第132話 眠り続けるレモア
レモアの暴走事件から三日が経った。
梢の街はすっかり秋めいて来て、石畳の通りに並ぶ街路樹は早々に衣替えの準備を始めている。孤児院には平穏が戻って来て、一時は中止になっていたマムの授業も昨日から再開された。
真面目で素直な子供たちはそれを喜んでいたけれど、バート帝国の悪ガキ集団は、臨時でもらえた自由が理不尽に終了したことに対して不満を口にしていた。それでも授業には出て来ているあたり、憎めない可愛らしさがある。
一件落着。嵐は去り、これまで通りの平和な日々が戻ってきたかのように見えた。
たった一人、レモアを除いて……。
事件から三日経った今でも、レモアは目を覚まさない。私がキャメロンのボタンを押したあの時から、ずっと眠り続けたままだ。まるで、レモアの時間だけ止まってしまったように……。
ヴェルトとの思い出と一緒に、彼女の魂も一緒に抜き出してしまったのではないか?
眠るレモアの傍らで手を握りながら、私は罪悪感に押し潰されそうになる。
「リリィさんのせいではないですよ。きっと、レモアは闘っているんです」
授業の合間にレモアのお見舞いに来たマムが優しい口調で言う。
「闘っている?」
「自分の行いと向き合っているんです。レモアはヴェルトさんに酷いことをしようとしました。それが正しかったのか、自分に問うているのです。理解とは己と対峙する事、成長とは己を受け入れる事。ポラーノさんがいつも口癖のように言っていました」
「それ、知ってる。『南を向く風見鶏』の有名な一節だよ」
ポラーノ氏の処女作である『南を向く風見鶏』。海辺の町で育った少年が、海の向こうを目指す物語。子供の成長が色濃く描かれている。マムに言われて、今のレモアの姿を、その少年に当てはめてみた。
「レモアは強い子です。必ず目を覚まします」
マムの言葉は私の懺悔を許してくれるように聞こえた。きっとマムにそんなつもりはないんだと思う。それでもそう感じたのは、私がどこかで許しを求めているからなのかもしれない。
午後が始まる気だるい時間、マムはまた授業に戻ると言って階下へと降りていった。私はそのまま、レモアのベッドに突っ伏する。
何故レモアが目を覚まさないのか。
私はこの三日間、ずっとそればかりを考えた。
これまで、キャメロンによって記憶を奪われた人が目を覚まさないなんてことはなかった。出発の時にグスタフが言っていた通り、ヴェルトに関連する記憶だけが丸っとなくなる。私はその現場を幾度となく見て来たし、その辛さをヴェルトと一緒に感じて来た。
失った部分については人によって差はあるけれど、補完が行われたり、曖昧なまま薄められたりする。たぶんこれは、魔法の効力なのではなくて、人の頭が精神を守るために行うプロテクトとなのだと思う。辻褄が合わなかったから辻褄が合うような物語を補完する。そこには失った本人の願望も含まれていて、急激な喪失感を和らげる一種の麻薬の様な役割を果たしているんだと、私たちは結論付けていた。
確かに、レモアが失った思い出は計り知れないほど大きい。レモアはヴェルトに依存していたし、生きる指針にヴェルトがあった。寝ても覚めてもヴェルトのことを考えていて、最後はヴェルトになろうとまでした。補完できるだけの材料がなく、さりとて曖昧にごまかすにも空いた穴が大きすぎる。処理できなくなったレモアの精神が守るために意識を手放した。
しっくりくるような気もするし、こないような気もする。
考えは堂々巡りを繰り返し、でも、とか、いや、とか否定の言葉ばかりが浮かんでくる。結局こうやって頭を抱えて思考停止に陥ってしまう。マムの授業だって、せっかく再開してくれたのに、私は一度も出席できずにいた。
コトリと音がして顔を上げると、枕元のキャビネットに湯気を立てるマグカップが置かれている。
「また、悩んでるな。ポンコツ王女の癖に」
「ポンコツ言うな。ポンコツかもしれないけど、でも、考えてないとどうしようもなくて」
「ほれ、ホットミルクだ。飲んで一息入れろ」
「……うん」
マグカップを両手で包むと、直に暖かさが伝わって来た。温かさを感じて初めて、私は自分の手の冷たさを実感した。唇を付けて少し口に含むと、言いようのない安心感が胸に落ちていく。
ヴェルトはあの日からも変わりない。自分の大切なモノが無事だったことへの感謝はもらったけれど、キャメロンを投げつけたことに対しては謝罪を求められた。私は少なくない理不尽を抱えつつも頭を下げた。
マムと違って、ヴェルトはレモアが目を覚まさない理由を知っている。ヴェルトを救うために使ったキャメロンの魔法。仕方なかったとか、お前は悪くないとか、そういう甘い言葉をかけてほしい自分に気付いて、たまに嫌になる。
「調子はどうだ?」
「変わらないよ。ずっと眠ったまま。気持ちよさそうな寝顔だけが救いだよね」
「違うって。俺が聞いたのはお前の調子だ」
「私?」
思わず聞き返してしまう。
「まともにベッドに寝てないだろ。目の下のクマが酷いぞ。王女としてそりゃ失格だ」
「疲れてなんてないもん」
私は両手の袖で強く目元を擦った。それで目元のクマが消えるわけではないけれど。
ヴェルトは自分の分のマグカップを持ったまま、開いている木製の丸い椅子に腰かけて足を組んだ。
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