第157話 カラテアのオニンギョウ その②

「あの国を出たのは私の意志よ。くだらないモラルとルールを重んじることに意味を見いだせなくなってしまってねぇ。……そのおかげでフェアリージャンキーという珍妙な病に出会えたのだけれども。私のやりたかったことは、この廃病院で劇的に近づいたわぁ」


 冷え切った手術室に、ねっとりしたカラテアの声が木霊する。


「何が目的だ? 童話の国の転覆か?」

「冗談。興味ないわぁ、そんなこと。――私は迷える子羊たちに幸福を提供したかっただけ。憧れに近づいたオニンギョウさんたちは、とても幸せそうだったでしょう?」

「幸福だぁ?」

「ふふふ。そう言ったほうが、救われると思わない?」


 どこまで本気なのか。もしかしたら、すべてが嘘と言うこともあり得る。言葉に重みが一切感じられず、カラテアの真意を見つけられない。こんな相手、初めてだ……。


「今あんたが手駒にしたそいつは童話の国の軍隊長だ。ここにはこの国の王女までいる。一言号令をかければ、童話の国の軍隊は一斉にこの病院にやってくるぞ。俺たちに見つかった時点で、お前に未来はない」

「それはどうかしらね。もしそれが出来るなら、こんな少人数で敵陣に攻めては来ないんじゃなくって? 私のことを少しでも調べているなら、一騎当千よりも有象無象の集団の方が有効だって気付くと思うのだけれど? そうしなかった理由が、あるのでしょう。ねぇ、正義感に熱いお兄さん」

「……。はぁ。食えねぇ女だ」


 ヴェルトが大きく肩を落とした。


「さて、どうしようかしら。貴方たちをこのまま葬ってもいいのだけれど、スマートじゃないわぁ。やっぱり三人仲良く私のオニンギョウにするのがいいかしら」

「俺は童話を読む習慣も、そこの軍人さんのように、秘めている何かもないぞ?」

「わ、私もっ!」


 ヴェルトに習って、口から出まかせを表明する。


「……それはないだろ」

「んーっ! ヴェルトが否定しなくてもいいじゃん!」

「ここまで来るのに、どれだけ童話の知識をひけらかして来たと思ってるんだよ」

「ひ、ひけらかしてはないもん! 有効に利用しただけ!」


 この長身男は……。こんな時でも私の敵に回るつもりか!


「いいわねぇ。そういう関係、私は好きよぉ。お兄さんの方はさておいて、王女様の方は……」


 カラテアが身を乗り出してこちらを凝視する。

 短い悲鳴を上げて、私は大きな背中の後ろに身を隠した。


「んふ。とても美味しいものが眠っていそう。安心して。どの童話が自分の根源かわからなくても、私の魔法で気付かせててあげられるから。好きな童話の主人公になりたくなったら、すぐに寝返ってくれていいわよぉ」

「そんな日は来ない!」


 舌を出して威嚇すると、カラテアはまた妖艶に微笑んだ。ゾクリとする。


「じゃあ、そろそろ片付けましょうか。――お姉ちゃん。あの人たちが悪いことをする。私よりも小さな子供に石を投げつけていたんだよ!」


 カラテアが媚びた声でレベッカに言う。


「それは捨て置けんな。わかった。私が出よう」


 レベッカは腰からレイピアを抜き、カラテアを背に隠すように私たちと対峙した。細く研ぎ澄まされた気配が、その切っ先から伝わって来た。


「レベッカ! 目を覚まして!」

「無駄よぉ。一度『インプリンティング』にかかったら、自力では抜け出せないもの。知っているのでしょう? 私の魔法は、感情にバイアスをかけてあげるだけ。本当に望んでいることを、童話と言う枠組みに当てはめて、促進させてあげるだけなの。だから、憧れを持っている人間は、絶対にこの魔法から抜け出すことはできない」

「レベッカぁ!」


 それでも悔しくて、私は声の限り叫んだ。

 童話だってそうじゃん。想いの強さが、奇跡を起こすことだってあるじゃん! どうして今起きないの!

 レベッカのレイピアが上段で輝く。


「――どんな悪でもたちまち成敗! 天呼ぶ地呼ぶ民が呼ぶ! 正義の騎士、ガルダナイト! 今宵も悪を成敗するっ!」


 ずしりと、言葉が重みを増す。

 それは、ガルダナイトが、悪人を懲らしめるための口上だ。姫のナイトであると同時に、正義の象徴であろうとしたガルダナイトが、必ず悪者に向けて告げていた言葉。

 それはすなわち、レベッカの中で本当に私たちが悪だと思われているということだ。


「レベッカぁっ!」

「リリィ! 危ない!」


 肉付きの良い身体が宙を舞ったかと思うと、次の瞬間、レベッカの踵が銀色の弧を描いて空から降って来た。間一髪、ヴェルトの腕が間に合って、服を掠めるにとどまる。

 遅れて届く風を切る音。その轟音は、レベッカの踵落としが、一切手を抜いていない本気の一撃だったことを私に知らしめた。

 足が動かなくなる。

 どうして。どうしてなの。レベッカは、いつも私の姉貴分で、私を守ってくれていたのに。


「リリィ。分が悪い。一旦逃げるぞ」

「えっ! でも、レベッカが!」

「この狭い空間で、リリィを守りながらあいつの攻撃を避けて、カラテア叩くなんてさすがに無理だ。向こうには得体のしれない魔法もある。手の内のバレたキャメロンだけじゃ、手数にもならん」

「でもでもっ!」

「命を取られるわけじゃない。童話の世界を生きている、ただそれだけだ。カラテアだってそこの闇医者失ったんだ。自分の身を護る駒を易々と殺しやしないさ。――っと!」

「……」


 レイピアが空を切り、空気が振動する。ヴェルトの反射神経があってこそ避けられる一撃だ。あの場に私がいたら、叫び声をあげるまもなく突き刺されてしまっているだろう。

 レベッカ……。


「あぁ、もう! ちょっと担ぐぞ!」

「え? え? ちょっと、ヴェルト!」


 視界が百八十度縦に回転して、私は自分が力強い両手で持ち上げられたことを悟った。

 床が近いよ!


「馬鹿ヴェルト! 何やってるの! 離して!」

「こらっ! 悔しいのはわかるけど暴れんな!」


 違う! そう言うことを心配してるんじゃない。

 ヴェルトは、近くに落ちていた足の折れた椅子を投げつけて牽制する。哀れな椅子はレイピアに斬って落とされて無惨に砕け散った。その哀れな姿を見て私は叫んだ。


「待って! その持ち方だと、スカートの中見えちゃうからっ!」

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