第131話 2人のヴェルト その③

 でも、やらなくちゃ。

 手が強張ってしまって指が思うように動かない。握りしめたキャメロンがこの世のどんなものよりも重く感じた。刹那が無限にも引き延ばされたように感じて、私はようやく震える唇を開くことができた。


「……ヴェルト」


 口にした途端、また悔しくて涙が溢れた。

 今のレモアをヴェルトと呼びたくなんてない。


「ヴェルト! こっち向いて!」

「あぁ?」


 レモアの動きが止まる。反応した。畳みかける。負けちゃだめだ。


「ヴェルト! こっち向いて! 見てほしいものがあるの」

「なんだよ。後じゃだめか?」

「今だよ。今がいい。今じゃないとダメ。もしこっちを見なかったら、ヴェルトは一生後悔するよ?」

「しつこいぞ、リリィ。今はやらなきゃいけないことがあるって……」

「私、困ってる。ヴェルトはさ、困っている人、放っておけないでしょ?」

「……。仕方ねぇな。少しだけだぞ」


 レモアは、首の後ろに手を当てながら、さも億劫だとアピールするようにこちらを向いた。

 やっぱりさ。そういうところなんだよね。レモアがヴェルトに惹かれたところは。誰にでも優しくて、困っている人を放ってはおけないところ。知ってる。だって、魅力的だもん。

 こんなことがなかったら、あの続きを。

 あの恋バナの続きを、したかったなぁ……。

 レンズ越しにレモアの顔を睨みつける。


「あぁ? なんだその変なもんは?」

「あなたはレモア。梢の街のレモア。ヴェルトじゃないよっ!」


 ボタンに掛けた指に力が入る。そして。


 カシャリ。


 レモアの想いを奪い取るには余りにも軽く、とても儚い音がした。


「……」


 静まり返った空気が耳に痛い。

 私の喉はひりついてしまって、声を上げて泣くこともできなかった。

 様々な人間模様をその魔法の毒牙に掛けて来たけれど、今回が一番報われない。二人が傷つくことはなかったけれど、奪い取られた思い出は、童話の原石にはなりえない。

 ポラーノ氏の童話をなぞったストーリー。共感を得られない主人公の想い。挙句の果てにエンディングにはたどり着けない。駄作もいい所だ。

 ……どこかで間違っちゃったのかな。

 今まで奪ってきた記憶たちはしっかりとした落ちのあるストーリーになった。だから、誰かの想いも童話の国のためになった。胸をチクリと刺した針も、国のためという大義名分があったからこそ乗り越えられた。


「ごめんね、レモア」


 私の口からこぼれた言葉は、小さく弱く、震えていた。


「ごめん。ごめんね。私は、ハッピーエンドにもっていくことができなかった」


 放心していたレモアの目から生気が抜けていく。自我を失ったレモアが倒れてしまわないようにギュッと抱きしめて、口には出さないごめんを繰り返し呟いた。

 短く切りそろえられた後ろ髪がチクチクと頬を突く。それでもやめられず、私はしばらくの間、目を閉じて、力の限りレモアを抱きしめた。




 レモアは眠ってしまったようだ。短い吐息が聞こえてきて、体重が私の方にかかる。年下の女の子とはいえ、それを支え続けられるわけもないので、とりあえずだがそのまま床に寝かせることにした。

 緊張が緩む。すると、今まで意識に入ってこなかったもごもごという呻き声が聞こえて来た。


「あー、そろそろ俺様も声出していいか、嬢ちゃん? 流石に助けてやれよ、アレ。見ていて不憫だぜ」

「うん? ……あ、そうだ! 本物のヴェルト!」


 すっかり忘れていた。今まさに被害に遭いそうになっていたヴェルトがそこのベッドに転がっているんだった。早く助けないと、後でグチグチと文句を言われかねない……ってぇ!


「な、な、な……」


 私は、拘束されたヴェルトを見て硬直した。

 子供用のものを三つ繋げたベッド。そこに大の大人がベッドごとロープでぐるぐる巻きにされて転がっている。仰向けにされ、猿轡さるぐつわをされて、首だけをこちらに向けて、懇願の表情を浮かべていた。

 それはいい。そこまでは私の目にも入って来ていた。

 よくないのは、その下半身。

 ヴェルトはズボンもパンツも履いていなかったのだ。生まれたままの姿。そこには、私が初めて見る、男性にしかついていない獣が、行き場を無くした蛇のように横たわっていた。


「な、なんてもの見せてるのっ! ヴェルトの変態! 不潔! 破廉恥! 変態! 変態っ!」

「――っ! ――!」

「馬鹿ぁっ!」


 私はちょうど手にしていたキャメロンを持って振りかぶる。


「お、おい、嬢ちゃん! やめろって! 俺様を鈍器にするな!」

「ヴェルトの変態っ!」


 美しい放物線を描いた黒い魔法具は、ゆっくりと宙を泳ぎ、身動きの取れないヴェルトの頭に吸い込まれていった。

 鈍い音が残響する。

 後になって気付いたことだけれど、レモアが切り取ろうとしていた部位はアレだったわけで、ヴェルトが半裸の状態で拘束されていたのは考えるまでもなく当たり前のことだった。でも、緊張が解けたばかりの私にはそれを理解するだけの気力が残っていなくて……。

 せっかく無傷で助けたはずのヴェルトは、襲われてもいないのに頭にたんこぶを作る羽目になってしまった。私が受けた精神的ショックと差し引いて、この件については水に流してもらう所存である。

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