第175話 ただいまポラーノ孤児院

 梢の街を舞台にしたフェアリージャンキー騒動には幕が下りた。

 あの後、街の西門で待ってもらっていた御者の人に応援を呼んでもらい、元凶カラテアを捕縛。しばらくして気が付いたカラテアに、かけた魔法の解除を要求した。

 自分の置かれた状況を理解すると諦めがついたのか、街の人にかけた『インプリンティング』を全て解いてくれた。


「別にいいわよぉ。どうせ私の研究は続けられないのでしょう? 腹いせに嫌がらせするほど性根捻じ曲がっていないわぁ」


 廃病院で我に返った被害者たちはしばし混乱状態だったが、通報していた家族が迎えに来て、泣いて喜ぶ姿を目の当たりにし、申し訳ない表情を浮かべながら帰って行った。

 カラテアの作ったフェアリージャンキーは全部で十三人。私たちが遭遇した人よりももう少し多かった。たまたま外へ出ていたり、部屋に引き籠っていたりして遭遇しなかったようだ。

 レベッカに聞いたところ、半年前から行方不明として捜索願が出されていた町の人は、無事全員帰って来たという。

 ただ一人、カーレさんを除いて……。


「レベッカの言う通り捜索願は出てなかったんだね。身寄りがなかったのかな? どさくさに紛れていなくなっちゃったけど」

「魔法は解けてるんだ。好きに生きるだろうさ」


 廃病院から帰っていく人たちを見送って、私たちはそんな会話をした。

 カラテアの身柄は、そのまま馬車に乗せられ、童話の城へと送られる。

 フェアリージャンキーという恐怖を蘇らせたカラテアに、お父様がどんな判決を下すかはわからない。もう二度と、童話の幸福に捕らわれる人が出ないことを祈っている。


「いい? こいつは凄腕の魔法使いだよ。こいつが何と言おうと聞く耳を持たないで。身体を素手で触ることも禁止。それは全て罠だから。いいね? 確実に童話城まで送り届けてね?」

「わかりやしたっ!」


 護送の任を賜った男は、命令するレベッカに敬礼をして答えた。


「もぅ。私を猛獣か何かだと勘違いしているんじゃないかしらぁ? これだけぐるぐる巻きにしていたら一人でお花を摘みにだって行けやしないじゃない。心配性ねぇ。ちゃんちゃらおかしい」


 くすりと笑うその横顔が最後まで不気味だった。




 馬車に揺られて私たちは街まで戻る。

 製紙工場の前でレベッカと別れ、私たちはポラーノ孤児院へと帰って来た。

 太陽は西に沈み、迫る夜闇にそれでも抵抗する倒景のグラデーションが綺麗だった。この街に来て夕日が見れたのは初めてである。

 煉瓦造りの丸い屋根がもはや懐かしい。

 門をくぐると一気に緊張が緩和した。私たちがほっとしていると、廊下の奥から慌ただしい足音が近づいて来る。


「来た! ヴェルト!」

「リリィもー」


 ダグラスがヴェルトに突撃し、エドナを私がほわりと受けとめる。温かい体温を抱きとめて、安心感がジワリと心に染みた。


「おう、帰ったぞ」

「ただいまー」

「大変なんだよ! すぐ来て!」

「すぐすぐ!」

「ん?」


 言うが早いか、二人は私たちの服を引っ張って孤児院の中へと引き込む。向かう先はリビングではない。階段を登り廊下を進む。

 いくつものドアが並ぶ廊下。その一つに人だかりができていた。部屋に入りきれない子供たちが背伸びして中を覗こうとしている。


「レモアがね!」

「目を覚ましたんだよー」


 その言葉に期待と安堵が広がった。私はヴェルトと顔を見合わせて破顔する。

 私たちは助けることができた。

 部屋の手前、私たちが中に入ろうとしたとき、入れ違いにマムが出て来た。


「ヴェルトさん、リリィさん」


 マムの声は心なしか震えていた。


「レモアが目を覚ましました。何をしてきたのか、私は知りません。ですが、ヴェルトさんとリリィさんのおかげです。本当に。本当に。ありがとうございました」


 深々と下げられる頭に、困惑する。


「あ、いえ。それもこれも私たちのせいでもあって、マムが気にする事じゃ……」

「リリィ」


 私の言葉はヴェルトに遮られ、しどろもどろになったまま消えた。ヴェルトは静かに首を振る。


「マムが頭を下げる必要はありません。俺らだってレモアを救いたかったんですから」

「ありがとうございます。ありがとうございます」

「頭を上げてください。あいつに笑った顔を見せてやりましょう」

「えぇ……」


 ようやく顔を上げた。けれどその表情はどこか歯切れが悪い。


「あの、大変申し上げにくいのですが……。あの子、少し……」

「俺の記憶がないのでしょう?」


 驚いた顔をする。


「どうしてそれを……」


 ヴェルトは静かに言った。


「そうなる予感は、していたんです」


 せっかく目を覚ましたのに、助けてくれた人のことを一切忘れてしまっている。マムの落ち度では全くないけれど、義理堅いマムの性格上、どうしても申し訳なく思ってしまうのだろう。


「はい。リリィさんのことはちゃんと覚えているんです。早く会って童話の話をしたいと、ワクワクしているようでした。でもヴェルトさんのことが……」


 カラテアの『インプリンティング』とキャメロンの魔法。この二つがかみ合ってしまったがゆえに、レモアは昏睡状態に陥ってしまった。カラテアの魔法が解かれた今、デッドロックは解除され、意識を取り戻すことができた。

 でも、キャメロンで奪い取ったヴェルトの記憶は元には戻らない。

 私がヴェルトを救うために取った苦肉の策が原因だ。


「ヴェルト……」

「リリィ。行ってやれ。どのみちこういう結末を迎えることはわかっていたんだ。俺は慣れてる」

「で、でも! レモアはヴェルトを……」

「消えちまった記憶だろう。幸いなことにフェアリージャンキーになっていた記憶は俺の存在と切っても切り離せない。嫌な記憶ごと忘れちまった方がレモアにとっても幸せだろうさ」

「そうかもしれないけど……」


 ほら、と言って大きな手で背中を押された。

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