第124話 ポラーノ氏の書斎 その②

 扉の向こうには光が届いておらず、数歩歩けば何も見えなくなってしまう。私は一旦引き返し、書庫の入り口に掛けられていたランタンに蝋燭を入れ、近くに置いてあったマッチで火をつける。揺れる炎がガラスに映って、暖かな橙色のエネルギーを発していた。

 ランタンの光が暗闇を切り裂く。かび臭い匂いと埃っぽい空気がほわりと舞い上がって、私は袖を手繰り寄せて鼻と口を押えた。どうやら短い廊下が続き、その先に部屋が一つだけあるようだ。廊下には窓があったけれど、丁寧に木材が打ち付けてあって、残念ながら採光は叶わない。突き当りの廊下の扉は、シンプルな木製の扉だった。

 ぎぃーという深いストロークの悲鳴を上げて、部屋は私たちを迎え入れる。


「……うわぁ! 書斎だぁ! すごい。すごいよ、ガロン! 私、あのポラーノ氏の書斎に潜入しちゃった!」

「この状況で喜べる嬢ちゃんに感服するぜ」


 童話城の私の個室よりも狭い部屋。大きな年季の入った机が部屋の中央に鎮座しており、その周りを囲むようにたくさんの本棚がある。どれも長いこと放置されていたらしく、積もっている埃の量は書庫の比ではない。机の向こうには大きな革張りの椅子があり、机の上には小型のガス灯と、執筆用のペンなどが仕舞われた長方形の箱が置いてある。窓は廊下同様塞がれていて、陽の光に抵抗する固い意志が見て取れた。

 私はランタンを掲げながら辺りを見回す。

 整然としている。失礼かもしれないけれど、童話作家と聞いて想像するのは、現実世界に頓着していない社会生活不適合者だ。自分の格好や周囲の環境にこだわらず、手の届く範囲に必要なものがあればいいと考えるような人。書類やら原稿やらが無秩序に積み上げられて、足の踏み場もないような書斎を想像していた。

 ポラーノ氏はそういう人間ではなさそうだ。それは、書庫や孤児院の造りを見れば瞭然ではあるけれど……。


「ここでポラーノ氏は書いていたんだね」


 辺りに誰もいないことを確認して、こっそり革張りの椅子に腰かけた。重量感に包まれる甘美な感覚は、童話城の王座よりも心地がいいかもしれない。揺らしてみたりお尻でジャンプしてみたけれど、びくともしない。ポラーノ氏が童話を執筆しながら見ていた景色を、今私が見ていると思うと、なんだかむず痒い感覚が湧きあがって来た。

 静かで、落ち着きがあって、心地よい圧迫感がある。右を見ても左を見ても大好きな童話に囲まれ、心行くまで自分の世界を堪能できる。ポラーノ氏が光を遮っている理由が分かる気がした。ここでは時間を感じたくないのだ。


「素敵な場所だね、ガロン。童話城に帰ったら、お父様にお願いして私も書斎作ってもらおうかな」

「嬢ちゃん、そんなことしに来たわけじゃねぇだろ」

「わかってるよ。探すよ、『歩き真似ヒツジ』の原典」


 こんな機会滅多にないのだから味わおうと思っただけだ。

 机の上にランタンを置いて、私は本棚を調べ始めた。

 この部屋の本棚に並んでいるのは全てポラーノ氏の著書だった。処女作『レイニー・レイニー』から始まり、童話の国での人気を盤石にした『機械仕掛けのネズミ』、あまり人気が出ずに絶版となってしまった『闘うサテライト』、『ありのままの他人』、この孤児院が舞台となった『過大評価の正解』が本棚の最後を飾られていた。

 ポラーノ氏の歴史がぎゅぎゅっと濃縮されている。その冊数実に五十三冊。

 ポラーノ氏が旅立ってからも新作は発表されていて、今では六十冊を超えている。でも、『過大評価の正解』以降がここに収まっていないことから、しばらく戻ってきていないことが窺い知れた。

 読んだことがある『機械仕掛けのネズミ』を何の気なしにパラパラとめくってみると、私の目はお月様のように丸くなった。

 私の記憶にある物語と少し違うのだ。特に結末。機械仕掛けのネズミのワンダーが本物のネズミたちの輪に入れてもらってハッピーエンドだったはずなのに、この童話ではワンダーが自分と同じ機械仕掛けのネズミを生み出して自分の国を作っている。対立したネズミ同士がその後どうなったかは描かれておらず、胸にしこりが残る後味だ。ポラーノ氏の初期作品にあった、訳の分からない不安感に似ている気がする。

 同じ文字が使われた同じ筋道のストーリーのはずなのに、中身の印象がまるで別物。

 他の童話もめくってみたが、結果は同じ。私の知っている、出版されている童話とはどれも結末が違う。時代を経るごとにその差は大きくなっていた。


「や、やばい……、ガロン。どうしよ、興奮が止まらないっ。私は全世界百億人のポラリストが喉から手が出るほど欲しているゴシップを、今掴んじゃった! 革命が……。革命が起きるよ……。ハァ……ハァ……」

「お、おい……。目が獣のそれだぞ、嬢ちゃん! ――で? 肝心の『歩き真似ヒツジ』ってのはどうなんだ?」

「ハッ! 意識が飛んでた!」

「大丈夫かよ。俺様の意識プッツンより重症なんじゃねーのか?」


 酷いことを言う。本当のことなので言い返せないけれど……。

 私は改めて、本棚を眺めた。


「……うーん、駄目。『歩き真似ヒツジ』だけない。ほら、ここ。四十冊目があるはずなのに、空白が出来ちゃってる。レモアが持っているのはここから持ち出した童話なんだろうね」


 レモアはこの世に一冊しかない大切な童話だと言っていた。それは、ヘンシュウの手が入っていない大変貴重なオリジナル版という意味だったのだろう。


「弱ったなぁ。これじゃレモアの行動が予測できない」


 自分を童話の主人公だと思い込んでしまう病、フェアリージャンキー。ここまでのレモアの行動が童話に沿ったものであることから、近いうちに結末を迎えることは想像に難くない。その先回りをしようとしていたわけだが……。


「他の童話の結末も出版されたものとはだいぶ違うし、『歩き真似ヒツジ』もたぶん、綺麗なハッピーエンドを迎えてはいないと思う。それが分からない。レモアは、どこに向かっているの……?」


 もう少しなのに、届かない。すぐそこに答えがあるはずなのに、そこへたどり着くための橋が落ちてしまっている。もしかしたら、ヴェルトも危ないかもしれないのに……。

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