第九章 西の果てのカラテア

第136話 とある軍人の回想

 幼い頃は力が弱くて、年上の男の子たちにいじめめられていた。


 男の子というものは大変野蛮な生き物で、弱いものを見つけると自分の力を誇示したがる。

 その暴力の対象は気分次第で簡単に変わる。お金持ちの家の子供だったり、道で日向ぼっこしているだけの猫だったり、そして、力が弱いくせに意地っ張りな少女だったりする。

 あたしは無慈悲にやられることがこの上なく悔しくて、何度も何度も男の子に反発した。

 泣きながら手を振り回して、

 蹴り飛ばされても立ち上がって、

 髪を引っ張って、

 お腹を殴られて、

 それでも立ち向かった。

 それは一種の意地だったのかもしれないけれど、でも、やっぱり弱いものがいじめられている光景に耐えられなかったんだと思う。

 結果はいつも惨敗。涙が枯れるまで泣き喚いて、大人が間に介入することで理不尽な暴力から解放される。小さな安堵の後に来るのは決まって大きすぎる屈辱感だった。

 女だから負ける。

 年下だから負ける。

 体格に差があるから負ける。

 どれを取ってみたところで覆せるわけもなく、だからこそ、悔しくて泣いた。

 悔しくて、悔しくて、ずっと泣いていた。


『完全無敗のガルダナイト』という童話に出会ったのは、来る日も来る日も負け戦をし、その都度傷ついて、傷だらけの毎日を過ごしていたころだ。

 その日も空き地の使用権を巡って男の子たちに負けた。ゆっくり高度を落とすお日様を生い茂る緑の狭間から見上げながら、あたしは引っ掻かれた頬を抑えて、涙を必死にこらえていた。

 そんなあたしに、一人の老婆が声を掛ける。


「こんにちは。お嬢さん。お名前は?」

「……? お婆さん、誰?」

「私はほらこの通り。童話売りのしがないお婆さんだよ」


 そのころ住んでいた町には、童話の移動販売の馬車が定期的にやって来た。荷台は動けばゴトゴト音が鳴る様な年代物で、荷台を引く馬も前髪が垂れて疲れた目をしていた。運ばれて来る童話は、風に乗って聞こえ来る童話の国の流行モノではなく、日焼けしたり破れたりした昔のものばかりだった。

 老婆はしわくちゃになった手で、馬と行商の屋台を見せてくれる。


「そうなの……。じゃああたしは、この町の弱い人を守る正義の味方」


 口にして少し悲しくなった。正義の味方が聞いて呆れる。

 老婆は気にせず続けた。


「正義の味方のお嬢さん。文字は読めるかい?」

「……難しくなければ」

「ならよかった。お嬢さんにぴったりの童話があってね」


 お婆さんは馬車に戻ると、荷台から数冊の童話を持って来た。比較的新しいもののようだけれど、保存状態がいいとは言えなかった。

 日焼けした表紙では、仮面とマントを身に着けた騎士が、お姫様らしい女性を背に守りながら細身の剣を構えている。

 タイトルは、『完全無敗のガルダナイト』。

 表紙やタイトルからして、最近男の子たちの間で流行っているという悪者を倒して世界を救うタイプの物語のようだ。

 差し出された童話を見つめてあたしは言う。


「……こういうの、嫌い」

「あら? どうしてだい?」

「だって、男の子たちにとって、あたしが悪者なんだもん。歯向かってくるあたしが悪くて、それを倒すことが正義だって言うの。あたしは他の子が虐められないように守っているだけなのに。あたしが負けると、今日も悪をやっつけたって喜ぶの……。嫌い……」

「なら余計にぴったりよ」


 お婆さんは少し離れた木陰を指差す。


「さっきからちらちらあなたのことを見ている子供たちがいるわ。男の子たちが遊びに来るまで空き地で遊んでいた子たちね。あなたが庇ってやられるのを見ていられなくて逃げちゃったみたいだけど、気になって戻って来たようよ」


 顔を上げると、慌てて隠れる二人の女の子の姿があった。あたしよりも幼くて、小さなレジャーシートを広げておままごとをしていた子どもたち。


「あの子たちは傷つかなかった。あなたはそのことをどう思う?」

「……。よかったよ。そのために戦ったんだからね」


 負けちゃったけど、と心の中で自嘲する。


「それが正義。お嬢さんは、お嬢さんの正義に従って守ったんじゃない。こんなところで不貞腐れているのは違うと思うよ」

「男の子たちには、勝てなかった」

「何が勝ちなのか、それを見失ってはいけないわ。この童話はね、きっとそれを教えてくれる。もちろん強ければそれに越したことはない。でも、あなたが正義だと信じるものを見失わないなら、どんな戦いもあなたの勝ち」

