第115話 霧の向こうには……

 周囲の植物が枯れ果て荒野のようになっていた門の中と違って、頭上を大樹が覆う森の中は空気が冷たい。肌寒さを感じて二の腕を擦り、極力足音を立てないようにレモアを探す。

 門を抜けてからは一本道だ。レモアが森の中へ進んで入っていったのでなければ、たぶんこの道の先を今も歩いているだろう。

 登っていた坂は小高い丘のようで、振り返ると城壁を越して街の中まで視界が届く。製紙工場の煙突が、もうあんなに小さい。迷ったらあの煙突を頼りに進めばいいと自分自身に言い聞かせ、丘を登り切った。

 レモアは丘の上で膝を抑えて息を整えていた。ほっと一安心。胸をなでおろし、そしてもう少し近づこうと木の影からゆっくりと進み出ると、レモアの奥、霧の向こうに、何か大きな建物があることが分かった。


「……え?」


 風が吹きつけ、ゆっくりと霧が晴れていく。全貌があらわになるにつれて、私は言葉を失った。

 なんだろう、ここ。とても、不気味……。

 建物の周りを背の低いブロック塀が囲んでいる。全体的に白を基調とした塗装がなされているけれど、もう何年もの間メンテナンスがされていないようだ。ところどころ塗装が剥げ、植物が張り付いている。

 レモアが立っている位置はちょうどその塀が途切れた場所。恐らくそこが通用門なのだろう。守衛室のような場所も見える。

 そしてその先、四角いブロックをいくつも重ねたような建物が、敷き詰められた砂利の絨毯の上に建っていた。大きさは孤児院の比ではない。製紙工場一棟ぐらいはありそうだ。四角い建物には等間隔に窓が付いているけれど、そのガラスの大半は既に割れている。塀と同じように白い塗装が剥げ散らかされていて、悠久の昔からその職務を全うした後も、ここでひっそりと耐え忍んできたことを感じさせる。


「なんの……建物なんだろう……」


 私の独り言は、誰に届くわけでもなく森の木々に吸い込まれて消えた。

 何かの商業施設だろうか? 以前はこの辺りにも家があって、市民の憩いの場として活躍していた、とか。童話の国の庇護が篤い梢の街ならば、それくらいの財力はありそうだ。

 でも、中心地とかけ離れ過ぎているし、交通の便が悪すぎる。人を呼び込むには外観があまりにも質素だし、建築した人は機能性しか重視していなかったんじゃないかな、と素人の私でも思ってしまう。

 それに、あの巻き付けられた鉄線……。

 目を凝らしてみると、塀の上には、棘のついた鉄線が巻き付けられていた。まるで、何者かの侵入を防ぐように。……いや、違う。何者かの脱走を防ぐかのように。

 この施設の存在を街からは遠ざけ、一度中に入ったらを絶対に逃がさないように閉じ込める。まるで、危険なものを隔離しているように思えてならない……。


「隔離……」


 何かが引っかかった。最近その言葉をどこかで聞いた気がする。隔離、隔離……。


 ――この国で流行った疫病を治すための隔離病棟だったらしいです。


「あっ……」


 思い出した。マムが言っていたんだ。いたずらをした子供を叱るために。


 ――この街をずっと西に歩いて行ったところに、ポツンとあるんですよ。使われていない廃病院が。もう十年になります。


「――お化け、病院……」


 口にすると、現実味が増す。

 霧を纏い、朽ちた風貌を誇るかのようにたたずむその建物には、おどろおどろしい雰囲気が漂っている。今立っているのは冥界への入り口なのではないかという錯覚にさえ陥ってしまう。

 ぶるりと肩が震え、二の腕に鳥肌が走った。

 い、いやね。まさか、本当にあるとは、思ってなかったからさ……。

 私は、震え始めた足を両手で叩いた。


 ――その廃病院に、人が消えていく、なんて噂がありましてね。


 マムの言葉が脳内に響く。

 人知れず放置された病院。人が消えていくという噂。何かを拒み、何かを逃がさないように張り巡らされた鉄線……。

 ふと見上げた割れた窓ガラスの向こうに、黒い何かが動いた気がした。


「……っ」


 ダメ。ダメだよ。ここにいちゃダメ! 早く帰ろう。こんな怪しい所に一人でいるべきじゃない。ガロンだってポンコツになっちゃったし。

 そのときだった。私の肩に、何か暖かいものが触れた。


「――ひっ」


 驚くと同時に振り向くと、小さな掌が迫って来て口を塞ぐ。

 なに? なに!? 怖いっ! ヴェルト!


「しーっ! レモアに気付かれるから! 俺だよ。俺」


 咄嗟に暴れ出しそうになる私を、少しイライラした声が窘めた。


「んーっ! ん? んん?」

「いいか、大声出すなよ。手、どけてやるからな」

「……バート?」


 私の肩を叩き、口を塞いだのは、孤児院の悪ガキ、バートだった。

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