第130話 2人のヴェルト その②

 レモアが小刻みに首をかしげる。その仕草は何かを疑っているようにも見えるけれど、実際のところよくわからない。オリジナルのヴェルトの仕草の真似でないことは確かだ。

 それに、笑い方。人格に染みついてしまっているのか、どれだけなりきろうと思っても、修正しきれていない。そのアンバランスさが、恐怖を助長する。

 目を逸らした拍子に、床の上に転がっている裁縫箱が映った。木目調の深い色合いの裁縫箱。レモアが自分の髪で服を作ろうとしたときに盗んできたエドナの裁縫道具だった。

 それで、何をするつもりなのか……。想像したら肩が震えた。

 ギラリと、右手に持った包丁の刃が光った。


「そうそう。仕事の途中だった。これで詰めなんだ。アレを切り取って、俺に縫い付けてやらないと。やり遂げないと。まだ完成じゃないんだ」

「ちょ、ちょっと待っ」


 突然の乱入者に興味を失ったのか、レモアは私に背を向け再びベッドに転がったヴェルトの方を向く。気だるそうな仕草はヴェルトの真似だろう。仕方なくやらなければいけないという雰囲気を醸し出しながら、内心ではそれを済ませる算段が整っている。私の声にも反応しない。


『ヒツジは飼い主をいつもご飯を食べているテーブルの椅子で殴り倒し、その体をベッドに括りつけます。そして、台所から持って来た包丁を使って……』


 リフレインするその先のフレーズ。


『――唯一の部位を飼い主の身体から奪い取りました』


 私は唇をぎゅっと結んで胸元のキャメロンを握りしめた。




 私の心には、どうにかなるかもしれないという希望が残っていた。

 これまでの旅だって、ピンチはいくらでもあったけれど、いつもヴェルトが助けてくれた。かっこよく颯爽と登場し、逆境を力技でひっくり返す。それはもう見事で、まるで童話のヒロインになったような感覚を密かに味わっていた。

 私は恵まれていた。守られていた。

 私に解決できないことはヴェルトが解決してくれる。ヴェルトにできないことなんてこの世にはなくて、ヴェルトは世界を思い通りに動かせる。私はそのおこぼれに与っている。そう考えたこともある。

 甘えていたのだ。私は、ヴェルトに甘えていた。

 現実を突きつけられてわかる。

 ヴェルトは縛られていて身動きが取れないし、レモアの手に握られた刃は、レモアの気分次第でヴェルトを傷つける。いとも簡単に、あっさりと。

 でも、いくら待っても助けは来ない。私の言葉でレモアが目を覚ますなんて言う、ご都合展開もありはしない。

 わかっていたつもりだった。でも、わかっていなかった。

 覚悟が足りなかった。

 どうにもならない現実だってある。辛い選択をしなければいけないときだってある。

 絵に描いたようなハッピーエンドはこのお話には存在しない。

 誰かが辛い思いをしなければ、終わらないんだ……。

 キャメロン。特定の人間の記憶を対象から奪い取る童話の国の秘宝。

 今回のフェアリージャンキーに限って言えば特効薬がある。それがキャメロンだ。

 レモアが憑りつかれてしまった『歩き真似ヒツジ』には、ご主人の存在が必要不可欠。ヒツジはご主人に憧れ、飼い主になりたいと思い、最終的にご主人を乗っ取ってしまう。物語を動かす主役以上に、主人公の目標たる端役は重要なファクターとなっている。

 このご主人役がヴェルトなのだ。

 レモアはヴェルトのことを思い、その気持ちがフェアリージャンキーを発症させてしまった。ならもし、この物語からヴェルトを消去してしまったらどうなるか。

 簡単だ、破綻する。

 出会いもなければ憧れもない。レモアは何になろうとしていたかも思い出すこともできず、何をしていたかも忘れてしまう。気が狂うほどの情熱も、無機質な魔法具に吸い取られてしまう。

 ヴェルトが好きだったというレモアの一途な想いも一緒に……。

 私は歯を食いしばる。

 キャメロンは、魔法のようなどんでん返しができる、私に残された唯一の切り札だ。レモアの症状がフェアリージャンキーだと知って、その対象が『歩き真似ヒツジ』だと知って、すぐに思い至った解決法……。レモアの顔をレンズに入れて、ボタンを押すだけ。たったそれだけで、ヴェルトは救われ、レモアは悪しき病から解放される。

 ……使いたくはない。使いたくはなかった。

 父親に出ていかれ、母親に捨てられ、太陽の出ることがない墓場の様な人生を歩んでいたレモア。そこに現れたヒーロー。憧れ、好きになって、生きる意味を知った。容姿や行動をいくら揶揄されても決して挫けることはないほどに、レモアはヴェルトのことが好きだった。憧れと好きの違いすら分からなくなるほど凝縮した純粋な感情。

 特別な、感情。

 それを、こんな形で終わりにしたくはなかった……!

 頬を落ちる熱い雫を、止めることはできなかった。

 だって、好きなんだよ! ヴェルトのことが好きなんだよ! 誰に馬鹿にされても、後ろ指を向けられても、気味悪がられたり敬遠されても、ヴェルトのことが好きだったんだよ! レモアが生きる目標にしていたたった一つの指針なんだよ。それを! それを!

 どうして会って数日しか経っていない部外者の私が奪うことができるんだ!

 ヴェルトが盗むならまだいい。アリッサのときだってそうだった。ヴェルトは、アリッサの恋心にちゃんと向き合って、アリッサの気持ちを突っぱねた。それは人として自然なことで、悲しくて悔しいけれど、それでもそこには温かさがあった。

 でも、ない! 私の行動には温かさがない。

 ヴェルトとレモアを救うために、無機質にキャメロンを向けなければならない。

 それが唯一助かる方法だとして、それで誰も傷つかなくて済むとして。それでも私は、レモアの気持ちにエンディングを迎えさせてあげることなくぶった切ってしまう。

 それが、堪らなく、悔しい……。悔しいよぉ!


「……うぐっ。……ぐす」


 ……。


 でも、やらなくちゃ。

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