「どんな戦いも、あたしの勝ち?」

「そう。あなたの戦いが間違っていないってことを教えてくれるわ」


 お婆さんはもう一度、あたしの方にその童話を差し出した。

 今度は自然に手が伸びて受け取ってしまう。


 ……きっと、この瞬間にあたしの人生が決まったのだと思う。


 今思い返したら、ドラマチックな出会いだった。だって、お婆さんが言うように、あたしはその童話に夢中になってしまったんだから。

 王国に蔓延る諸悪を、颯爽と登場してねじ伏せていくガルダナイト。万引きのような小さな犯罪から、国家を揺るがしかねないクーデターまで、ガルダナイトの活躍は常に胸が躍った。時には諭し、時には懲らしめ、荒廃しつつあった王国を世直ししていく。その理念や正義感にあたしは強く共感した。

 今のあたしには結果的に負けたように見えることもある。でも、あたしが守りたいと思うたった一つのことさえ守り切れれば、それはあたしの勝ちだ。

 それからもあたしは喧嘩に負け続けた。けれどあたしの意志は決して折れることはない。いつしか、引き分けることが多くなり、そして勝ち越すようになった。身体も大きくなり、力もついた。隣町の道場に通って剣を覚えた。

 ガルダナイトも昔はか弱かったことを続刊で知って、さらに惚れ込んだ。

 憧れは夢へ。夢は目標へ。


「ほっほっほ。この老兵に膝をつかせるとは。よもやその才、認めねば知将の名折れとそしられましょうぞ」

「はっ……はっ……。よく喋る爺さんだよ、まったく……。あたしゃ、大の字に寝っ転がって手も動かせないってのにさ」


 童話城の中庭で、地面の冷たさを味わいながらあたしは、よく晴れた空を見上げてその声を聴いた。


「童話王。不肖このグスタフ、恐れながら進言致します。この者の才を野に放っておくのは大変に惜しい。異例の措置となりますが、我が童話の国の軍隊に召し上げてはいただけないでしょうか?」

「うむ。グスタフの目ならば確かであろう。是非もなし」


 鷹揚な童話王の言葉を聞いて涙が溢れた。

 あぁ、やったんだ、あたし。

 国を守る憧れの存在。その一歩を、自分の力で勝ち取った。

 再び開いた視界に、あどけない顔立ちの女の子が映った。


「大丈夫?」


 太陽を背にした小さな体が、心配そうに覆いかぶさっていた。


「あのね。グスタフはちょっとやり過ぎちゃうところがあるの。私をからかう時もね、いつもそうなんだよ。意地悪なの。たまに悪魔なんじゃないかって思う時もあるよ。だから、元気出してね」

「おや、リリィお嬢様。これは耳が痛いですな。この老いぼれの愛の鞭をそのように曲解なされていたとは……」

「もう! 女の人なんだよ! ちょっとは手加減するべき!」

「……」


 庇ってくれるその姿がとても凛々しかった。

 見ず知らずのあたしなんかにすり寄って来てくれて、その上身を案じてくれる。きっとのこの子は暖かな家庭で育ったんだろう。

 それが実は童話王の娘のリリィ王女だと知ったのは、怪我の手当てを終えた後だったけれど。その事実を知って、また胸の中が暖かくなった。

 リリィちゃん。リリィちゃん。リリィちゃん。

 ガルダナイトには絶対に守り抜きたいと誓うお姫様がいた。政力争いに固執する複雑な兄弟関係の中、姫が唯一家族と慕うのがガルダナイトだった。

 あたしにとってのお姫様はリリィちゃん。

 二年前の図鑑の国の事件を体験してしまったからこそ、巻き込まれてしまったからこそ、止められなかったからこそ、今度はあなたの剣であり続けたい。

 幼い頃憧れたガルダナイトのように、家族のように慕われて、愛情を注がれて、そしてあなたのために戦いたい。

 それがあたしの正義。

 押し付けるつもりはないけれど、もし想いが通じるならば。

 あたしのことを家族のように呼んでほしい。

 お姉ちゃんって。

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