第139話 受付 その①

 どんよりと重く垂れ下がった雲の下、寒々しい木々の森が広がっている。

 梢の街の朽ちた西門で馬車を降りた私たちは、寂れた風景を横目に門をくぐって街の外へと踏み出した。緩やかな勾配の丘を黙々と登ると、おどろおどろしい廃病院が姿を現す。

 施設を囲う背の高い壁と逃走を拒む有刺鉄線。ブロックはところどころ欠けていて、塗装が残っている部分は稀である。建物の窓ガラスは見事にすべて嵌っておらず、森から忍び寄る自然の脅威に飲み込まれている部分もあった。


「ここが……」


 見上げたヴェルトからも声を奪い取る。

 フェアリージャンキー隔離病棟。

 十年前、悲運の患者の多くが収容され、幸せを剥奪されて更生させられた、業の深い施設……。


「いーっひっひっひ! こいつは雰囲気があるじゃあないか、王女様!」

「ちょっ! ホント、びび……驚くからっ! いきなり不吉な笑い声上げないで!」


 ミヨ婆の笑い声は本当に心臓に悪い! 私はいつもガロンにやるように、こつんとキャメロンを叩いた。


「ひーひっひひひ。これが笑わずにいられるものかい。たまげたたまげた。まいっちゃうねぇ、全くさぁ」

「な、何がたまげたの?」

「魔法の密度だよ、リリィ王女」

「密度?」


 私は首をかしげた。

 物々しい雰囲気は五感全てで感じ取れるけれど、魔法の密度と言われても回答に困る。そんなもの童話の中でしか聞いたことがない。


「ヴェルトも軍人さんも感じないかね? 幸せなことだねぇ。――リリィ王女や、ここに近づいた時、ガロンの魂がおかしなことになったりしなかったかね?」

「あっ! なった! そうなの! ここに近づいたら急に途切れ途切れになって黙っちゃった! 叩いても復活しないし、どうしたんだろうって、心配になってた!」


 あの時は一人だったし、ここに何があるかも知らなかったから怖くてたまらなかった。レモアを追いかけるという使命がなければすぐにでも引き返していた。

 あれはここにカラテアがいたからだったのか


「おそらくカラテアの魔法と相性が悪いんだろうね。今も通信が途切れそうになったから、少し威力を強めたよ。気を抜いたら消し飛ばされてしまいそうだ。街の孤児院でもジワリと感じてはいたけれど、ここは特に酷い」


 孤児院に居てもたまにガロンが意識を飛ばしていたのもそう言うこと? 夜の方が魔法が強くなるって言っていたのに夜にばかり意識が飛んでいたのは、カラテアの魔法がより強大になってジャミングされていたということか。なるほど、納得できる。


「あんたは大丈夫なのかよ」

「こいつは珍しい。ヴェルトがあたしを心配するのかい?」

「優秀なナビゲーターを失うのは痛いからな」

「あたしゃ大丈夫だよ。あんなひよっこに負けるようなやわじゃないさね」


 廃病院の屋上にはカラスが何羽も止まっていた。白い病院と白い雲、そこに汚点のように転々とするカラスの姿も実に不吉だ。


「さ、見ていても仕方ない! 進もう」


 レベッカの号令で、私たちは魔窟への一歩を踏み出した。

 人の手から離れて十年。かつてそこで生きていた人がいるからこそ、朽ちてしまった病院には目を覆いたくなるような哀愁が漂っている。

 私は砂利道に薄い影を落とす建物を見上げて思った。

 まるで時間や自然に人間が負けた象徴のようだ、と……。




『受付』

 在りし日は悩み多き患者たちを受け入れていた病院の窓口は、強い人間臭さが残ったまま当時の面影を残していた。

 調査隊一行はレベッカを先頭にして荒れた室内に土足で踏み込む。

 カウンターの向こうに視線を向ければ、錆びついた戸棚に当時来院していた人間のファイルが並んでいるのが見て取れた。カウンターには小さなカードを入れる箱と、症状を記入するための問診票。壁には日に焼けた時計のあとが残っているが、当の時計は地面に落ちて文字盤が歪んでいた。もちろん針はもう動いていない。

 受付の正面、だだっ広い空間には、穴の開いたベンチが並んでいる。待合室だったのだろう。壊れたラックに、朽ちてバラバラになった雑誌の切れ端が引っかかっている。ベンチの角には、癒しを求めておかれた植木鉢が、宿主を失ったまま放置されていた。

 待合室の隅にはキッズスペースもあったようだ。靴を脱いで遊び回れるように整えられたマットも、窓から這い寄って来た植物の苗床に姿を変えていた。最後の日に片付けられずに放置された積み木やぬいぐるみが当時のまま転がっている。

 見ているとなんだか泣きたくなるのはなんでだろう。


「うわぁ……。あたし、こういうところ苦手かも」


 レベッカはぶるぶると震える肩を両腕抱いた。


「こんなところに住みついているなんて、正気の沙汰じゃないわー」


 私も頷く。無意識に右手でヴェルトの袖を掴んでいて、思い出したように手を離した。

 ヴェルトに気付かれたけれど、特に何も言ってこなかった。


「ひとまず、この入り口に人の気配はなし。――ねぇ、ミヨ婆さん。早速だけどカラテアの魔法について教えてよ」


 レベッカが先行して、待合スペースの死角を暴いていく。受付のカウンターの向こう側、不自然に置かれた掃除用具を入れるロッカー、ひっくり返ったベンチの後ろ、扉の影……。

 そうして大きく息を吐き出した。


「あたしが調べたことを及第点と言ったのだから、それ以上の情報をお持ちなのでしょう?」

「そうさね。知っていることは共有するよ」


 注目を集めて、ミヨ婆は語り始めた。

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