺した声。
「……あたしの憧れを……」
「え? あ、あら……?」
「リリィちゃんの前で、あたしの……!」
自慢のポニーテールが揺れ、表情があらわになる。凛々しく整ったその顔には、熱い涙が流れていた。
透き通った声が木霊する。
「あたしの恥ずかしい話をっ! あんただけは! あんただけは……っ!」
「レベッカ!」
私の大好きなお姉ちゃんは、毅然としてカラテアの前に立ち上がった。
筋肉が程よくついた腕が二本伸びて、カラテアの頭を両側から鷲掴みにする。
「あははぁ……。えっとぉ、力、強すぎないかしらぁ? い、痛いわよ? ねぇ、軍人さん? 私の話、聞いているかしらぁ?」
「許せないっ!」
「ちょ、暴力は、ねぇ……。ほら、私、か弱い一般人なの。ちょっと、待って! ねぇ!」
「――ふんっ!」
「やめ――」
レベッカが頭を振り下ろし、その先に待つ痛みを想像して、私は顔を背けて目を瞑った。
直後、想像通り、空気を震わせる鈍い打撃音が響き渡った。カラテアの口からは悲鳴も上がらない。
ゆっくりと目を開くと、意識を刈り取られたカラテアが白目を剥いてレベッカの腕に宙吊りにされていた。
「えげつないヘッドバッド……」
「いい音したよ……」
「……」
手を離すと、力の入っていない身体は、風に揺蕩う花びらのように、だらりと四肢を投げ出した。
私たちを苦しめた大魔法使いは、ようやく、そして呆気なく、その進撃を止めたのである。
「……。……はぁ……」
「れ、レベッカぁ」
「――待って、リリィちゃん」
飛びつこうとした私を、片手を突き出して拒むレベッカ。掌はまだ固く握られていて、力がこもって小さく震えていた。
それはそうだ。レベッカは自分の秘密にしていた感情を一番見られたくなかった私に見られてしまったのだ。
信頼している私にも隠していた事実。それが幼稚な憧れだったこと、そして、まんまとカラテアに利用されてしまったこと……。
レベッカの軍人として、姉貴分としてのプライドは、修復できないほど壊されてしまった。
私は、そのどれ一つだって、気にしないのに……。
「たはは……。いやぁーこれは参ったね。参った参った」
何もない天井を見つめたまま、前髪で目線を隠す。
「不甲斐ないったらないや。誰が軍隊長だよ、誰がお姉ちゃんだよ」
カラテアの『インプリンティング』は、魔法が解けてもフェアリージャンキーにされていた間の記憶が残る。レベッカは今まで何をしていたのか、知っているんだ。残酷にも……。
「お恥ずかしい限りだね。こんな醜態を晒しちゃうなんてさ。もうお嫁にだって行けないねこりゃ。――ま、童話の国へ捧げた身、そんなことはどうでもいいけど。たはは……」
掲げていた右手をゆっくりと目の上にもっていく。そうやって隠していないと、見せたくないものまで見せてしまいかねないとでもいうように。
レベッカ……。
いつもお姉さんを気取って、私の背中をそっと押してくれる暖かい手。
自信に溢れ、力強く生き、自分の信念も意見も曲げたことがなかったレベッカ。私の過ちを優しく正してくれて、私の悪だくみに面白そうと言って乗ってくれるレベッカ。
グスタフに怒られる時も、お父様に怒られる時も一緒について来てくれた。
レベッカがいれば、私も自分に自信が持てたし、安心できた。
でも、レベッカだって万能ではなくて、ただの一人の女の子なんだ。
小さい頃にい抱いた夢を、ずっと大切にする健気で純粋で夢見がちな女の子。
私より少し先に生まれたから、私を引っ張って行ってくれるだけ。
私は頷いてレベッカに掛ける言葉を決めた。
「ねぇレベッカ。もう一回やってよ」
「……も、もう一回?」
「うん! ガルダナイトの決め台詞!」
「鬼か! リリィちゃん!」
あ、こっちを見た。青く澄んだ瞳。揺れる青色が美しい。
「私も好きなんだ、ガルダナイト。えーっと、何だっけ? 何を成敗するんだっけ?」
「――うぅ」
「忘れちゃった。ねぇ、レベッカがやってくれたら思い出すと思うんだ」
白かった頬がみるみる赤みを帯びていく。どこに視線を向けていいのかわからず、私の視線から逃げ、ヴェルトと目を合わせて逃げ、キャメロンのレンズと目を合わせてまた逃げた。
凛々しかった立ち姿が次第にしどろもどろになっていくのが見ていて可愛い。
ヴェルトも、ミヨ婆も何も言わず生暖かい目でレベッカを見つめていた。
「うぅー……。ここには私の敵しかいない……」
「ほれほれ」
「リリィちゃん嫌い! 大好きだけど今は嫌い!」
「さあさあ」
「わ、わかったよっ! 一回、一回だけだからね!」
はー、ふー、と大きく深呼吸をして、呼吸を整えるレベッカ。
ピンと天に向かって指を突き刺した。
「どんな悪でもたちまち成敗っ! 天呼ぶ地呼ぶ正義の騎士!」
掲げた指を、地に付したカラテアに向かってビシッと突きつける。
「ガルダナイトが今宵も悪を成敗したっ!」
凛々しくて。
格好良くて。
説得力があって。
安心感がある。
やっぱり思う。恥ずかしいけれど、私も思う。
私にとってのナイトは、お姉ちゃんは、やっぱり一人だけなんだ。
「今日もご苦労様。やっぱり世界一のナイトだよ、お姉ちゃん!」
「――っ! い、今っ、おおお、お姉ちゃんって……。お姉ちゃんって! ん~~~~~~っ!」
レベッカが抱き着いてきた。
「リリィちゃん! リリィちゃん! リリィちゃあーん! うぅ……。大好きだよぉ」
「ハイハイ。今だけだからね。抱き着くの許してあげるの」
「ぐす……。じゃあ、もう離さない」
「それは駄目」
子供のように泣きつく姿を見て、私のナイトはこの人で良かったと思う。
私もまた、レベッカのお姫様として恥ずかしくないように成長しなければ。
綺麗な茶髪を撫でながら、私はそう決意した。
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