第158話 脆さをうまく隠せるかどうか

「はっ、はっ、はっ。おい、リリィ。レベッカは追って来てるか?」

「……来てないよ。追いかけては来ないみたい」


 私は、ヴェルトに担がれたままじっと後方を睨みつける。

 この屈辱的な格好のことは諦めた。今の私はレベッカを助けられなかったという事実を、どうにか飲み込まなければいけない。ヴェルトの行動にいちいち目くじらを立ててはいられない。

 レベッカ。私の姉貴分。

 私がお父様と喧嘩した時だって、グスタフに嘘を吐いたときだって、私の味方をしてくれていたのに……。

 レベッカの口から『姫』と言う言葉が出るたびに胸が痛かった。その位置は、私のものだった……。


「しょぼくれてる暇はないぞ。あいつの魔法を解く方法を考えないと。――いい加減重くなってきた。降ろすぞ?」

「重っ……て! 別に重くないし。マシュマロみたいにふわふわだし! ヴェルトの感覚器官が麻痺してるんだよきっと!」

「なんでもいいわ」

「よくないっ!」


 扱いがぞんざいである。それだけヴェルトも緊張感に疲れていたのかもしれない。

 ようやく地に足を突いた私は走って来たばかりの廊下を見つめた。割れた窓ガラスが散らばっているだけで、そこには何もない。同じフロアにレベッカもカラテアもいるはずなのに、今は驚くほど静かだった。


「『ガルダナイト』って言ったか? あれなら俺も少しだけ読んだことがある」

「へぇー。ヴェルトが童話読んだことあるなんて!」


 あれだけ私の童話愛を侮辱して、旅道中の私の洗脳教育を涼しい顔して躱して来たヴェルトに、読んだことがある童話があるなんて。てっきり文字を追うのも苦手なのかと思っていた。

 これは嬉しい発見である。ああいう勧善懲悪ものが好みなのか。身体ばかり大きいけれど、さすが男の子である。


「つっても、物心ついたばかりの頃だぞ? もう十年以上前だ」

「出版されてから三十年は経ってるけれど、今なお男の子の憧れだもんね『ガルダナイト』。本当にカッコイイヒーローって言うのは、時代の変化で色褪せたりしないんだね」

「タイトルを聞くまできれいさっぱり忘れていたけどな。でも。やっぱり目を輝かせていた時期が俺にもあったのかもしれない」

「……!」


 私はたまらなく嬉しくなった。何だろうこの気持ちは。足りなかった歯車がぴったり嵌ったような爽快感。ゾワゾワと首の後ろをせり上がってくる不思議な感覚に、私は言語化しづらい高揚感を覚えた。

 ヴェルトと語り合える童話があった。そのことが嬉しいのかもしれない。


「……なんだよ、変な顔して」

「別にぃ♪」

「いいだろ? 昔の話なんだ。――と、脱線した」


 私はこのまま童話問答に突入してもよかったけれど、そこはヴェルト。あっさり軌道修正されてしまった。


「童話自体はうろ覚えだが、俺にもわかることがある。さっきのドクターを撃退した時のようなキャメロンを使う抜け道は、レベッカには使えない」

「うん。そうだと思う。『ガルダナイト』の物語を破綻させる可能性があるのはたった一人」

「エリカ姫」


 小さく頷く。

 ヴェルトの言う通りだ。『完全無敗のガルダナイト』は、主人公であるガルダナイトが、正義を貫き悪を斬る物語。鉄壁の信念を支えていたのは王国の姫だ。ガルダナイトの活躍を知り、窮地に立ったところで手を差し伸べ、ガルダナイトが生涯忠誠を尽した人物。あの物語から、エリカ姫を除いたら、物語は破綻するだろう。

 でも、そのエリカ姫の役柄は、カラテアに取られてしまった。


「ヴェルトがエリカ姫になれたら、キャメロンで行動不能にできたのにね」

「……あまりやりたくはないがな。性別的に……」


 そうかな? ヴェルトならいけると思ったのだけれど……。

 そんな冗談は置いておくとして。問題はレベッカだ。

 お姉ちゃんと呼ばれたかった。カラテアはそう言っていた。

 レベッカが私のことを慕ってくれているのには気付いていた。けれど、その気持ちに理由があるとは思っていなかった。打ち明けられていたとしても、たぶん気を惹くための世間話程度にしか思わなかったと思う。レベッカは強い人で、自分の憧れる姿を明確に持っている。自分の進む道の正しさを決して疑うことなんてない。そう、思っていた。

 でも、そんな人間いるはずがない。

 暴力的な人を前にして誰かに助けを求めてしまう私のように。

 己の運命だと受け入れていても、苦悩し葛藤してしまうヴェルトのように。

 人はどこかに脆さがある。

 完璧な人間などこの世にはいない。私とレベッカで違ったのは、脆さをうまく隠せるかどうかという、その一点だけなのだ。

 レベッカは常に強い自分でい続けた。それを支え続けていたのが、彼女が軍を目指すきっかけとなった『完全無敗のガルダナイト』だったのだろう。


「絶対助けるよ、ヴェルト!」

「当たり前だ!」

「――ところで、なんだけどさ。なんかいい匂いがしない?」


 私はヴェルトに降ろされてからこっち、ずっと気になっていたことを口に出して聞いた。

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