第173話 持ちかけられた取引

「王女様、貴女は童話を読んでいる時、それをまやかしだなんて考えるのかしら?」

「え……?」


 言葉に詰まった。


「童話を読むのはどうして? 童話を読んでいる間何を考えている?」


 童話を読む理由。童話を読んでいる間、私は……。


「楽しいからに決まっているでしょう。ワクワクして、胸がときめいて、この時間がずっと続いてほしいと思っているのでしょう? そこに理由を求めてはいない。世界がどうなろうと、私の周りがどうなろうと、私にとってはどうでもいいの。素敵な物語の一部になることが私の死であり、生なのよ」

「……」


 憧れ、ではない。

カラテアのそれは現実逃避でも、届かない夢でもなく、死と同義の受け入れた運命なのだ。

 ぞっとする。カラテアの目指しているところが、理解できてしまったことに、自分が怖くなった。そこは理想郷なのかもしれないと、頭の片隅で考えてしまった自分が、堪らなく許せない。

 それは、今の人生を否定するようなものだから。


「妄言だ。耳を貸すなよ、リリィ」


 ヴェルトの声で我に返る。


「お前の童話愛は、そうじゃないだろう。たくさんの物語に出会って、一喜一憂して、面白かったって本を閉じる。お節介にも俺やガロンに押し付けて、その感動を共感しようとする。それが、リリィにとっての『楽しい』なんじゃないのか? 一冊の童話に心酔して、その童話の一部になっちまったら、もう新しい童話は読めなくなる。童話の中に新しい童話は生まれないんだ」

「童話が読めなくなる……。それは嫌……」

「だから違うんだ。お前とカラテアは。『ガーデン』がいくら面白い物語だったとしても、お前はそれを読んで、その主人公になりたいとは思わない」

「……うん。そうだね」


 なんだかしっくり来た。

 私の中にも童話にどっぷりとつかりたいという欲望があったのは事実だ。でも今、ヴェルトの言葉ではっきりした。

 私はなりたいんじゃなくて楽しみたいんだ。ずっと続けばいいんじゃない。新しく巡ってほしいんだ。

 客観的に読めることが、童話の一番の面白さだ……!


「それに。それが幸せだからと言って、レモアやみんなが巻き込まれていい理由にはならない! 秘めていた想いを無理やり表に出して、踏みにじるのは許せない!」

「別に共感してほしいなんて、これっぽちも思ってないわぁ」


 カラテアの声が割り込む。


「誰に何と言われようと、私は私の楽しみを曲げるつもり、ないもの。……でも、王女様には一度、是非『ガーデン』を読んでもらいたいわねぇ。世界が変わるわよぉ」

「……機会があれば、読み物としてたしなんでみるよ」

「ふふふ。一章を読み終わった後も同じように強がっていられたら、褒めてあげる」


 さて、と言って、カラテアが立ち上がる。


「私は私のことを、迷える子羊の夢を叶えるいい魔法使いだと思っていたのだけれど、相いれないみたい。これ以上の問答は無用だし、そうね。取引をしましょう?」

「取引? そんなことが出来る立場だと?」


 レベッカを失ったカラテアには、もうヴェルトと闘える駒がないはず。あったとしても既にこの距離だ。ヴェルトが一歩踏み込むだけで、カラテアに拳が届く。


「私を見逃しなさい。そうすれば、この町の人たちにかけた魔法は全て解いてあげる」

「条件を出せる立場だと? 魔法を解く方法だって割れているんだ。カラテアの身柄を拘束した後、魔法をかけられたフェアリージャンキーたちのプライドをゆっくりへし折って行けば、すべて解決するさ」

「連れないのね」


 私たちにとって何のメリットもない取引だ。

 カラテアの声は拗ねたようであるが、どこか会話を楽しんでいるようでもある。


「ならこうしましょう。追いつめられた私は、もうなりふり構っていられない。だから、不完全ではあるけれど、一か八か『インプリンティング』を自分自身に掛けてみる」

「えっ!? そんなことしたら……」

「えぇ。私にもどうなるかわからないわぁ。意志も記憶も感情も消し飛んで廃人になってしまうかもしれないし、うまく機能して『ガーデン』の主人公になれるかもしれない。――ただ、どちらにも共通して言えることは、『インプリンティング』と言う魔法の対処法をきれいさっぱり忘れてしまうだろう、ということ。この意味がお分かり?」

「……レモアとあの医者の野郎を人質に取る気か……」

「さすが。察しがいいわねぇ。意識を失ってしまった彼女たちのプライドをへし折ることはできないわぁ。『インプリンティング』は永久に解けることはなく、一生眠ったままで過ごす。それはとても悲劇だと、私は思うのだけれど」

「……」

「ヴェルト……! レモアたちが目を覚まさないのは絶対ダメ。何の解決にもなってないよ」

「……わかってる!」


 カラテア自身を人質にする。それは我々救出隊が考慮していなかった展開だ。

 誰もが自分の命は惜しく、追いつめたら逆上するか観念するかするだろうと思っていた。

 第三の選択。そしてこれが、自暴自棄から出てきた案ではないことが、また厄介だ。

 問いかけられているのはこっちだが、実質私たちに選択肢はない。レモアを救えなければ廃病院に来た意味がない。もともとカラテアを捕まえることは二の次だったのだ。

 でも、ここで何をしていて、これから何をしようとしているかを知ってしまった今、カラテアを再び野に放つのは童話の国の王女として看過できるものではない。

 カラテアは葛藤する私たちを嘲笑うかのように続ける。


「そんな結末、お互い不本意だと思うのよぉ。私はまだ捕まりたくないし、王女様たちは大切なお友達を助けたい。どちらの願いも叶わなくなってしまうものね。だから、両者とも妥協するというのが、この場でできる最善の方法だと思うの」

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