第156話 カラテアのオニンギョウ その①

 殺伐とした手術室には、今まさに爆発しそうな緊張感が充満していた。


「レベッカに何をしたの! レモアを返して!」


 私の悲痛な叫びは、けれど相手に何も伝わらなかった。


「血気盛んなお嬢さん。でもそれはお互い様ではなくって? 私も大切なオニンギョウをいくつも壊されちゃったのよぉ。特にあの『歩き真似ヒツジ』の女の子は自信作だったのに。あーあ、テンション下がるわぁ」


 カラテアは近くにあった丸椅子を引き寄せてそこに座る。健康そうな太ももを惜しげもなく露出させて、淫靡に足を組んだ。


「まさか、私の魔法に被せて、ヘンテコな精神干渉系の魔法をぶつけられるなんて思っていなかったわぁ。それだけは私の失策。そこのお嬢さん。面白いものを持っているのねぇ」


 私は咄嗟にキャメロンを両手で隠した。


「うぅーん。隠すことないじゃあない。減るもんじゃないのでしょう? それとも使ったら減るのかしら? 見たところ、意識を刈り取るなんて単純な魔法じゃあないわよねぇ。私のオニンギョウに対してあんな滑稽な大立ち回りをしたからには、きっと面倒な制約があるんでしょう。ねぇ、教えてよ」


 抵抗の意志を込めて怒りの視線をお見舞いしたけれど、効果は虚しく、さらに楽しそうに微笑むだけだった。

 私は敗色を悟って、ヴェルトの後ろに隠れることにした。


「まぁいいわぁ。この子に聞くしぃ」


 細く長い指がレベッカの顎を撫でる。その仕草に背中が寒くなった。

 レベッカは抵抗しない。いつも快活で、口に蓋をしたいくらいお喋りなレベッカが、何も言わずなすが儘にされている。その事実が、とても、怖い。


「ねぇ、あれはなぁに? お姉ちゃん」

「調査済みです、姫。あれは童話の国の秘宝。狙った相手から記憶を奪い取る魔法の道具です。対象は一人のみで、最初に契約した人間の記憶だけを奪い取ることができます。製作者は、童話の国所属の学者、アーバン・レスター」

「へぇー。随分と珍しいものをお持ちなのねぇ、お嬢さん。特定の人物の記憶を奪い取るなんて、尋常じゃないわぁ」

「あの所有者の女性は、童話の国のリリィ王女です。さもありなん」

「レベッカっ!」

「へぇえー」


 カラテアの目の色が変わる。私はさらに小さくなった。

 レベッカがあっさりと私のことをバラすなんてありえない。それに姫って……。それじゃまるで……。


「『完全無敗のガルダナイト』のフェアリージャンキー……」

「あら、さすがはこの国の王女様。教養が行き届いていらっしゃる」


 氷のような視線が私の首筋を貫く。


「でも不遜ね。私のオニンギョウにそんな無粋な名前を付けないで頂戴」


『完全無敗のガルダナイト』の主人公ガルダナイトは、自分が仕える王国のお姫様のことを、『姫』と短く呼んだ。そう呼ばれる人物は、あの童話の中で一人しかいない。そして、姫はガルダナイトのよき友であり、家族であり、厚い信頼に裏打ちされた主従関係だ。ガルダナイトの正義と、姫が目指す未来が一致しているから、あの物語はどんなに苦境に立たされても救いがある。ある種妄信的とも言えた。

 最悪だよ……。よりにもよって、ガルダナイトのフェアリージャンキーなんて……。

 レベッカがカラテアの言いなりになっちゃう!


「どうして! レベッカは童話なんて読まなかったのに!」

「本当にそうかしらぁ? 彼女、とても熱い想いを胸に抱いていたわよぉ。正義を貫きたい。国を守りたい。お姫様を助けたい。眩しくてまっすぐ見つめられないほどのパッションがあったわぁ。……もしかして、王女様。そんなことも知らなかったのかしらぁ」

「……っ」

「胸に秘めた想いさえ打ち明けてもらえないなんて、とても不憫な子。それで自分のナイトだと思っていたなんて、どんな童話にも出てこない悲劇じゃない」


 燃え上がる羞恥の塊。

 そんな私を、低く冷めた声が諫める。


「リリィ。口車に乗せられるなよ。奴の魔法の発動条件が何かわからないが、少なくとも言葉巧みに惑わされたのは事実だ。奴の言葉がトリガーになっているのかもしれない」

「う、うん……」


 小さく頷いて、大きく深呼吸する。

 ヴェルトが慎重に前に出た。


「こっちもあんたを知らずにここまで来たわけじゃない。頭のイカレタ世界魔法を作り出して学問の国を永久追放された魔法使いだろう? フェアリージャンキーを作り出して喜んでいる変わり者らしいじゃないか。せっかく手に入れた魔法も、そんなくだらないことに使っているんじゃ世話ないよな」

「ご挨拶ねぇ。追放されたことを根に持ってこんなことをしていると思っているのかしら?」


 口元を隠して笑う姿が、これほど似合う人物を私は知らない。


「ふふふ、ちゃんちゃらおかしい」

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