第135話 敵

「階段? ここに誰か来るのか?」

「ひっひっひ……。あたしゃ一旦お暇させてもらうよ」

「ちょ、……ミヨ婆!」


 ぷつりと糸を引っ張ったような音を残して、ミヨ婆の声が止んだ。行先を失った私たちの焦りは、一瞬生まれた静寂に呑まれてしまう。

 階段を登り切った足音はまっすぐ廊下を歩いて来る。私たちは声を殺して訪問者を待った。

 ノックが二回。聞こえた声は、


「リリィちゃん、いる?」

「……レベッカ?」


 私のよく知る人物のものだった。

 私が返事を返すと、遠慮がちに扉が開く。

 隙間から現れたのは童話の国の軍隊長。私の頼れる姉貴分、レベッカだ。普段なら全速力で近づいて来て通り魔的にハグを求める彼女だけれど、今日はどこかしおらしい。


「この前の謝罪をしに来たんだよ。――ごめん! 任せとけって言っておいて、彼女、こんなことになっちゃって!」


 深々と頭を下げるレベッカ。トレードマークのポニーテールが、首から垂れて揺れた。


「これじゃ国を守る軍人失格だ。王女の願い一つ叶えられないなんて!」

「い、いや、そんなことで頭下げないで。そもそもレモアはあの日、無事に帰ってきたわけだし、私は今回の件、レベッカのせいだなんて思ったことは一度もないよ」


 レベッカが謝ることはない。責任を感じることもない。私がお願いしたのは、レモアをあの病院から連れ帰ってほしいってことだけなのだから。


「それなんだけどさ」


 顔を上げたレベッカは、恥ずかしそうに頬をかいた。


「実はあたし、あの廃病院に入っていないんだ。入ろうと辺りを調べているうちに、その子、レモアちゃんが一人で出てきたの。とても楽しそうで、声を掛けるのも憚られた。街の中心地に戻るまで見届けて、リリィちゃんからの依頼を完了したことにしちゃった」


 レベッカは目を伏したまま懺悔する。

 きっとその後、レモアは洋服店へと赴き、ヴェルトの服を仕立ててもらったのだろう。私がポラーノ氏の書斎にこもっている間に戻って来て、ヴェルトを椅子の足で殴り気絶させて、惨劇の準備が整った。

 握った拳に力を込めて、レベッカに問う。


「ねぇ、レベッカ。あの廃病院には誰がいるの?」

「――! こいつは驚いた。あたしから話す前に『誰が』ときたか。鋭いねぇ。おねーさんはリリィちゃんの将来が楽しみだよ」

「ほら、茶化さない」


 腰に手を当てて眉を曲げると、レベッカは参ったというように両手を上げた。


「あたしの秘密の任務ってのはさ、あの廃病院を調べることだったんだ。童話王の、リリィちゃんのお父さんの勅命でね。梢の街ではここ最近、錯乱した人間の目撃情報が後を絶たない。知ってるかな? そのすべてに共通して童話が絡んでいるんだよ。自分を童話の主人公と語る人たちが、店のものを盗んだり、いきなり変な商売を始めたり、出掛けたっ切り帰って来なくなったりしている。――フェアリージャンキー。そう結論付けて、誤解はない」


 レベッカは一息入れて続ける。


「フェアリージャンキーって病は童話王が根絶やしにしたはずだったの。あらゆる手を尽くして、多少乱暴なこともして、ね。そのおかげで童話を愛するこの国は童話を嫌いにならずに済んだ。――だから、再び発症例が見つかったことに危機感を覚えた」


 フェアリージャンキーの症例が見つかったとなれば街は混乱するかもしれない。そう危惧したお父様は、すぐに動かせる人間としてレベッカをここ梢の街に向かわせた。そういう作戦が、私の知らないところで動いていたらしい。


「そして、一人の人物に行き着いた」


 声のトーンを落としてレベッカが言う。


「被害者からは『先生』と呼ばれている存在。そいつが、あの廃病院を占拠して、フェアリージャンキーを大量生産している」

「『先生』……」


 レモアがずっと口にしていた正体不明の人物。

 私が『先生』をマムのことだと思い込まなかったら、レモアはこんなことにはならなかったかもしれない。キャメロンを使わずに済んだのかもしれない。そう思うと悔しくてたまらない。


「ホントはさ、この事件にリリィちゃんを関わらせたくはなかったんだよね。あの病院の前でも、一人で走り出しちゃうんじゃないかと思って、ちょっと怖かった」

「……それは、ごめんなさい」


 あの時は必死だった。レベッカの信頼を裏切ってでも、レモアを助けに行きたかった。

 レベッカは、まったく大した度胸だよと言って乾いた笑い声をあげる。


「でも、もう関わっちゃった。止めても今度こそ突っ走るでしょ? おねーさんはわかってるんだからね」

「うん。そこにレモアをフェアリージャンキーに仕立てた誰かがいるんなら、私が行って止めて来る。レモアの為だけじゃない。童話の国の王女として、一人の国民として、私はその行為が許せないの」

「うんうん。わかってるわかってる。だからもう、止めやしないよ」


 私を見るレベッカは真剣だった。

 レベッカはいつも私を年の離れた子供として見ていた。私はその距離感が嬉しかったし、甘えていたところもある。でも今、私たちは対等だ。レベッカの目はそう語っていた。


「まぁね、なんていうか、どちらかというと、今日はお願いしに来たわけだしね。リリィちゃんと、そこのガタイのいいお兄さんに。取り繕ってもいられないのよ、あたしも」


 レベッカは部屋の隅で成り行きを見守っていたヴェルトに振る。


「あたしはこれからあの廃病院を制圧しに行く。童話の国という旗を掲げてね。ヴェルトくん、リリィちゃん。あたしに協力してくれないかな。この通り、お願いします」


 私はヴェルトの方を見た。ヴェルトも私を見ている。決定権は私にあると、その目は語っていた。一つ小さく頷き返して、私は首を垂れるレベッカに語り掛ける。


「いいよ。レベッカ。もともとそのつもりだったし、私たちにとっても人数がいた方がいい。レベッカなら大歓迎だよ」

「そう言うことだ。こいつの頑固さは磨きがかかってるぞ。甘く見てると痛い目見る。懐柔した方がよっぽど楽だ」

「ちょっと、それどういう意味!」


 頬を膨らませると、からかったようにヴェルトは微笑んだ。


「二人とも。感謝するよ!」

「礼は全て終わってからにしようぜ。まずは教えてくれよ。今から会いに行く相手のことをさ」


 レベッカは、一度小さく頷くと、深呼吸して息を整えた。


「あのフェアリージャンキー隔離病棟を根城にしているのはね、学問の国の魔法使い。それも、童話城にいるような学者さんとは桁違いに優秀な大魔法使い。かつて夕暮の群青と呼ばれ、学問の国を永久追放された厄介者。――名はカラテア。フェアリージャンキーを人為的に作り出す実験を行っているクソ野郎だよ!」


梢の街のレモア 了

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