第125話 ポラーノ氏の書斎 その③

 私は机に突っ伏した。ポラーノ氏がいつも筆を走らせていた机に、私の頬がぺたりと張り付く。ちょっと失礼かなと思ったけれど、身体を起こす活力が湧いてこない。横になった視界に、かつて愛用していたのであろう筆のペンが映った。

 幾多の物語を生み出して来たペン。その意匠は一級品だ。童話城の一室に飾られていたとしても、識者の足を止めさせ、唸らせることができるだろう。製紙技術も最高のものを使って、本当に恵まれた環境で童話を作っていたのだなぁとしみじみ思った。

 そのペンを手に取ってみる。

 そこで違和感に気が付いた。ここに、ペンがある。……当たり前だ。ポラーノ氏は、このペンを使って童話を書いていたのだから。

 童話の国の印刷技術は銅板印刷と呼ばれていて、簡単に言えば文字が書かれた金属の小さな板をより集めてスタンプする印刷方法である。必然、文字の形は決まっていて、直筆より特徴なく綺麗に印字される。さっき私が手に取った童話はこの銅板印刷で刷られたものだった。

 ――なら、製本されたオリジナル版以外にもう一つあるんじゃないか!?

 私は飛び起きた。驚いたガロンが汚い悲鳴を上げる。


 原典の原点。ポラーノ氏直筆の執筆原稿が……!


「お、おい。急にどうした。……勝手に戸棚開けたら怒られるって。おい、中のもの取り出すなよ。――紙束をばら撒いちまったら、元に戻せなくなるって! 嬢ちゃん!」

「ちょっと黙ってて、ガロン。私は見つけなくちゃならない」

「見つける?」

「原典の原点」


 オリジナル版が印刷されていることが、まずおかしいのだ。何千、何万冊と印刷するから、銅板印刷が用いられる。世に出回る予定のない世界にたった一冊の童話を製本しようとしたら、普通は門前払いを食らう。コストと対価が全く見合っていない。

 ポラーノ氏はかなり無理を言って、莫大な財力を削って、ここに並ぶオリジナル版を作ったことだろう。それは、自分だけで作り上げた世界を形にしたいと願う、童話作家ポラーノのプライドだったのかもしれない……。

 そして、その熱意を存分に吸収した直筆の原稿もまた、必ずこの部屋にあるはずなのである!

 机についていた引き出しを片っ端から開けた。中に入っていたものを全て机の上に広げる。ない。次の引き出し。広げる。ない。全ての引き出しを開け終えて、既に机の上は戦場と化していた。今まで綺麗に片付けられていたのが嘘のように、物で溢れかえっている。その大半は紙で、何かの契約の書類や、権利書と書かれたもの、子供たちが描いたのであろうポラーノ氏の似顔絵なんてものまであった。


「違う。ここじゃない」


 次に本棚を回った。棚に差し込まれていた童話以外のものを、これまた片っ端から取り出して広げていく。創作メモや童話に関する専門書や歴史書、資料として集めた図鑑もあれば、小さな額縁に入れられた飾られることのない絵画、粘土細工の置物、世界各地の伝統工芸品まである。


「あぁあぁ。こりゃ大変だ。俺様は止めたぜ? 止めたからな? 俺様のせいじゃないからな」

「口じゃなくて手を動かして!」

「キャメロン相手に無茶言うぜ」


 箱があったら開けて中身をぶちまけて、引き出しがあったら取り出して中身をぶちまけて、扉があったら開けて中身をぶちまけた。机の上から始まった走査線は、書斎の半分を侵食し、足の踏み場もないカオスな空間へと変貌させていった。


「次はこの木箱。――重っ!」


 広い場所に持って移動しようと思ったけれど、私のか弱い細腕では持ち上げることすらできなかった。一辺が私の腰ぐらいまである正方形の箱。早々に移動は諦め、蓋を開けてみた。

 中にはおびただしい数の紙の束が入っていた。


「ビンゴかも……。でも、この量……」


 紙束には小さな文字がたくさん書かれていて、右端の一辺を細い紐で縛ってあった。表紙には見覚えのあるタイトルが躍っている。

 とても本とは呼べない。けれど、情熱だけは世界中のどんな童話にも負けない、至極の一冊。それが山を成していた。

 ポラーノ氏が実際に執筆した原稿。

 一部取り上げてパラパラとめくってみる。メリハリのはっきりついた折り目正しい筆跡は、自然とポラーノ氏のものだと認識できた。あの物語を書く人は、こういう字を書くのだというのがすっと頭に入って来た。

 ところどころ赤墨で注釈が入ったり、塗りつぶされたりしている。一度書いたものを推敲した跡だろうか。全てが同じポラーノ氏の筆跡であるところを見るに、まだヘンシュウの手が入っていないポラーノ氏だけで作り出された物語なのだろう。

 私はその一つ一つを丁寧に取り出していった。

『過大評価の正解』

『転んだケイミー』

『押しかけお巡りさん』

『これであなたも』

『月を愛でる夜』

『或る家族の食卓』

『くすんだ水色』

『時は進んだかい?』

『群青』

『明日から見る昨日』

『サンサンテリブル』

 ……『歩き真似ヒツジ』!

 見つけた! 私が探していた『歩き真似ヒツジ』の直筆原稿!


「本当に、あったよ!」


 原稿を持つ手が震えていた。劣化した表紙の表面には一ページを大きく使って『歩き真似ヒツジ』の文字が強く主張している。一ページをめくると文字たちが躍っていた。まるで私に読まれることを何年も前から待っていたかのように、時には力強く、時には女々しく、童話の内容に筆跡という新しい次元を加えていた。

 椅子に座るのももどかしく、私はその場でページをめくり始める。すぐに意識は広大な牧場へと飛んでいった。

 そこに生きているのを感じる。私はヒツジ、ご主人に憧れ、ずる賢いキツネにおだてられて、その憧れは一層強くなる。

 面白い! 面白いよ! 出版されたものよりも、断然こっちの方が面白い!

 私は夢中でページをめくった。

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