第148話 待合室 その①

 一階の探索を終えた私たちは階段を登る。

 割れたガラスを踏みつけながらフロアを上がると、長い廊下が続いている無機質な空間が広がっていた。機能的に最適化された建物の作りが、人工物から人間らしさを奪い取っている。

 私は壁に掛けられていたフロアの案内図を見た。


「二階は、各科の治療室、薬剤室。それに手術室……だって」

「手術室、ねぇ……。なんでフェアリージャンキーを隔離するための施設に手術室が必要だったんだろうな」

「ヴェルト! もう、駄目だって! それ考えないようにしてたのに! 嫌でも想像しちゃうじゃん!」

「なら、知ってそうな人に聞いてみようぜ? なぁ、軍人さん」


 私たちの後方を注視していたレベッカが振り返る。質問の意図を理解して、私に視線を移しとても困った顔をした。


「意地悪な質問をするなぁ……。教養として教え込まれはするけど、積極的に語りたい話じゃないよ?」

「いい! レベッカ言わなくていいから! 私は今日も安眠したいの!」

「だ、そうだよヴェルト君。あたしはリリィちゃんの味方だから、怯え顔も見てみたいけれど我慢するよ。困り顔までで我慢しておく」

「敵しかいない!」


 でも、現実はそういうことなんだろう。ここではフェアリージャンキーになった人を集めて、どうにか治療しようと試みていた。童話から隔離する事しか手段がない、という事実は今でこそわかっているけれど、流行った当時はそれすらも模索しているところだった。外科的な治療を試みるのも自然な話だ。

 理性では理解できる。でも、その先は考えたくない。具体的に何が行われたかなんて……。


「止まれ。また誰かいるぞ」


 ヴェルトの低い声で我に返った。驚いて顔を上げると、待合室と書かれた広い談話スペースのベンチに腰かけた黒い影が見えた。一階と同じように朽ちたベンチやマガジンラックが並ぶその真ん中に、一人の人間が頭を抱えるようにして座っていた。

 近づくにつれてその正体があらわになる。


「あ、偽物のルルベ」


 口走ってから慌てて口を塞ぐ。虚ろな瞳がぎょろりとこちらを睨んできたので、私はヴェルトを盾にするように後ろに隠れた。

 一階の診察室で会った、気取った青年がそこでうなだれていた。


「来てしまったか……」


 意味ありげに呟いて、ふらりと立ち上がる。線が細く針金細工みたいな体躯が揺れて、私たちの前に立ちはだかった。

 ルルベは常に自信たっぷりだったが、たまにダウナーになっていることがある。背負っているものが重すぎて、押しつぶされるシーンでよく見る雰囲気だ。


「私は忠告したんだ。いつでも殺せる、とね。それをのこのこ私の前にやって来て。もう一度言わせてもらおう。君たちは馬鹿だねぇ!」


 人差し指を突き刺して見下したように笑うルルベの姿は、完全に悪役のそれだった。しかも、主人公の強さを誇示するための端役の様な。

 やっぱり違う、ルルベはもっと用意周到で、勝ち誇るのは戦略で裏をかいて相手の愚かさを思い知らせる時だけだ。


「さっきは見逃してくれたじゃん。今度も見逃してよー」


 気の抜けた口調でレベッカが言う。


「あたしたちは急いでるの。ね? もし協力してくれるんなら、あとで、その復讐にも加担してあげるし!」

「ちょっと、レベッカ」

「いいじゃん。どうせカラテア倒せば魔法も解けるんだし」


 それはそうかもしれないけれど。復讐に手を貸すというフレーズが、なんだか後ろめたいのだ。


「勘違いしているようだね。私は、君たちを殺すためにここで待っていたんだ。この念じるだけで人を殺せる力でね。わかっているかい? 君たちの命運は今、私の掌の上なんだよ。あぁ! 脳筋だからわからないかぁ! あっはっはぁ」

「まったく、いちいち癇に障る話し方をする奴だなぁ」

「ねぇ。ミヨ婆、フェアリージャンキーになったからその童話の主人公が使っていた特殊能力を使えるなんてことは……」

「ないね」


 念のために確認するも、ミヨ婆は即答した。


「ないんだ」

「人を殺すなんて魔法を実現するのに、いったいどれだけの研究と修練がかかると思っているんだい、王女様。カラテアの進化した感応魔法のように、用途を極限まで絞って、膨大な魔力を駆使して、自らもリスクを負って、それでようやくなしえるかもしれないってところさね。そこら辺の青年が精神錯乱したぐらいで使える代物じゃあないさね」


 そうだろうなとは思っていたけれど、改めて言われると安堵が胸に落ちる。


「第一、魔法は学問の国の人間でも魔力適正のある人間じゃないと使えないんだよ。この国の住人にはその素養がない。これっぽっちもねぇ」

「それで私を馬鹿にしているつもりかい? ハン。笑っちゃううよね、全くさぁ」


 肩をすくめる仕草をして、偽ルルベは息を吐き出した。


「どうして邪魔をするの?」


 答えを期待してはいなかったけれど、私は哀れな被害者に問いかける。


「私たちは、ルルベを狙う退治屋でも、ルルベを利用しようとしているお客でもないんだよ?」

「そりゃあ事情が変わったからさ。『先生』が言うんだよ。ここに上がってくる三人組は社会の敵だってね。『先生』が言うのだから仕方ないってもんさ」

「『先生』……」


 その名はルルベの物語に出てこなかった単語だ。

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