第109話 拭いきれない予感

 眠れない夜を過ごし、私は朝一でヴェルトの部屋を訪ねた。

 レモアの部屋から退散したまま、ヴェルトに相談しようと思っていたのだが、いろいろと整理がつかず、結局朝になってしまった。

 鏡に映った自分の顔がとにかく酷かった。


「今すぐにっ!」

「なんだよ、藪から棒に」

「今すぐに、だよ! 今すぐに、レモアの記憶を奪い取るべき! 是非もなし! そして慈悲もなし!」

「まぁ、落ち着けって。な」

「落ち着いてられないの!」


 これが単純に私の感情の問題だったら、ここで引き下がる。でも、事態はそうじゃない。私が危惧しているのはそうじゃない。レモアは、あのまま放置して置いたら、危険だ。

 すとんと、ヴェルトの両腕が私の肩に降りて来た。


「リリィらしくもない。そんな無理やり思い出を頂いても、碌な童話にならないぞ。感情も籠っていない、脈絡もない、そのうえ落ちらしい落ちもない。そんなつまらない童話、いったい誰が読むんだ?」

「で、でも」

「誰かの思い出じゃない。レモアの思い出だ。マムが飯の前に言うだろ、いただきますって。あれと同じ。頂くからには、最高の料理にしてやらないと、奪われたレモアが浮かばれない」

「そうなんだけど」


 ヴェルトの方が正論なのはわかっている。普段の私なら、一も二もなく賛成した。人生の優先順位の一位が童話のこの私だ。相対する童話には敬意を持って読ませていただく。だから、童話自体がけなされたり、中身やそれを書いた作者が中傷されたりしたら、私は烈火のごとく怒るだろう。

 でも、今回ばかりは話が違う。昨日のレモアは普通じゃなかった。怖かった。見ていられなかった。放っておいたら大変なことになる様な気がした。そう表現したいのに、言葉ではうまく言い表せない。もどかしい。


「ヴェルトが危ないかもしれないの!」

「俺が危ない?」

「それこそねーんじゃねぇか?」


 横から口を出したのはガロンだ。私の胸元から離れて、今は近くの丸テーブルの上に置かれレンズをこちらに向けている。


「今まで一度だって、この野郎が危ない目に遭ったことがあったのか、って話だ。しかも嬢ちゃんが危惧しているのは、嬢ちゃんよりか弱い女の子だぜ? これで天下のヴェルト様がやられた日にゃ、俺様の面白世間話の種がまた一つ生まれちまうぜ」

「レモアはやりかねないし、ガロンの世間話は自分で言うほど面白くないよ!」

「なにっ!?」

「まぁ、その話はいい」


 ヴェルトの声が優しい。

 とにかくこれだけは伝えなければならない。


「レモアにね、ヴェルトが手に入らないような理不尽な状況になったらどうするって質問したの。そしたらね……」

「それはまた、酔狂なことを聞いたな」

「自分がヴェルトになるって言ったの。……あの時の目は、本気だった」


 私のただの説明じゃ、この危機感は伝わらないかもしれない。ヴェルトは意外と鈍感だから、言葉の裏に潜む感情を正しく理解できないかもしれない。でも、事実だけはちゃんと受け止めておいてほしい。


「わかった。注意しておく」


 そう言ってくれた。


「だがやっぱり時期尚早だ。順序を組み立てないと。レモアの気持ちを駄作にしてしまうのは、お前の本位でもないだろう」

「それは、うん……」


 少なくともヴェルトに昨日の話ができる時間があってよかったと思う。一人で抱え込むのが良くないってことは、前回のトトルバさんの件で学んだのだ。


「それよりリリィ」

「うん?」


 これ以上は動かなさそうだと思って、私も朝の支度をしようと扉に手をかけたところで、背中に声を掛けられた。振り向くと、首に手を当てて視線を逸らすヴェルトの顔があった。


「お前さ、俺のパンツ盗んでない?」

「ぱんつ? ……パンツっ!?」

「今朝起きたら一着ないんだよ。残りは洗濯に出しちまってるし、困ってるんだ。返してくれよ」

「ばっ! なんで私がヴェルトのパンツ盗まなきゃいけないの!?」

「いや。それは俺が聞きたいんだが……。洗濯してくれるならありがたいが、洗い立てを持っていかれても……」

「盗むわけないでしょ!」


 ありったけの大声で叫んだ。中庭に止まっていた小鳥が二羽、驚いて白い空に飛んでいった。

 ハァ、ハァ……。なんなんだ! なんなんだこの男は! 失礼にもほどがある!

 ありったけの空気を吸い込んだはずなのに、酸欠で顔が熱い。私がこんなに必死に否定しているのに、一人涼しい顔をして、私を見つめているのも腹が立つ。


「なにも盗んでないし、大変失礼!」


 どうしてパンツを無くしたことを、私のせいに出来るんだ。自分でどっかに置き忘れたに決まっている。まったくもう、レモアじゃあるまい……。


「……」

「お? どうした、神妙な顔して。懺悔する気になったか?」

「ならないし! っていうか、私じゃないし!」


 今よぎった妄想を、私は全力で否定する。流石にそれはない。それはない、と思う……。


「どうせ、ヴェルトを嫌ってるバートの仕業だよ!」


 ……いや、まさかね。

 そこまでしないよね。

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