第116話 バートの思い
私の肩を叩き、口を塞いだのは、孤児院の悪ガキ、バートだった。
尖った目がまっすぐに、私の方を見つめている。今日はお供も連れてはいないようだ。
「その、とりあえず、すまん。大声出されたくなかったから」
私の頭はすぐに状況が飲み込めなかった。なんでバートがここにいるの? 誰から隠れているの? なんで大声を出してはいけないの?
バートはそのすべてを話す気はないようで、私と同じように背を低くして木の陰に隠れた。
……不審者じゃなくてひとまず安心した。取り乱したことによって乱れた私の心臓の方は、まだ警鐘を鳴らし続けたままだけれど……。
私が顔を上げようとしたら、凄い力で頭を押さえつけられた。
「ちょ、馬鹿っ! 身を乗り出すなって。レモア、今こっち見てるから」
結構力が強い。それに、馬鹿ってなんだ。これでも王女だぞ。なんちゃってだけど。
でも、これで、誰から隠れているかという疑問に答えを得た。バートもレモアに気付かれないように追って来て、ここにたどり着いたんだろう。
レモアは私の声に気が付いたのか、後ろを振り返り不思議そうな顔で来た道をきょろきょろと見回した。しばらく見回して、自分の勘違いだと思い直し、また例の病院の方を向く。息はもう整っていて、レモアは恐れることなく一歩を踏み出した。意気揚々と堂々とした足取りで魔界への入口へ入って行った。
「また、入って行っちまったか……」
「もう。これ、どうなっているの!」
いろいろな理不尽を詰め込んだ質問を、私は大人げなくバートに投げた。バートがすべての答えを持っているとは思っていないけれど、口にせずにはいられなかった。
「お前もレモアを追って来たんだろ?」
「……お前はやめて」
不躾な年下の男の子に睨みを利かせてやると、意外にもバートは慌てたような表情をして謝った。
「あ、えっと。じゃあリリィ」
「ま、いいか。呼び捨てなのが気になるけど」
そう言えば、バートと一対一でまともに話すのは初めてだ。
「レモアはよくここに来るの?」
「俺の知る限りは二回目だが、たぶん、前からよく来てるんだと思う。休みの日はほぼ毎回。朝早く出掛けて行って、ここに来ているみたいなんだ」
「ほぼ毎回!?」
「あいつ、いつもいねぇから。この前の休みの日、俺たち、レモアを付けてみたんだ」
あの雨が強く降っていた日か。私はその日の出来事を思い出す。
ヴェルトがレモアをデートに誘おうと早起きしたのに、レモアは既に外出した後だった。私は書庫で過ごしたけれど、ヴェルトはレモアをずっと待って、そしてついに夕食まで帰って来なかった。バートたちがびしょ濡れで帰って来て、その後レモアが帰って来た。髪をバッサリ切って、その切った髪をわざわざ袋に詰めて。
レモアが、定期的にお化け病院を訪れている。
知ってしまった真実を、バートは誰かに吐き出そうとして、やめた。そんな葛藤が、あの日あったのだろう。ヴェルトが気付いた違和感は、きっとそれだ。
「ヴィッキーはもう行きたくねぇって情けないこと言うし。ロニーの奴も、もう体調なんて悪くない癖に、今日は孤児院で過ごすって言う。度胸が足りねぇよ」
「それで、一人でも来たんだ」
「あ、ああ。そうだよ。あぁん!? 悪いか、馬鹿」
「馬鹿って言わないで。それに悪くないから。私もレモアが心配だったし」
それは本心だった。
「べ、別に俺は心配じゃねーし。あいつの行動をからかう材料探してただけだ! 一緒にすんな!」
素直じゃないな。私は少し意地悪したくなった。
「バートは、レモアのこと嫌いなんだね」
「……嫌いだよ」
バートの表情が硬くなる。私のまっすぐな視線を避けるように、山肌に根付いた植物を睨みつける。その仕草で私は確信した。
バートはレモアのことが好きなんだ。
私が何も言わないでいると、バートは勝手に続けた。
「あいつはおかしな奴だよ。でも面白い奴でもある。うん、俺はそれを認めてはいる。数学はからっきしだけど、童話の授業は誰にも負けねぇし、洗濯も掃除も料理もできる。俺にはできねぇことを、まるで魔法みたいにこなしちまう。これを尊敬しなかったら男が廃る」
「ふーん」
「でもやっぱり変だろ? 気持ち悪いだろ? 面倒見いい癖に変な行動するせいでたまに怖がられたりしてる。見てらんねぇって思うんだよ。だからよ、俺がみんなに溶け込めるようにちょっかい出してやってんだ」
バートは隠れていた茂みから出て、レモアの消えた廃病院を見つめた。私も立ち上がり道に戻る。倒されたときに草むらの露でお尻が少し濡れてしまっていた。
気を惹きたかったってのもあったんだろうな。でも不器用で、周りからは虐めているように見られてしまう。悪ガキの大将として君臨してしまった以上、その威厳も保たなければいけない。なんとなく、バートを一人の男の子として認識できるようなった。
そこへ、ヴェルトが帰ってきたら、確かに当たり散らしたくもなるかしれない。レモアはヴェルトに夢中で、バートのことをちっとも見ようとはしない。ヴェルトはバートをライバルとすら思っていないし、レモアには嫌いと言われてしまう始末。本当にやるせない。
ヴェルトの思い出なんかよりも、このバートの気持ちを童話にした方が、面白い童話になるんじゃないかな。
「おい、何笑ってんだよ! 気持ち悪いな」
「ごめんごめん。つい、可愛くて」
「べ、別に、俺はレモアが可愛いなんて一言も言ってねーぞ」
「そうだね。言ってないね」
私が言うと、バートもさすがに失言に気付いたのか、顔を赤らめて下を向いた。
そうしてしばらく羞恥と闘っていたけれど、バートは力なく握った拳を解く。
「なんか俺、怖いんだ。あいつが訳の分からねぇもんになっちまうんじゃないかと思ってさ」
「訳が分からないもの?」
「前はさ、おかしな行動でも筋が通っていたんだ。常識があったっていうか。でも今のレモアはよくわかんねぇ。何が目的なのかも何もかも。昨日なんて、髪の毛で服を作る、だぜ? 理解不能だ」
だから、と言って、バートは顔を上げた。見つめる先には廃病院がある。
「確かめに行く。この中で、レモアが何をしているのか、俺が見に行かなくちゃならないんだ」
「お化け病院だよ? 人が消えたっていう噂もある」
「し、知ってるよ! それがどうした! 怖くなんかねぇよ!」
威勢よく啖呵を切るバートに、私は自然とヴェルトの姿を重ねていた。態度も熱さも全然違うけれど、決意をする男の人はとても魅力的だ。
「来てくれとは言ってねぇぜ。でも、どうしても心配だってんなら……」
「うん。私も行くよ。もともとそのつもりだしね」
私の即答が予想外だったのか、バートは豆鉄砲を食らったような顔をした。
「お? お、おう。足引っ張るなよ」
「そっちこそね」
ヴェルトに比べたらとても頼りない。でも、何かを守ろうとする背中があった。
ごくりと生唾を飲み込む。
門戸は閉ざされてはいない。私たちを迎え入れる準備は万端である。
お化け病院に向けて、私たちは一歩踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます