第147話 リハビリテーション その②

「――嫌がっているだろう。その辺にしといてやりな、婆さん」


 ほんのり煙草の匂いが漂ってきた。


「俺ぁレディの泣き顔って奴が、この世で一番嫌いなんだよ」


 聞いてもないのに、声は続ける。

 ガロンよりも渋く、年の取り方に成功したような安定した声色。振り向くと、往年のガンマンを思わせる濃い顔のおじさんが、窓の外の曇り空を哀愁たっぷりに見上げていた。

 黒いコートに黒いネクタイ。髪はべったりオールバック。帽子からはみ出したくせっ毛が、首元で鳥の巣を作っている。口には煙草、左手には実験で使うフラスコを持ち、人生という名の大海原に思いを馳せてでもいるかのようだ。

 また変な人が出て来たよ……。


「ヘイ、レディ。怪我はなかったか?」

「う、うん。おじさんは、誰?」

「ん? 俺か? ――すぅー、はぁー」

「……」


 伊達ガラスのような中年は、私の質問にたっぷり時間を取り、その間に煙草の煙を吸い込んで、そして勿体つけて吐き出した。再び割れた窓の外に視線を投げながら言う。


「殺し屋は名乗る名前を持ち合わせちゃあいないんだ。すまんな、レディ」

「……」


 殺し屋さんは、残念そうな表情を帽子で隠した。

 殺し屋なのに殺し屋をばらしちゃうの!? そこは隠すところなのではっ!?

 なんて、ツッコミも煙草の煙に巻かれてしまうのだろう。

 殺し屋、殺し屋……。えっと、これだけ個性的なキャラなら名前が分からなくても……。


「……すぅー、はぁー。……俺の標的は畏怖を込めてこう呼ぶ」

「え?」

「『ダンディライオン』。――殺し屋とは最も気高く、孤高でなければならない。……そう、荒野に一輪咲く、あの美しい花のように……。すぅー、はぁー」


 思い出すまでもなかった。本人が語ってくれた。

 このくどいまでのダンディズムは、一度読んだら忘れられるはずがない。殺し屋童話、『ダンディライオン』だ。

 喪服のように黒い衣装に身を包み、街の諸悪を闇へと葬り去る謎の殺し屋。情でしか仕事をしないけれど、受けた仕事は必ずやり遂げる、社会派ヒューマンドラマの主人公。かつては一世を風靡した時代もあったようだけれど、私が物心ついてからは化石と化していた。雰囲気も暑苦しく男臭いため、一部の熱狂的なファンを除いて、手に取る人も少ない。

 私が読んだことがあるのは、お父様の書棚にあったからに過ぎない。お父様はアレで、こういう物語が好きだ。


「レディに血塗られたこっち側の世界は似合わないぜ? 早く日の当たる場所に帰んな」

「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもら……」

「いいや、礼なんていらねぇよ。早く行け。そして忘れちまいな。……この瓶に残る最後の一滴のように、出会いってのは儚く切ないもんだぜ……すぅー、はぁー」


 本当に酔っているなぁ。お酒じゃなくて、自分に。

 私は奇妙な場末の裏通りと化してしまった空間から、ヴェルトたちの元へと逃げ帰った。


「ところで婆さん。仕事だぜ。調べてほしい奴がいる」

「お若いの、未来が見たくないかね?」

「あぁ。とんでもない上玉だぜ。街のネオンがくすんで見えちまうくらいのな」

「見たところ悩みを抱えているようだねぇ。それは人間関係の悩みかもしれない」

「話が早いじゃねぇか。調べてほしい人間がいる。……なに? 後ろめたい話じゃないかって? おいおい。俺を誰だと思ってるんだい? 『ダンディライオン』。この名を聞けば理由なんて十分だろ?」


 ダンディライオンは壁に背を預けて、新しい煙草を取り出した。火をつけて息を吐き出すと、占い老婆との会話を始める。ちょっとぎこちないけれど、会話が成立していることに、私はびっくりした。


「ね、ね! これは凄いよ! 『カルマ』と『ダンディライオン』のコラボ! まさか世界を超えて現実で実現するなんて思わなかったよ! 私は歴史的瞬間に立ち会っているのかもしれない!」

「どう見ても、そんな興奮するような場面じゃないだろ、アレ」


 なおも絶妙にかみ合わない会話を続ける二人。お互いに自分の世界にどっぷりと嵌っていて、その違和感には気付いていないようである。実に幸せそうだ。


「もしかしたら新しい物語がここから生まれるかも……!」


 そう思うと少しだけ名残惜しさがある。全く別の物語の主人公がぶつかることで、作者も思いつかなかったビッグバンが生まれることだってきっとある。


「続きは気になるけど、あたしたちは先を急がないとだよ。リリィちゃん」

「……うん。わかってる。ちょっと童話心を刺激されただけ……」


 レベッカに急かされて、私たちはリハビリテーションを後にする。

 カルマもダンディライオンも主人公であることを誇りに思っている。活き活きしている。自分の世界に浸っているその表情が、私の胸に強く残った。

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